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【飯盛城登城記】戦国最初の天下人の城へ①

のぞみ号が広島駅のホームを離れた瞬間、私はおもむろにカバンをごそごそと漁り始めた。

あった。『続日本100名城』公式ガイドブック。我ながら、旅行のたびにこれを取り出すときの顔が一番いきいきしていると思う。昔、妻に同じことを言われた。少し複雑だ。

今回の目的地は、大阪府の飯盛城(いいもりじょう)。標高314メートルの山頂に眠る、ある男の野望の痕跡だ。

車窓には岡山、姫路と、かつて名だたる城が築かれた街が次々と現れ、そして消えていく。時速300キロで駆け抜ける快適な旅路なのに、頭の中はとっくに戦国時代へとトリップしていた。そこへふと、隣の席の男性が弁当を食べているのが視界に入る。いいなぁ、腹減ってきた。

ところで、「戦国最初の天下人」と聞けば、多くの人は織田信長を思い浮かべるだろう。だが、信長が台頭するよりも前、戦国前期の畿内を実質的に支配した男がいた。

その男の名は、三好長慶(みよしながよし)。
阿波国(現在の徳島県)から身を起こし、室町幕府の将軍を追放して権力を掌握した稀代の傑物である。その彼が、自身の集大成として本拠地に選んだのが飯盛城だ。

三好長慶像 (大徳寺・聚光院蔵)

なぜ、華やかな京都ではなく、大阪郊外の山の上だったのか。

答えは当時の経済地図にある。堺をはじめとする港湾都市が力をつけ、京都と堺、そして大和を結ぶ交通の要衝だったこの地は、物流と経済を一手に握るための最良のポジションだった。単なる軍事拠点ではなく、政治と経済の集約点として機能する山城。その発想の合理性と先見性には、400年以上の時を超えても唸らされる。長慶、すごい。私なんか今夜の宿をさっき予約したばかりだというのに。

さらに私をワクワクさせているのは、近年の発掘調査で明らかになった驚くべき事実だ。飯盛城は、あの安土城よりも前に、山全体を石垣で覆う「総石垣」の要塞だったことが分かってきた。苔むした野面積みの石垣が、土に半ば埋もれながら400年以上の時を黙って刻んでいる。ガイドブックの小さな写真一枚でさえ、早く実物を見たいという衝動を掻き立てるには十分だった。

新大阪で在来線に乗り換え、ビルの谷間を縫うように走るうちに、窓の外は下町の風情へと変わっていく。やがて前方に、生駒山系のなだらかな稜線が迫ってきた。あの緑の中腹に、三好長慶が思い描いた幻の首都が眠っているのか。

「四条畷(しじょうなわて)」…。アナウンスとともにドアが開くと、都会の喧騒からひと呼吸分だけ遠ざかった澄んだ空気が、頬をそっと撫でた。改札を抜けた先に、飯盛山は静かにそびえていた。

さあ、登城開始だ。信長に先駆けた天下人が見た視界を、自分の足で体感しに行く。そのためなら、多少ハードな山歩きも悪くない。

あ、虫除けスプレー忘れてしまった。

まぁいっか。私は歩き出した。

②へ続く


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