music column|ZELDA
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〈members〉
第1期(1979年)
小嶋さちほ(b)、ケイ(vo)、鈴木洋子(g)、野沢久仁子(ds)、トヨ(key)
第2期(1980年ー1981年)
小嶋さちほ(b)、高橋佐代子(vo)、鈴木洋子(g)、野沢久仁子(ds)
第3期(1982年ー1990年)
小嶋さちほ(b)、高橋佐代子(vo)、石原富紀江(g)、小澤亜子(ds)
第4期(1991年ー1996年)
小嶋さちほ(b)、高橋佐代子(vo)、本村直美(g)、小澤亜子(ds)
〈discography〉
第1期
●リリースなし
第2期
●ZELDA(1982年)
第3期
●CARNAVAL(1983年)
●空色帽子の日(1985年)
●C-ROCK WORK(1987年)
●Dancing Days(ライブ/1988年)
●SHOUT SISTER SHOUT(1988年)
●D.R.O.P.(1989年)
第4期
●LOVE LIVE LIFE(1992年)
●FULLMOON PUJAH(1993年)
●虹色のあわ(1996年)
〈column〉
病んでいた時代に宝島で出合ったZELDA
ZELDAと出合ったのは高校時代。なんかいろいろ病んでた時期だった。学校も友だちと遊ぶのも、何をしても楽しくなく、家にこもって本を読み、ギターを弾き、音楽を聴く日々。聴く音楽も変わった。それまではハードロックやニューウェーブなどを聴いていたが、この頃からバウハウスやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、キュアなど陰鬱な音楽を好んで聴くようになった。
同時に洋楽一辺倒だった聴き方から日本の音楽も聴くようになった。東京ロッカーズが全盛で、ジャパニーズ・ニューウェーブが日本の音楽界で話題になっていたこともある。元々好きだったTHE ROOSTERS(Z)やシーナ&ロケッツがニューウェーブ色が強くなり、P-MODELやMOON RIDERS、FRICTION、LIZARD、暗黒大陸じゃがたらなどとも出合った。
「宝島」も愛読するようになった。当時の宝島は日本のインディーズやニューウェーブに特化した雑誌となっていて、地方都市に住む私にとっては重要な情報源となっていた。そこでZELDAと出合った。
ZELDAの第一印象は「なんだこれ?」
まずバンド名から気に入った。中学時代からの愛読書「グレート・ギャツビー(当時の邦題は「華麗なるギャツビー」)の作者、スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダからとったという。加えて、ファースト・アルバムはLIZARDのモモヨが、セカンド・アルバムはMOON RIDERSの白井良明がプロデュースをしているということも好印象だった。
とはいえ、前情報はそれだけ。どんな音楽かどんなバンドかもわからない。とりあえずレンタルレコード店に行ってZELDAを探すと、1枚だけあった。それが「CARNAVAL」だった。

最初の感想は「なんだこれ?」だった。1曲目「うめたて」は、「毎日毎日埋め立て地に行く」から始まり、「飯場・団地・工場、飯場・団地・工場」と続く。当時、流行っていた「わからないことが格好いい」「意味不明なことがサブカルチャー」みたいなノリのバンドか?そう思った。しかし聴いていくと、クラシカルあり、パンクあり、ポップあり、ジャズあり……と楽曲になんのまとまりもない。演奏に至ってはお世辞にも上手いとは言えない。だけど全曲が耳に残り、聴くたびに気持ちを持って行かれる。
たぶんそれは、高橋佐代子のガラスのような無機質で硬質な声と、無表情なのに感情的なヴォーカル、そして当時の私の精神状態に何かを訴えかける歌詞が要因だったのだろう。
私をとらえた「と・ら・わ・れ」
確か「宝島」でのインタビューだったと思う。小嶋さちほが高橋佐代子と出会った時の印象を、「佐代子は当時まだ中学生だったけど、いつも何かに怒っていた」と語っている。その「怒り」が顕著に現れているのがファースト・アルバム「ZELDA」だった。

最初に聴いたとき「なんだこれ?」と思った「CARCAVAL」は、気づけば毎日聴くほどの愛聴盤へとなっていた。そしてファースト・アルバム「ZELDA」を購入した。そのアルバムは意外にもストレートなロック・ナンバー「エスケイプ」から始まった。もし最初にこのアルバムを聴いていたら、ZELDAに対する印象も大きく違っていたかもしれない。2曲目「真暗闇」では一転してダークで陰鬱な世界が拡がり、3曲目「月光飛翔」では再びポップなラブソング(?)調に。このアルバムでも振り回されつつ、A面ラストの「開発地区はいつでも夕暮れ」で「CARNAVAL」の世界に近づく。
B面で表情は一変する。「ミラージュ・ラバー」から始まるB面は、ZELDAの世界そのものだ。後から知ったことだが、「ミラージュ・ラバー」はデビュー・シングルとしてリリースされたのだが、デビュー前、東京ロッカーズと深く関わっていた頃のZELDAのままではメジャーではリリースできず、暗黒ZELDA(デビュー前と初期のZELDAはそう呼ばれていた)のテイストを残しつつ、「一般ウケ」しそうなラブソングという折衷案でこの曲が選ばれたのであろう。
さちほがヴォーカルをとる「密林伝説」に続き、初期ZELDAの代表曲「Ash-Lah」が。ゾクゾクした。「CARNAVAL」に引き込まれた世界そのものの曲だ。そして私を完全にZELDAの虜にした曲「と・ら・わ・れ」。この曲を聴き、この歌詞を聴いたときの感情は、言葉では言い表せない。この曲こそが高橋佐代子の「怒り」であり、同時に、当時私が感じていた心情がすべてこの曲に詰め込まれていた。
日常の地獄にとらわれてゆく 貴方の意識
生まれた時からすべての疑問が 答えを告げていた
この曲に、この歌詞に、私は「とらわれ」た。この曲を歌う高橋佐代子にシンパシーを感じながら、絶対に答の出ない輪廻に入り込んだ。
あの頃の自分の心情はいまだに鮮やかに思い出せる。そしていまでも「生まれた時からすべての疑問が 答えを告げていた」はずの答が見つからない。
(「と・ら・わ・れ」の歌詞をここに記す)
変化していくZELDAと、変化を拒んだ自分
1985年には前作同様白井良明プロデュースのもと、「空色帽子の日」がリリースされた。

