古代霊的ネットワークの構築②
前回はこちら↓
1-2 5つの聖地
まずは、五芒星を構成している5つの聖地を
創建年(または伝承上の起源)の順に並べてみる。
1.伊弉諾神宮(淡路島)
創建:神代(日本最古)
伝承: 日本書紀や古事記に基づき、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊(イザナギ)が、最初に生んだ淡路島の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて鎮まった場所とされる。
宮居跡に営まれた神陵を起源とする「日本最古の神社」の1つと称されている。


2.熊野本宮大社(和歌山県)
創建:伝 第10代崇神天皇65年
伝承: 社伝によれば、崇神天皇65年に熊野川の中洲である「大斎原(おおゆのはら)」に創建されたと伝えられている。
初代神武天皇の神武東征の際に八咫烏(ヤタガラス)が遣わされた神話的な背景を持ちながら、神社としての具体的な始まりはこの時期に設定されている。


3.元伊勢(京都府・皇大神社など)
創建:第10代崇神天皇の代(伊勢神宮以前)
伝承: もともと皇居内に祀られていた天照大御神のご神体が、崇神天皇6年に初めて宮外(大和・笠縫邑)へ移された。その後、約90年をかけて各地を巡行(元伊勢伝承)した際に一時的に祀られた場所が「元伊勢」である。

4.伊勢神宮(三重県・内宮)
創建:第11代 垂仁天皇26年
伝承: 倭姫命(やまとひめのみこと)による長い巡行の末、天照大御神の神託によって垂仁天皇26年に五十鈴川のほとりに内宮が確定・創祀された。
なお、外宮についてはさらに後の雄略天皇22年に丹波(元伊勢)から招かれたとされている。

5.伊吹山(滋賀・岐阜県境)
創建:古代(神話時代)
伝承: 古くから神が宿る霊峰として山岳信仰の対象となっている。
『古事記』『日本書紀』には、第12代景行天皇の皇子とされる日本武尊(ヤマトタケル)が伊吹山の神を倒そうとして敗れた神話が記されている。
太古から強力な霊威を持つ場所として認識されていた。
具体的な社殿の創建年は不詳。しかし、関係が深い神社について記述する。
◆南宮大社(岐阜県垂井町) 美濃国一宮。鉱山を司る神である金山彦命を主祭神とする。
創建は崇神天皇の時代。伊吹山の麓には2つのイブキ神社がある。
両社は平安時代初期にはすでに中央(朝廷)から重要視されていたことを示す記録が残っている。
◆伊夫伎(いぶき)神社 (滋賀県米原市)
嘉祥3年(850年)に「従五位下」の神階を授けられたという記述が
最も古い年号を伴う記録である。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳に記載された式内社。
◆伊富岐(いぶき)神社(岐阜県垂井町)
仁寿2年(852年)に官社(国が祭祀を管理する神社)に指定された
記録がある。
美濃国において南宮大社(一宮)に次ぐ「二宮」としての高い格付けを古くから持っている。

浮かび上がる謎
伊弉諾神宮、伊吹山以外の聖地はほぼ同時期に創建されているように思える。
いや、五芒星を形作るために伊弉諾尊の幽宮を結界の始点と設定したならば、すべてが同時期になるのではないか?
伊吹山とヤマトタケルの関係を考えれば、五芒星結界の完成はそのころになるのか?
神武から崇神へとそのままつながる流れなのか?
崇神天皇とは何者なのだろうか?
大和朝廷が奈良盆地を拠点とし、国造りを進めているかなり初期の段階でこの五芒星は意識されていたのではないか?
など5つの聖地を時代順に並べただけで、数々の謎や想像が浮かび上がってくる。
欠史八代
天皇の代でいけば、初代から10代までいきなり飛んでいるように思えるが、これは欠史八代とよばれる8名がいるからである。
欠史八代とは、初代神武天皇と第10代の崇神天皇の間に在位したとされる、第2代から第9代まで計8名の実在したかどうか不明な天皇のことを指す。
欠史八代に含まれる天皇一覧
第2代:綏靖(すいぜい)天皇
第3代:安寧(あんねい)天皇
第4代:懿徳(いとく)天皇
第5代:孝昭(こうしょう)天皇
第6代:孝安(こうあん)天皇
第7代:孝霊(こうれい)天皇
第8代:孝元(こうげん)天皇
第9代:開化(かいか)天皇歴史的実在性への疑い
現代の歴史学や考古学の観点からは、これら8代の天皇は、国家としての体裁を整える過程で「後から挿入された」あるいは「架空の存在である」とする説が有力視されている。
理由1. 記述の極端な少なさと「三つの高峰」
『日本書紀』などの記述において、初代・神武天皇と第10代・崇神天皇、そして第15代・応神天皇(および神功皇后)の三つの時期は、記述量が非常に多く、物語としての「高峰」を形成している。
これに対し、欠史八代の期間は、事績(成し遂げたこと)の記録がほとんどなく、系譜上のつながりのみが記されているため、歴史学的に「欠史(史実が欠けている)」と呼ばれている。
理由2. 「神」の文字がつかない天皇たち
もう一つの大きな特徴は、その漢風諡号(しごう/追号)にある。
漢風諡号は初代神武から第41代持統天皇までを、奈良時代中期に
淡海三船(おうみのみふね)が一括撰進したとされる。
「神」を持つ天皇:(下の名前は日本書紀などによる)
初代 神武天皇
神日本磐余彦天皇(かみやまといわあれひこのすめらみこと)
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと) ほか
第10代 崇神天皇
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと) ほか
第15代 応神天皇
誉田天皇(ほむたのすめらみこと) ほか
この3人は、名前に「神」の文字が含まれており、
淡海三船が「特別な天皇」として記憶していた証拠とされている。
欠史八代の期間の天皇には「神」の文字が含まれず、記述の薄さと相まって、神話的な時代(神武)と歴史的な実在が濃厚になる時代(崇神)をつなぐための、形式的な系譜であった可能性が高いといわれている。しかし、近年の考古学的発見や古代氏族との関係などを考えて、全面的に非実在とは言い切れないという考え方もある。
この欠史八代の時期を、「葛城王朝」として区別する考え方もある。
まだまだ先の考察で登場する倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は第7代・孝霊天皇の皇女とされているが、彼女自身は第10代・崇神天皇を助ける巫女として非常に詳細な物語(箸墓伝説など)を持っており、系譜と記述の密度の差が非常に激しい人物の一人でもある。
謎は深まるばかりであるが、次回から、いよいよそれぞれの聖地について、
もう少し考察の沼に潜ってみることとする。
