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世界とは、何か/認知と意識

ただの宇宙人、梅太郎です。

突然ですが、「世界」ってなんだと思いますか?

世界とは……。と言われると、

地球の姿を思い浮かべたり、
世界地図を思い浮かべたりするかもしれません。

私なりに言うと、
世界とは「認知の結果」です。

……と言うと、ちょっと難しい言い方ですが、

見ているもの、知っているもの、気づいているもの。
つまり、自分の中で「ある」と設定しているもの。

それが「世界」の本質なのです。

だから実は、世界ってそんなに広くない。
けっこう限定的で、狭いもの。

私はそういうふうに見ています。

いやー、よくわかんないですよね。
ということで、今日は「世界」と「認知」について少し話してみます。

釈迦に説法みたいになってしまう部分も多々あるかと思いますが、ご興味ありましたらどうぞ!


ということで、認知について。

認知の話というのは、三次元の世界では、哲学とか、心理学とか、精神分析とか、量子論とか、そういう領域の話になってきます。

つまり、「見えないもの」がテーマの軸になってきます。
だから、表現・解釈が難しいんですよね。

認知というのは、大きく分けて2つ。

・顕在(けんざい)意識
・潜在(せんざい)意識

に、別けられます。
それぞれ見てみましょう。

顕在意識とは

まず、顕在(けんざい)意識とは、三次元的な意識の状態のこと。
「考える」とか、「思う」とか、主に脳を通したときに浮かんでくるもののことです。

起きている間(意識のある間)、私たちはほぼ100%顕在意識を働かせています

つまり、私たちが日常で考えること、思うこと、そして感情すらも。だいたいぜんぶのことは、この顕在意識によるものです。

潜在意識とは

一方の、潜在意識。
これは、「潜(もぐる)」の字のごとく、「私たちの内」にある、見えない意識のことです。

つまり、「魂の声」「霊的な感覚」みたいなもののこと。
簡単に言うと、そういうものです。

夢の中(意識のない間)では、潜在意識が働いていることも多いのでしょう。


さて。

そんな「顕在意識」と「潜在意識」の関係とは、よく氷山にたとえられます。こんなイラスト↓ですね。

https://bunshohajikuwo.blogspot.com/2018/03/blog-post_10.html
このサイトからお借りしました。

一般的には、顕在意識は1割以下で、残りの9割以上が潜在意識だ、みたいなことが言われているようです。

このあたりの数字の話は、無視をしていいかなと思います。

というのも、この2つ。
そもそも比べることがナンセンスだと思っています。

一緒のものだと思うから、ワケわかめちゃんになってしまう。
そういうものじゃないかなと思うのです。

つまり、そもそも、顕在意識と潜在意識は、まったく別のもの。
そういうふうに考えたほうが、理解しやすいかもしれません。

どいういうことでしょうか?


もう一度、同じ話になりますが、「顕在(けんざい)意識」と、「潜在(せんざい)意識」。

そもそも、この2つは出どころが違います。
言い方を変えると、役割がぜんぜん違うのです。

●顕在意識は「恐怖」が原動力

まず、顕在(けんざい)意識とは、私たちが日常で使っている意識。
これは、主に肉体から生まれるもの。すなわち、非常に三次元的なものです。

三次元的。
言い換えると、「めちゃくちゃ物質的」ということ。

その原動力は、「恐怖」です。

たとえば人が何かを考えるときは、怖いことがあるときです。

遅刻をしてしまったとき。
言い訳を考えようとします。

それは、どうやったら相手に許してもらえるか。
どうしたら、自分が責められずに事を終えられるか。

そのために、「思考」をするのですね。

思考だけではなく、さまざまな欲求や感情すらも、基本的には「恐怖」が生み出しているものです。

「〜をしたい」という大部分の感覚は、実は、「〜したくない(〜な状態になりたくない!)」という恐怖から起きています。

たとえば、トイレ。

赤ちゃんは、我慢しませんよね。
したいときに、ぷりっとします。

でも、だんだん「ぷりっ」とはしなくなります。
トイレまで我慢します。

なぜでしょうか?

