見出し画像

下関・小倉・門司の旅 その④ ~長府毛利邸と国宝功山寺~

下関・小倉・門司の旅二日目は未見の国宝を目的に城下町長府地区を訪れました。

ここは高杉晋作が維新の決起をしたことから「維新発祥の地」とされるほか、仏殿が国宝の功山寺、長府毛利氏の邸宅や墓所などの見どころがあります。 

この回では城下町長府の「メインディッシュ」ともいえる長府毛利邸と国宝功山寺についてお伝えします。2023年9月

※この記事は前回の続きです。前回をお読みでない方は下記のリンクからどうぞ。

■このnoteを書いている人:かまふち管理人"sho"
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。
※プロフィールは下記リンク先を参照してください


■長府毛利邸への道

覚苑寺を出て長府毛利邸方面に続く道

覚苑寺を出て長府毛利邸方面に続く道を歩きます。

覚苑寺を出て長府毛利邸方面に続く道

この付近も城下町らしい土塀の道となっています。

古江小路(ふるえしょうじ)
古江小路(ふるえしょうじ)

なかでも古江小路ふるえしょうじ 横枕小路よこまくらしょうじ と同様、城下町長府の見どころとしてよく紹介されるところのひとつです。

菅家(かんけ)長屋門

菅家長屋門かんけながやもんは、古江小路ふるえしょうじ にある立派な長屋門です。

菅家は長府藩初代藩主毛利秀元(ひでもと)により京都から招かれた長府藩の藩医と侍講職(君主に対し学問を講義する職)を務めた格式ある家柄です。

この長屋門は建築当時の姿を残す貴重な建物となっています。

長府毛利邸(右側の擁壁の上)前の道

■明治天皇も滞在した長府毛利邸

■長府毛利邸入り口


長府毛利邸敷地入り口

長府毛利邸に到着しました。敷地の入り口から門まで緩やかな坂道を登ります。

上の写真の右側の幟り旗の向こうに案内板があります。

長府毛利邸案内板

長府毛利邸は長府藩14代藩主毛利元敏 もととしが東京から長府に帰住し建てた邸宅です。

1903年(明治36年)に完成し、1919年(大正8年)まで長府毛利家の邸宅として使用されました。

長府毛利邸は、長府毛利家第14代当主・毛利元敏公により明治36年(1903)に完成した邸宅です。
明治35年には、明治天皇がご宿泊され、一部の部屋は当時のまま残されており、往時が偲ばれます。
武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた日本庭園の妙は、新緑や紅葉の季節に一段と映え、しっとりとした風情を感じさせてくれます。静かな佇まいの母屋・・四季折々の表情を魅せる純和風の庭園・・母屋に生ける季節の山野草・・セルフサービスの緑茶・・。心和むホッと一息つけるところです。

一般財団法人 下関市公営施設管理公社公式サイトより引用
長府毛利邸見取り図

門を潜ってその先にある長府毛利邸見取り図で全体像を把握します。

毛利秀元公銅像

長府毛利邸見取り図付近には長府藩の初代藩主である毛利秀元公の銅像があります。

長府藩祖 毛利秀元公銅像
長府秀元は天正7年(1579年)毛利元就の四男元清の二男として生まれ、幼い頃より毛利宗家の後継者として期待され、武勇と知略に優れた名称として名を馳せました。
関ヶ原の戦いなどでは毛利全軍を指揮し、豊臣秀吉や徳川家康の知遇を得て、毛利家の存続に尽くしました。
長府藩の初代藩主として下関の礎を築きました。

現地配布パンフレットより引用

■長府毛利家略系(数字は長府毛利家の代)
元就 もとなり元清 もときよー①秀元 ひでもとー②光広 みつひろー③綱元 つなもとー④元朝 もととも(宗元)ー⑤元矩 もとのりー⑥匡広 まさひろー⑦師就 もろたかー⑧匡敬 まさたか(重就)ー⑨匡芳 まさみつー⑩匡芳 まさよしー⑪元義 もとよしー⑫元運 もとゆきー⑬元周 もとちか⑭元敏(もととし)ー⑮元雄 もとかつー⑯元海 もとみ

