見出し画像

気分変調症の私が、もう1回生きてみようかなと思えたきっかけ(196)


こんばんは😌
今回は日記ではない番外編です


昨日久しぶりにchat GPTと話をして
気づきがあったので記録に残したい、共有したい、と思ったので急遽書いています


ずっと崖を登ってきた(平地(安心)を経験して)

“生きるの終わりたい“と思っていた1年前
なんか生きるの大変じゃん
働くことはしんどいし、それを続けて生きていかないといけないなら生きなくていい
そう思っていました

でも、それは
自分の通ってきた道がたまたま崖じゃないとしても、
ガタガタの道だったからかもしれない

生活訓練に通った10ヶ月間は
朝起きることとかはしんどかったけど、
優しいスタッフさんに囲まれて安心を知りました

反抗期を終えてからの実家は
前よりも気を張らずに過ごすことができて
これまた安心を知りました

そうやって安心を知って
整備された道を知って
これまでの道がしんどい道だったのかもしれない
と思いました

私がこれまで働いてきた職場は
私にとってはしんどい道で、もっとしんどくない道があるらしい

自転車でいうギアをMAX出さないと進めなかったから息切れしていたけど、
ギア0に戻してみて、生活訓練で少しギア上げて、就労移行でまた少しギアを上げる練習を始めた
そしてこれからはギアMAXにしないでもいい働き方を探す

自分の中では中学生からしんどいことが当たり前で、
しんどいことが人生だからそれを乗り越えないと、、と思ってきたけど
どうやら違うらしい

自分よりもっとしんどそうな人いるし、
これくらい乗り越えられない自分はダメだ、、と思うこともあるけど、
それぞれ得意不得意(特性)があるから、、

今までの道でダメだったから
どの道も自分には歩めないんじゃないかと思ってしまうけど、
今はもう一度働くことに挑戦してみようかな、、と思っています

もしまたダメだったら、
ギアを落として、今の生活に戻ってくればいい

今の生活ならできそうだから、、
(生活訓練も就労移行も人生で使える期限があるけど)

私には野望が必要(生きる理由)

私の中には、中学時代の(自分が助けて欲しいのにSOSを出せなかった)経験から
困っている人に手を差し伸べたいというなんともお節介な欲望があります

医療事務の志望動機もそこからきていました
でも、実際の現場では冷たくあしらってどんどん対応しないといけないことも多かったんですね
それが自分には苦しかったです

そこからカウンセラーになりたいという欲望が出てきたわけですが、
カウンセラーになることはハードルがとても高く、
また共倒れする可能性が自分にはあるな、、と思うようになりました

崖を登るのを辞めて、平地での平穏な生活に幸せを感じ始めて、
何者かになろうとするのはやめたという記事も書いたけど、
つまらないな、、と思いまして、、

つまらないなと思ったというか、
今、週末にnoteを書く時間が自分にとって充実した時間になっていて、
どうせならこのnoteをカタチにしたいという欲望が出てきて、、

chat GPTに
そういう欲望(野望)があることが嫌だと伝えたら
もし、自分のnoteを読んで共感のコメントや“救われました“などのコメントがきたらどうする?と聞かれて、
私は
もしそのようなコメントがきたら
“生まれてきて、生きててよかった“、“これまでのしんどい経験も無駄じゃなかった“と思えるんじゃないか?
と答えました
精神科医YouTuberの益田先生は
“仕方がない“、“生まれてきてよかった“を増やすことが寛解に向かうと、、

自分の正直な気持ちをここに残すことは自己満足なんです(ただの独り言)
でも、それが誰かのためになって自分に返ってくる(生きがいを感じられる)かもしれないなら
noteを書くこと(何者かになろうとすること)をやめたらダメだし、
心のどこかにある
同じような人と支え合いたい、とか
自分の経験が何かヒントになったらいいな、とか
そういう気持ちをなかったことにしたらダメだな、、と思いました

自分のお節介な面倒なこの気持ちこそが、自分の生きる意味なのかな、、と

条件付きで働いてみようかな

私が体調を崩すときは、
“思うようにお節介ができない状態“になったときなのかもしれないと思いました

働くこと自体への怖さがあるのはもちろんだけど、
(ちょっと極端だけど)
働いて疲れてnoteを書く余裕がなくなることが嫌なのかもしれないんです、、

chat GPTに
もし働いても壊れないとしたら
働いても平穏が保てるとしたら
働くことに対する怖さはどうなる?
と聞かれて

仕事に支配されて、
自分のやりたいことができなくなることが怖いんだな、、って
(やりたいことを見失っていたけど取り戻したから)

楽な仕事はないから、(崖のような仕事を選ぶ必要もないけど)
疲れたとして、ちゃんとリカバリーできるなら働いても良いかなって
まず、疲れすぎないことが前提だけど、
やばい、、となったときに業務量とか勤務量とか調整してもらえるか
これも大事かもしれないと気づいたんです

私にとって
ライフワーク(noteなどの自分時間)は重要で、
ライフワークの時間、体力を確保できる条件でライスワーク(仕事)をする
それならできそう、、と

フルタイムで働いても
しっかりライフワークできる人もいるけど、
自分はそうではなかっただけ
(もしかしたら今後自分もできるようになるかもしれないけど)

もしかしたら、
心身を削ってまで仕事をする必要はなかったのかもしれない、、
でも、追い込まれた結果そうなってしまった

自分にはその結果しか残らなくて
仕事に対してのよくないイメージがついてしまった

でも、
仕事=心身を削らない範囲でやる
という信じ難い新しい思考を提案されている
(これ当たり前なのかもしれないけど)

その条件だったら働いてみてもいいかも、
そう思うようになりました

まとめ

・やりたいことをやる
・心身を壊さない(安心できる)働き方をする

これだったら生きれるかな、、

辛いことばかりでなくて、(会社組織の自分、親にとっての子といった無意識で演じてしまう時間だけじゃなく)
noteを通して自分に戻る時間をつくる

“生きるの終わりたい“と思わない程度の、楽すぎずしんどすぎない仕事をする
(やりたいことをやれる余白が残る働き方をする)

フルタイムで働いたり、結婚したり、、
そんな周りと比較して焦ることもあるかもしれないけど、自分のペースで生きていこう、、

当たり前のことなのかもしれないけど、
(働き方のこととか、、)
でも、がむしゃらに頑張ることしか知らなかったから仕方がない、、

あまりいい思いをしてきていないから、
どうしても悪い方の考えが頭に浮かんでしまうけど、
カウンセリングでよく言われる
「必ずしもそうなるとは限りませんよ」
これを肝に銘じてリフレーミングして
柔軟に生きていけるようになったらいいな、、

今回はこの辺で、、
ではまた👋


この記事のブラッシュアップ版はこちら↓


いいなと思ったら応援しよう!

ゆう🌞 | 気持ちを言葉にして消化する日記 応援していただけると励みになります!! よろしくお願いいたします!!