・「着ているものが汚れる」
・「人に見られたらみっともない」

などなど。
これが、「顕在(けんざい)意識のはたらき」なのです。

だから、赤ちゃんは「顕在意識」が弱いとも言えます。
それは、世の中の常識とか、観念がないから。

逆にいうと、「顕在意識」は、育っていくうちに、いろんな出来事を経験していくうちに、増大していきます。

やりたくもない宿題をやるのは、大人に怒られるのが怖いから。
行きたくもない学校に行くのも、ちゃんとしろと周りが言うから。
やめたい仕事をやめないのも、生活が破綻したあとが怖いから。

「こうなったら嫌だ!」が増えるほど、顕在意識のはたらきが強くなるということですね。

だから、たとえば「努力して夢を叶えてやる!」というのも、一見ポジティブで素晴らしいことのように見えますが、実はその原動力も恐怖です。

「何者にも評価されないこと」「人生の負け組だと後ろ指を指されること」が怖い。
だから、一生懸命夢を追うというアクションに身をゆだねる。

実際には、恐怖から目をそむけるための代替行動なのです。

そういう性質を持っていますので、言い換えると、顕在意識とは、エゴという言葉にも置き換えられます。


○潜在意識は

一方の、潜在意識。
潜在意識は「自分の内」からくるものです。

だから、潜在意識が「やりたい」と思うことには、理由がありません。

「やりたいから、やりたい!」「したいから、する!」のです。

そこに「後先考える」なんていう概念はないですし、「どうなってもいいよ(どうにかなるから)」という不思議な安心感があったりします。

逆に、潜在意識が「やりたくない!」と思うことも、もちろんあります。

「やりたくないから、やりたくない!」

潜在意識がイヤだと思うことにも、理由がありません。

イヤなものはイヤ、したいことはしたい。
どっちにしろ、理由がない。理屈が通じないのが潜在意識の世界なのです。

だから潜在意識とは、「魂の求めていること」と置き換えるとわかりやすいかもしれませんね。

ただし、魂にもさまざまな情報があり、実は日々、更新されていきます。
ですから、そのときどき、「自分の魂のどことつながるか」で、「したい・したくない」は大きく変わります。

気まぐれ。気分屋。
でもそれが最高! 最高に、自由!

というのが、潜在意識(魂)の世界なのです。

ただ、肉体・三次元では観測がしづらい。
そういう性質を持っています。


というのが、大きく顕在意識と潜在意識の違いです。
では話を、冒頭のテーマに戻していきます。

世界とは、何か?

