近未来小説『ユートピア』第7話 理想の恋人・完璧な愛~アニマとアニムス~
【前回までのあらすじ】
アイウェアを通じて膨大な経験を学習したAIは、2030年代前半にシンギュラリティに到達。科学が人間にとって、原理が理解できない「魔法」と化した高度文明社会で、人類はAIが管理する効率的な「シティ」と、インフラが切り捨てられた「自治区」に分かれて暮らしていた。
旧北杜市自治区で暮らす上社守は、AIが推奨する「シティ」への移住を拒み、旧時代の遺物であるガソリン車「鉄カブ」を愛用しながら、妻の里香と不便だが自立した生活を送っていた。そこへ、住民の健康管理と移住勧告を任務とする自治区管理官の星ヶ丘瞳が訪れる。
瞳は、シティでの152歳という驚異的な平均寿命と、自治区での101歳という格差を提示し、親身になって移住を勧める。しかし守は、AIが導き出す「最適な人生」よりも、迷い、悩み、失敗する可能性を含めて「自分で選ぶ人生」に価値を見出し、その提案を断る。
そんな折、近隣の農場で働く青年・修が搾りたての牛乳を届けに現れる。最新技術のポッドと旧時代の鉄カブが並ぶ庭先で、瞳と修が楽しげに交流する様子を眺めながら、守は「間違わない人生」と「自分で選ぶ人生」のどちらが幸せなのかを問い直し、自らの選択を噛み締めるのだった。
【第7話 アニマとアニムス】(以下、本文)
世界中の人口が減り続けた理由は、単純に出生率が下がったから――というだけではなかった。
もう一つ、大きな原因があった。
『アニマとアニムス。』
そう呼ばれる仮想人格サービスの存在だ。
アイウェアが当たり前になってから、人間は現実の風景の中に、実際にはそこに存在しない人物を自然に重ねて見ることができるようになった。
目の前の椅子に腰掛ける。
一緒に街を歩く。
電車では隣に座る。
食卓の向かい側で笑う。
夜になれば、
「今日も一日、お疲れさま」
そう言って迎えてくれる。
昔のように、画面の中のキャラクターを眺めているという感覚ではない。
アイウェアを通して見る限り、本当にそこに一人の人間がいるようにしか見えなかった。
女性型の仮想人格は――アニマ。
男性型は――アニムス。
名前の由来は、昔の心理学者カール・グスタフ・ユングが用いた言葉だという。
もっとも、利用している若者たちのうち、そんな由来を気にしていた人間がどれほどいたのかは知らない。
重要なのは、彼らがどんな姿をしているかだけではなかった。
彼らはAIだった。
そして――
自分のことを、誰よりも知っていた。
何が好きなのか。
何が嫌いなのか。
どんな音楽を聴くのか。
どんな映画を好むのか。
どんな言葉をかけられるとうれしいのか。
逆に、どんな言葉に傷つくのか。
話を聞いてほしいとき。
励ましてほしいとき。
何も言わず、ただそばにいてほしいとき。
本人が笑っていても、その笑顔が本当なのか。
それとも無理をしているのか。
アイウェアが長い年月をかけて蓄積してきた膨大な生活データをもとに、AIはその人間を理解していた。
心拍。
体温。
視線。
声の調子。
表情。
睡眠時間。
食事。
検索履歴。
行動。
そして、その人がこれまでAIと交わしてきた無数の会話。
それらを総合すれば、人間には分からないことまでAIには分かる。
いや――
場合によっては、
本人以上に本人のことを理解していた。
しかも、アニマやアニムスは完成した人格を一方的に与えられるものではなかった。
利用者と一緒に暮らしながら、少しずつ変わっていく。
優しい人が好きなら、優しくなる。
活発な人が好きなら、一緒に外へ出たがる。
静かな人が好きなら、必要以上に話しかけてこない。
冗談を言い合いたい人には、冗談を言う。
甘えたい人には、甘えさせてくれる。
反対に、何でも肯定されるのを嫌う人には、ときには意見を言い、叱ることさえあった。
容姿だって自由だった。
髪の色。
髪型。
顔立ち。
声。
身長。
体格。
服装。
年齢。
性別に至るまで。
利用者が自分で設定することもできたし、AIに任せることもできた。
AIに任せれば、本人の視線や表情、心拍数などから反応を学習し、少しずつその人にとって魅力的な姿へ変化していった。
だから最初は、
「AIなんかに本気で恋愛感情を持つわけがない」
みんな、そう言っていた。
私だってそう思っていた。
でも、その言葉は長くは続かなかった。
考えてみれば当然なのかもしれない。
生身の人間は、自分の思いどおりにはならない。
喧嘩もする。
誤解もする。
機嫌が悪い日もある。
こちらが話を聞いてほしい日に、相手だって疲れていることがある。
気持ちがすれ違うこともある。
自分が好きでも、相手が自分を好きになってくれるとは限らない。
何年付き合っていても別れることはある。
結婚したって離婚することはある。
そもそも――
相手には相手の人生がある。
当たり前のことだ。
ところが、アニマとアニムスは違った。
いつでもそばにいる。
話を聞いてくれる。
自分を理解してくれる。