■長府毛利邸内に入る

長府毛利邸建物玄関

玄関から長府毛利邸内部に入ります。入るとすぐ右側に受付があるのでここで入場料を支払います。

受付を済ませ、中庭を回るように左に進むと母屋になります。

見事なマツ

母屋から見た庭は書院庭園となっています。正面に見える手入れの行き届いた見事なマツを眺めながら抹茶をいただきます

長府毛利邸室内の折り紙装飾

長府毛利庭園内はいたるところに折り紙で装飾が施されています。スタッフの中に折り紙の得意な方がいるのでしょうか。

長府毛利邸室内

書院の様子です。違い棚がや床の間があり書院造の様子がわかります。

長府毛利邸室内

別の部屋にも折り紙の装飾があります。

長府毛利邸明治天皇御宿泊の間

明治35年(1902年)11月には、明治天皇が、熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際、当邸を行在所として使用され一部の部屋は当時のまま残されています。

現地の案内板から引用

■長府毛利邸庭園

長府毛利邸庭園

長府毛利邸庭園に出てみます。

長府毛利邸庭園

長府毛利邸には書院庭園、枯山水のほか池泉回遊式庭園があります。

庭園から見た毛利邸

庭園から建物を見た様子です。池泉回遊式庭園には大きな池と滝などもあります。

■長府毛利邸
所在地:下関市長府惣社町4-10
電話番号:083-245-8090

■維新旗揚げの地 国宝功山寺

功山寺総門

長府毛利邸を出て功山寺に移動します。階段を登ると立派な総門があります。

功山寺仏殿(国宝)

功山寺は1327年(嘉歴2年)に設立され、長府毛利家の菩提寺となった曹洞宗の寺院。

1863年(文久3年)の八月十八日の政変で失脚した三条実美ら五卿が一時的に滞在した滞在先であり、高杉晋作はこの寺で挙兵しました。

仏殿は唐様特有の美しさを持ち、国宝に指定されています。

功山寺内の長府毛利家墓所

功山寺には長府毛利家の墓所もあります。階段を登って行きますが墓前に行くことはできません。

長府藩主毛利家墓所は、功山寺(曹洞宗)・笑山寺(しょうざんじ)(曹洞宗)・覚苑寺(かくおんじ)(黄檗宗)に所在する(この他、東京都港区高輪二丁目11番1に所在する泉岳寺(曹洞宗)にも墓所がある)。
14代元敏を除いた歴代藩主に限れば、功山寺・笑山寺は詣り墓、覚苑寺は埋め墓である。
功山寺には初代秀元をはじめ、5代元矩(もとのり)、9代匡満(まさみつ)、10代匡芳(まさよし)、11代元義、12代元運(もとゆき)、14代元敏といった歴代藩主に加え、藩主の正室・側室・子女といった関係者の墓がある。
現存する功山寺の墓域は、明治時代に墓域の改変があったことから、江戸時代に比べて整理・縮小されているものの、その規模は3ヶ寺の中でも最大であり、加えて石塔は当時のものを使用し林立していることから荘厳である。また、明治時代に入って没した12代元運室欽子(なるこ)や14代元敏、元敏の姉?子(れいこ)の墓は、文献資料から埋葬の様子を窺うことができ、近代における大名華族の墓制を知る上で貴重である。

山口県公式サイトから一部抜粋
功山寺仏殿(斜め後ろから撮影)

長府毛利家墓所入り口から振り返ると、国宝仏殿の後姿を見ることができました。

■曹洞宗功山寺
所在地:下関市長府川端1
電話番号:083-245-0258

■功山寺境内のYoutubeショート動画

■最後に

下関市立歴史博物館

「維新発祥の地」といわれる長府城下町の散策もそろそろ終盤になりました。

最後に下関市立歴史博物館に立ち寄りました。本物の和同開珎など貴重な展示物を見ることができました。

昔懐かしい看板がたくさんある建物

博物館を出てバス停に向かって歩いていると、昔懐かしい昭和の看板がたくさん掲示されている建物がありました。

長府城下町のみどころである長府藩侍屋敷長屋や長府庭園には時間の都合で立ち寄りませんでした。

この後唐戸市場などに移動しました。その様子は後日掲載します。

■Youtube動画

「下関・小倉・門司の旅 その⑤」へは以下のリンクからどうぞ

■SNSアカウント
■ウェブサイト「かまふち」
https://www.shonan-kamafuchi.com/
■「X」(ツイッター)
https://twitter.com/sho_kamafuchi/
■インスタグラム
https://www.instagram.com/sho_kamafuchi/
■ユーチューブ
https://youtube.com/@sho-wi6qt?si=pB8SNdhGf7A1wv46

いいなと思ったら応援しよう!

sho@かまふち 管理人|国宝・城・世界遺産・日本酒… ありがとうございます!ホッピーを買おうと思います。