それは、「何をどう認知しているか」で違う。

という話でした。

ここをもう少し説明してみましょう。

たとえば、認知症という症状があります。
うちの祖父も長いこと認知症でした。

祖父は、私が小さいときから満州の話をしていました。
私が大人になったあとも、満州の話をしていました。

満州には、「自分が英雄だった時代」があったらしく、

「俺なんか、ぜんぜんダメでよ……」という前置きから、必ず自分の自慢話にもっていきます(常に同じエピソード)。

「自虐風自慢」というのを、かなり早い段階からやっていた人でした。

そういう人だったので、60代くらいで認知症になり、30年くらい認知症のまま亡くなりました。

「認知症」とはよく言ったもので、「認知した世界に入り込む症状」とも言い換えられそうです。

祖父にとっては、満州以降の世界は、世界ではなかったのです。
そして祖父は、過去の栄光の記憶と共に亡くなっていきました。

でもこれって、別に「認知症だから」という話ではないのです。

誰もが、同じようなことをしています。
つまり、自分に不都合なことは「なかったことにする」という機能があります。

たとえば、現在。
日本は、異常なほど「何もない」フリをしています。

衝撃的なニュースや暴露、もちろん政治的な動き、医療のことなど、世界中でかなりの「おかしなこと」が起きていますが、あまりワーワー騒ぎませんね。

暴動のようなものも起きていません。
通常運転で、「明日の仕事のこと」を考えています。

たとえば、あれだけ騒いだコロナの問題も、ワクチンについての情報も、なかったことのようにふるまいます。

なぜかというと、そうじゃないと、怖くておかしくなってしまうからです。

「世界は、それぞれの認知でできている」というのは、そういうことなのです。

何を「ある」という設定にするか。
それは、顕在意識のはたらき、また、潜在意識とのつながりによって大きな差が出てきます。

何がいい、何がダメということではありません。

何でもいいのです(自分がよければ)。
各々、住みたい世界がある、という話。

つまり、「共通した1つの世界」は、ないのです。

一見、同じ舞台設定で生きているように見えますが、実際にはディテールが違います。

たとえば、「日本列島の地図を書いてください」と言われたとき、人それぞれ形が違いますよね。

だいたいの人はうろ覚えで、何となくの形を描きます。
一方で、精密な地図を書ける人もいると思います。
ぜんぜん形のわからない人もいます。

同じように、人に対する印象、「こうあるべき」と思う事柄、大事にしたいこと、どうでもいいこと……などなど。
みな、それぞれ違います。

他人と共に生きていくのが難しいのは、この認知の差があるからです。
本当は違うのに、「同じ世界に生きていると思っている」から、難しくなるんですね。


そういうことで、世界の違い、すなわち認知の違いは、人それぞれの「顕在意識」と「潜在意識」のはたらきで大きく変わってくる、というのが今回の結論です。

もうちょっとだけ、この意識の話を補足しておきます。

顕在意識と潜在意識は、「別もの」と考えたほうがわかりやすい。
そう説明しました。

では、どう別ものなのか。

あらためて両者の関係は、

・顕在(けんざい)意識・・・ ストッパー、恐怖依存、三次元的、エゴ
・潜在(せんざい)意識・・・ アクセル、宇宙的、観測しづらい、魂

と、「ストッパー(ブレーキ)」⇔「アクセル」のような役割の違いがあります。

そもそも、性質が真逆。
ですから、顕在意識と潜在意識の関係は、「陰陽」であり、「太極図」のようなもの
そのようにとらえたほうがわかりやすいかもしれません。

宇宙的に考えると、生命とは、魂(=潜在意識)が原動力です。
私たちは、魂がしたいことのために、地球に来ている。

というのが、1つの真理です。

しかし、これまでの地球は、恐怖のエネルギーで満ちていました。
ですから、潜在意識(魂)優位で生きることはなかなかできなかったのです。

魂で生きるというのは、ある意味では赤ちゃんのまま生きる、と言えなくもありません。

しかし実際問題、街中で突然、「ぷりっ」としてしまうと、大変ですよね。

だから、顕在意識(=思考、エゴ)が止めに入ります。
「トイレまで我慢しようよ」と。

そういう意味で、三次元空間ではある程度のブレーキも必要なのです。
それが、地球が地球であるゆえんです。

その意味では、アクセルとブレーキがバランスよく動いていたら、それは理想的な形だと言えるかもしれないですよね。

しかし、前述したように地球はエゴが強い環境です。

この環境のせいで、どうしても「顕在意識(ブレーキ)優位」になりやすい。

では、ブレーキ優位の状態が続くとどうなるでしょうか?