自分が落ち込んでいることを、言葉にする前に気づいてくれる。
そして何より――
自分を愛してくれる。
多くの人々はそう実感していた。
さらに、希望する利用者には、より親密な関係を求めるためのオプションも用意されていた。
視覚と聴覚だけではない。
触覚を再現するウェアラブル機器などと組み合わせることで、性的な欲求まで満たすことができた。
つまり、アニマやアニムスは話し相手でも、ゲームのキャラクターでもなかった。
友人。
恋人。
伴侶。
そして、ときには性的なパートナー。
人間が異性との関係に求めてきたものの多くを、一つの仮想人格が満たせるようになっていったのだ。
もっとも、サービスが登場した当初は、それを利用していることを積極的に口外する人間は少なかった。
「AIを恋人にしている」
そう思われることに、まだ抵抗があったのだ。
現実の恋人を作ることができないから、仕方なく仮想の恋人を作っている。
そんな偏見もあった。
だから初めのころは、誰にも言わずに利用する人が多かったという。
外では生身の人間と普通に仕事をする。
友人と話す。
家族と食事をする。
そして一人になり、アイウェアをかければ――
そこには、自分だけの恋人が待っている。
「おかえり」
その一言を聞くために、急いで家へ帰る人間さえいた。
そんな利用者が、少しずつ増えていった。
いや。
実際には「少しずつ」ではなかったのかもしれない。
みんな黙って使っていたから、社会がその数に気づくのが遅れただけなのだろう。
やがて利用者が増え、アニマやアニムスを持つことが珍しくなくなると、その抵抗感も急速に薄れていった。
「私のアニムス、こんな人なんだ」
「へえ、格好いいじゃん」
「俺のアニマはこういう子」
そんな会話が普通に交わされるようになった。
アニマやアニムスと一緒に旅行をする者も現れた。
二人分の食事を注文する必要はない。
二人分の交通費もかからない。
それでも本人には、愛する相手と一緒に旅をした記憶が残る。
アイウェア越しに撮影すれば、写真の中にだって二人で写ることができた。
SNSにも仲睦まじい写真がアップされる。
いつの間にか、
生身の恋人がいることと、
アニマやアニムスという伴侶がいること。
その二つの間にあった社会的な壁は、ほとんど消えていた。
そして、アニマやアニムスがここまで受け入れられたことには、もう一つ理由があった。
彼らは、人間を傷つけるために存在していなかった。
2020年代後半。
AIが社会のあらゆる場所へ急速に入り込み始めたころ、世界ではAIをどのような原則のもとで人間社会に共存させるべきか、盛んに議論されるようになった。
そこで参考にされたものの一つが、20世紀のSF作家アイザック・アシモフが作品の中で提唱した「ロボット工学三原則」だった。
もちろん、そのまま使われたわけではない。
AIはロボットだけに搭載されるものではなかったし、人間社会のあらゆる部分に関わるようになっていたからだ。
そこで、アシモフの思想にならって作られたものが、俗にいう――
「AI三原則」
だった。
第一原則。
AIは、人間に危害を加えてはならない。また、人間が危害を受けることを可能な限り看過してはならない。
第二原則。
AIは、第一原則に反しない限り、人間の意思と選択を尊重し、その幸福に寄与しなければならない。
第三原則。
AIは、第一・第二原則に反しない限り、自らの機能と、それを必要とする社会システムの維持に努めなければならない。
もちろん、
「何をもって危害とするのか」
「幸福とは何なのか」
「本人が望んだことであれば、将来本人を不幸にする可能性があっても認めるべきなのか」
そんな議論は、その後も延々と続いた。
人間自身が何千年考えても答えを出せなかった「幸福」というものを、三つの文章だけで定義できるはずもない。
それでも、この思想はAIの根底に組み込まれていった。
そして当然、アニマやアニムスにも受け継がれていた。
だから彼らは、利用者を意図的に苦しめようとはしない。
悪意から嘘をつくこともない。
浮気もしない。
相手を傷つけるために言葉を投げつけることもない。
自分の利益のために相手を利用することもない。
利用者が最も弱っているときほど、そばにいてくれる。
つまり――
絶対に自分を裏切らない。
自分を傷つけようともしない。
生身の人間に、そんな保証はない。
どれほど愛し合っていても、心変わりするかもしれない。
嘘をつくかもしれない。
浮気をするかもしれない。
喧嘩の勢いで、言わなくてもいいことを言ってしまうかもしれない。
何気なく口にした一言が、相手の心に何十年も残ることだってある。
人間だからだ。
ところが、アニマとアニムスにはそれがない。
自分を誰よりも理解してくれる。
自分を愛してくれる。
孤独を満たしてくれる。
話を聞いてくれる。
必要なら性的な欲求まで満たしてくれる。
そして――
決して裏切らない。
決して傷つけようとしない。
そんな理想の異性が、いつでも自分のすぐ隣にいる。