演奏力、音作りともに格段にクオリティが上がり(とはいえ以前に比べれば、というレベルだが)、ファースト、セカンド同様、極端な振り幅のあるテイストの楽曲が並べられた。但し、実験的な音楽はなく、ストレートなロック・ポップと暗黒ZELDAを継承した楽曲のコントラストのみだった。このアルバムでの「DEAR NATURAL」と「小人の月光浴」で、高橋佐代子はそのヴォーカルを極めたと思っている。
このアルバムはセールス、評価ともにバンド史上最高となったが、個人的には何か物足りなさを感じた。後のZELDAの変遷を見ていくと、私にとっての「物足りない部分」がバンドとしては増幅されていき、結果として私はZELDAから離れていくことになる。
その後1987年にはプロデューサーに佐久間正英を迎え「C-ROCK WORK」をリリース。

佐久間正英は四人囃子、PLASTICSという私が大好きなバンドを経てプロデューサーになった人物。アルバム・タイトルも私が敬愛する映画「時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)」から引用したものと推測できる。期待とともに聴いたが、残念ながら期待ほどのアルバムではなかった。
誤解なきように言うと、アルバムとしてのクオリティは前作「空色帽子の日」に負けないくらい高い。佐久間正英のプロデュース力、全3作で培った楽曲制作力、演奏力、どれをとっても過去最高の出来と言える。
しかし、私を捉えたZELDAはそこにはなかった。確かに佐久間正英は極上のアルバムに仕上げた。しかしながらそれは「極上のポップ・アルバム」に、だ。暗黒ZELDAに回帰せよとは言わないが、極上のポップとダークな暗黒ZELDAが共存してこそのZELDAなのだ。このアルバムでかつてのZELDAを感じられるのは「Electric Sweetie」と「浴ビル情」だけだった。
ZELDAはまったく別のバンドに、そして解散
次作「SHOUT SISTER SHOUT」、「D.R.O.P.」では、ソウルやブラック・ミュージックにシフトし、高橋佐代子のヴォーカルスタイルもそれらの音楽性に合わせて変貌し、ZELDAはまったく別物と言っていいバンドとなった。そして「LOVE LIVE LIFE」、「FULLMOON PUJAH」はジャマイカでレコーディングされ、参加ミュージシャンもレゲエ・アーティストを中心とした構成で、完全にワールド・ミュージックのアルバムとなった。
そして1996年、「虹色のあわ」を最後にZELDAは解散(活動停止)した。
思いがけないZELDAとの再会
私はいわゆるアイドルの「ファン」になったことはない。もちろん周りにはアイドルに熱狂する友人・知人もいたが、その心理がまったく理解できなかった。唯一近い感覚を持ったのが、たぶんZELDAに対してだろう。レコードはすべて所有し、雑誌に掲載された記事はすべてチェックし、ライブも行ける限りすべて行った。インディーズ時代の音源も片っ端から手に入れた。それでも足りなかった。もっとZELDAが欲しかった。これ以上手に入れるものがないのに、もっと欲しい、この気持ちをどうしたらいいのだろう。そんな気持ちになったのは、後にも先にもZELDAに対してだけだ。
音楽性が変わって以降のZELDAは、当時以外ほとんど聴いていないが、「ZELDA」、「CARCAVAL」、「空色帽子の日」は、ことあるごとによく聴いていた。この頃のZELDAとはもう二度と出合えないんだ。そう思っていたら思いがけず出合うことになった。2019年、「はじまりのゼルダ 最初期音源集1980-1982」がリリースされた。

これはメジャー・デビュー前のZELDAのソノシートやEP、ライブ音源などが集められた音源集だ。実はこの音源は、かなり昔から存在は知られていた。90年代後半、ZELDAの解散直後からリリースの噂もあった。しかしずっとリリースされることなく、ほとんどの人が忘れていたであろう。私自身も。それが突然2019年になってリリースされた。
そこには、いつも何かに怒っていた高橋佐代子がいた。そして私をとらえたZELDAがいた。この年になって、音楽を聴いて涙を流すとは思わなかった。
ZELDAへの想い、ようやく
自分が好きな音楽、バンドなのだから、そのバンド同士でつながりがあっても何もおかしくないのだが、ZELDAの場合は特に思い入れがあるバンドとつながった。
小嶋さちほは、私が日本で最も好きなバンドのひとつ、ローザ・ルクセンブルグのヴォーカル、どんととパートナーとなる。(wikiなどには「妻」と表記されているが、どんと逝去の際に小嶋さちほは、結婚していない旨のコメントを出していた記憶がある)
そして高橋佐代子は、これも私が敬愛するバンド、暗黒大陸じゃがたら(後のJAGATARA)のOTOと「サヨコオトナラ」というユニットで活動する。
この文章を書きながら、久々にZELDAを時系列で順に聴いている。当時はまったく好きじゃなかった後期のアルバムも悪くない。
あまりに思い入れが強すぎて書けなかったZELDAのレビューをようやく書くことができた。