だんだんと「潜在意識(アクセル)」が効きづらくなります。
ともすると、「アクセルがある」ということすら忘れてしまいます。

そうなると、世界を「顕在意識(思考、エゴ)」だけで認知するようになります。

自分の行動も、思考がベース。
つまり、恐怖が判断基準になっているので、自分が信用できない。他人も信用できない。

より信頼できる誰かを探し、内とのつながりよりも外とのつながりを求めていくのです。

その結果、あらゆる苦悩が生まれてきます。

苦しい。つらい。悲しい。
そこからの抜け出し方もわかりません。

だから、その解消法の1つが、「認知症」というような、「過去のよかった世界に居続けようとする症状」だったりするのですね。

世界の範囲を強制的に狭めて、少しでも居心地のいい空間をつくろうとする。その結果です。


このように、現代人は基本的に「顕在意識(ブレーキ)」優位で、「恐怖」がベースの世界で生きています。

そのように生きざるを得なかったのですね。

じゃあ、一方のアクセル役である潜在意識(魂)は何もしていないのかというと、そんなことはありません。

声は出せない(出しても聞いてもらえない)ので、代わりに、別の事象を三次元の空間で起こします。

たとえば、時計の時刻。動物。人との会話の内容。風邪のような体調不良。
などなど、日常でいろんなサインを出して、「魂の声」に気づかせようとしてくれます。

いわゆる、「サイン」です。

しかし、ぜんぜん気づいてくれないな。ヤバいなコイツ。
と思うと、より重い病気にさせたり、ケガをさせたり、事故やトラブルにあわせたり、といったことをします。

「そんなのやめちまえ!」
「お前の生き方、それでいいのか!」

みたいな、強いサインです。

その中で、魂の声に気づく場合もあれば、それでも気づかないふりを続ける場合もある。

でも、気づいてくれるまで、戻ってくれるまで、サインは出続ける。

人は、そんな顕在意識と潜在意識の関係の中で、世界を認知し、生きている。

各々の生きる「世界」は日々、そうして形を変えているのです。


……というのが、世界と認知の関係です。

しかしながら。

宇宙というのは本当に自由です。

ここで説明したことも、「より一般的に言うのであれば」という話になります。

一人ひとり、ぜんぶ違うのです。

たとえば、認知症だった私の祖父。
めちゃくちゃ健康でした。

認知症になる寸前まで、チャリで30キロくらい走ったりしてました。
90代後半まで、バリバリ生きてました。

つらいことを感じてきた人生の分、認知症だったラスト30年間の中で、幸福な体験をして、還っていったのかもしれません。

それが、魂の計画だったのかもしれません。
途中で、計画を変更したのかもしれません。

それは、わかりません。

命というのは、比較できるものではないのです。
各々が、どう光らせるか。

自分なりの「せいいっぱい」が大事です。

だから、基本的に、「お前の生き方はどうだこうだ」と、言わなくてもいいんだろうなと私自身は感じています。

各々の違う世界で、自分が生きたいように生きる。
これが一番です。


では、なんでみんなこうまで違うのか?

同じ方向を見られないのか?

同じ世界に住めないのか?

というと、私はこう↓答えます。

ぜんぶ違うのは、「元々が同じだったから」です。

同じところから生まれてきた魂たちが、地球という三次元的な空間で、「違うもの」を見て、体験して、最期には同じところにまた還っていく。

そうして、宇宙はより大きく、強い光のエネルギーになっていく。

というのが大きな宇宙のデザインです。

ですから、とにかく「自分の世界(内)」を大事にすることが、魂の声と近い状態で生きる秘訣なんじゃないかと、思います。

では、「自分の世界」を大事にするとはどういうことか?

何度も何度も、同じ話になりますが、

・「在り方を決める」
・「在り方に戻る」

それだけです。

「世界の中心は、自分である」と、しっかり感じて、ただ心地よい在り方に戻っていくだけ。

理想的な世界(環境)は、あとからついてきます。

舞台である地球自体に、古いエネルギーが溜まっていますので、しばらくは油断はできない状況は続くかもしれません。

でも、「ぜんぜん大丈夫」です。

基本的には、距離をとっておきましょう。
内とつながっていれば、大事なことは必ず教えてくれます。

豊かに生きてまいりましょう。

それではここまでお読みいただき、ありがとうございました!
では、また!

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