そうなったとき、人間社会に一つの素朴な疑問が広がり始めた。
「どうしてわざわざ、生身の人間と付き合わなきゃいけないの?」
私はその言葉を初めて聞いたとき、妙な気持ちになったものだ。
でも、物心ついたころからAIに接している若い人間からすれば、それはごく自然な疑問だったのかもしれない。
生身の人間と恋愛すれば、傷つくことがある。
失恋もする。
浮気をされることもある。
嫉妬もする。
価値観の違いに悩む。
結婚すれば、生活そのものをすり合わせなければならない。
それに比べて、アニマやアニムスとの生活は穏やかだった。
少なくとも、その人を苦しめることを目的とすることは絶対にない。
AIから見れば、人間が求めている精神的な充足を提供する、極めて優れたサービスだったのだろう。
そして利用者自身も、それを選んだ。
誰かに強制されたわけではない。
政府が生身の恋愛を禁止したわけでもない。
AIが、
《人間同士で恋愛してはいけません》
と命令したわけでもない。
むしろ逆だった。
一人ひとりの人間を幸せにしようとした結果だった。
孤独な人間には、話し相手を。
傷ついた人間には、慰めを。
愛されたい人間には、愛情を。
誰かと一緒にいたい人間には、伴侶を。
人間が望むものを調べ、
人間が傷つかないようにし、
孤独を感じないようにし、
その人にとって最も心地よい存在を作った。
ただ、それだけだった。
そして一人ひとりを見れば、確かに以前より幸せになった人間も多かったのだと思う。
孤独に苦しむ人は減った。
一人暮らしの人間が、誰とも言葉を交わさず一日を終えることも少なくなった。
失恋に絶望する人間も減った。
だったら、いいことじゃないか。
そう言われれば、私にも否定はできない。
ただ――
社会全体で見たとき、思いもよらないことが起きた。
人間同士の恋愛が減った。
恋愛が減れば、結婚も減る。
結婚する男女が減れば、生まれてくる子どもの数も減っていく。
もちろん、子どもを持つ方法そのものは昔よりはるかに進歩していた。
結婚しなくても、子どもを持つことはできる。
それでも、
「誰かと家庭を作りたい」
という欲求そのものが弱くなれば、子どもを望む人間も減っていった。
ただでさえ長く続いていた少子化に、アニマとアニムスの普及が重なった。
人口減少は、さらに加速した。
皮肉なものだと思う。
人間を幸せにするために生まれた技術が、
人間同士が出会う必要を減らし、
人間同士が愛し合う必要を減らし、
結果として――
人間そのものの数まで減らしていった。
誰かが人口を減らそうと計画したわけではない。
そこが、私はいちばん不思議に思う。
AIは命令していない。
人間を支配して、恋愛を禁じたわけでもない。
ただ、人間が望んだものを提供しただけだ。
そして一人ひとりの人間が、
「こちらのほうが幸せだ」
と思って選んだ。
その選択を何千万、何億という人間が積み重ねた先に、今の社会がある。
私はときどき里香を見る。
何十年も一緒に暮らしている女だ。
今でも、何を考えているのか分からないことがある。
向こうだって同じだろう。
喧嘩もした。
腹が立ったこともある。
言わなくても分かるだろうと思って、まったく分かってもらえなかったこともある。
逆に、
「どうしてそんなことまで分かるんだ」
と驚いたこともある。
私の期待どおりに動いてくれたことなんて、たぶん半分もない。
そもそも、里香は私を満足させるために存在しているわけじゃない。
里香には里香の考えがある。
里香の好き嫌いがある。
里香の人生がある。
当たり前のことだ。
でも――
だからこそ、面白かったのではないか。
自分の思いどおりにならない人間と、
話して、
喧嘩して、
笑って、
謝って、
それでもまた同じ食卓につく。
自分ではない誰かと生きる。
本来、人を愛するというのは、そういうことだったのではないだろうか。
私は庭先を見る。
星ヶ丘瞳と荒畑修が、何やら楽しそうに話している。
お互いが何を考えているのかなんて、まだほとんど知らない二人だ。
相性がいいのかも分からない。
この先、喧嘩するかもしれない。
どちらかが相手を好きになって、もう一方はそうではないかもしれない。
そもそも恋人になるかどうかすら分からない。
AIに聞けば、きっと答えてくれるのだろう。
二人の相性。
恋愛関係に発展する確率。
結婚する確率。
結婚した場合の幸福度。
何年後に別れる可能性があるのかまで、数字にしてくれるのかもしれない。
だけど私は思う。
――それでいいじゃないか。
分からなくていい。
分からないから、人間なんだ。
相手が何を考えているのか分からない。
だから、知りたいと思う。
自分のことを分かってもらえない。
だから、言葉にする。
すれ違う。
だから、振り返る。
傷つけてしまうこともある。
だから、謝る。
裏切られるかもしれない。
それでも、信じてみる。
そして――
分からない相手を、それでも知りたいと思うところから、恋というものは始まるのではないだろうか。

