第1話 すべてのはじまり①(メイド✶アリサ―Wishmoreな学園日記)
ティーセットの乗ったトレイを手に、目の前にある扉をノックする。
午後三時。あたしは、この時間が大好きだ。
なぜなら、それは……。
「お嬢様、おやつをお持ちいたしました」
そう! 愛するフリィジアお嬢様とお話しできる、至福の時間だから!
すぐに扉が開き、それはもう美しい方が顔を出した。
「アリサ、いらっしゃい。さあ、入って」
雪のように白く滑らかな肌。長い睫毛に縁どられた、きらりと輝くエメラルドグリーンの瞳。腰元まである艶やかな髪は、日の光を溶かしたような蜂蜜色。爽やかな白いワンピースがよくお似合いだし、ふわりと微笑むそのお姿はまるで天使のよう……!
ああ、なんて可憐なの!
眼福とは、まさにこのこと……って、いけないいけない。
「失礼します」
メイドらしく一礼して入室すると、お嬢様がちょっと不満げなお顔で扉を閉めた。
「いつも言っているけど、そんなに畏まらなくていいのよ? 敬語を使う仲でもないでしょう?」
「いいえ! お嬢様はあたしの天使なんですっ! いくら付き合いが長いからって、ため口なんてとんでもない!」
「……まぁ! ……ふふ、アリサの方がよっぽど天使みたいなのに」
お嬢様は楽しそうに笑うと、三つ編みにしたあたしの髪をそっと手に取った。
「この黒髪も、その黒い瞳も……濁りひとつないもの。本当に綺麗」
優しく見つめられた。
ああだめ! 顔が勝手にニヤけちゃう!
もう十八なのに! ちっちゃい子どもなみに感情丸見えになるの、どうにかしたい!
「……お嬢様ぁ……これ、なんのご褒美ですか?」
あたしは顔が緩みすぎてぶっさいくにならないように気をつけつつ、お嬢様を見上げた。
ちなみにお嬢様は十七歳。あたしよりずっと大人っぽいし、すらりとしていて本当に素敵っ!
……あ。お嬢様の身長が特別高いわけじゃなく、あたしが低身長の幼児体型なだけ……って、ぺっちゃんこな話は、今は関係ないか。
「ふふ。ご褒美もなにも、本当のことを言っただけよ? ……ああ、ごめんなさいね。トレイ、重かったでしょう?」
「いいえ、全然!」
あたしはにっこり笑って、猫脚の丸テーブルに、ティーセットと焼きたてのキャロットケーキの乗った皿を並べはじめた。
数はふたつ。お嬢様と、あたしの分。
「それにしても……ふふ、メイドがお嬢様とお茶会を楽しむなんて、普通じゃありえないですよね」
薄いピンクで小花模様が描かれたアイボリーの壁に、キャメル色の小ぶりな家具たち。お嬢様によく似合うこのお部屋で、あたしたちは何度お喋りを楽しんだだろう。
「ふふ。たしかにそうかもしれないわね」
椅子を引いて座ったお嬢様に倣い、あたしもテーブルを挟んだ正面へと腰かける。
すると、お嬢様がじっとあたしの目を見つめた。
「だけど、忘れないで? 私はアリサのことを使用人だと思ったことは一度もないわ。あなたは私の……大切な、お友達よ」
噛みしめるように『お友達』と仰ったお嬢様に、ぎゅっと胸が熱くなる。
――〝『わたしと、おともだちになってくれる?』〟
八年前にいただいた言葉は、今でもはっきり覚えている。
あの日から、あたしの人生は変わった。……ううん、お嬢様に変えていただいたんだ。
何ひとつ持っていなかったあたしに、優しさとか、愛情とか、そういうあたたかいものをたくさん贈ってくださったフリィジアお嬢様。
どんなことがあっても、あたしはこの方の笑顔をお守りする。そう決めてる。
「ありがとうございます、お嬢様」
決意も新たに明るく微笑みかけると、お嬢様もすぐに笑顔を返してくださった。
「こちらこそ、いつもありがとう。さあ、紅茶が冷めてしまうわ。お茶会を始めましょう」
「はいっ!」
ああ、幸せだなあ……。
だけど、こんな風に一緒に過ごせるのもあと少しか。
輪切りのレモンが入ったティーカップへと、紅茶を注ぐ。その綺麗な琥珀色を見ているうちに、なんだか切なくなってきた。
お嬢様は、来月から全寮制の学校に入学される。
その名も、フローラ芸術学園。
芸術の国と謳われるこのヒューバーラントにおいて、間違いなく最難関の学舎だ。
お嬢様は、そんな学園の美術科を受験し、見事合格された。
まあ、当然だよね!
だって、お嬢様の描く絵画はあたしなんかの語彙力じゃ表現できないほど素敵なんだから!
それに、とっても努力家なの。
受験の前にはこのお部屋のいたるところに画材やデッサンが散らばっていて、あたしもお夜食を作ったり、恐れ多くも作品の感想を伝えたりし……あれ……たった二か月くらい前の話なのに、なんだか遠い昔の出来事みたい……。
二か月でこれなのに……。
フローラ芸術学園は三年制。
しかも、長期休暇の時にしか、基本的に帰省は許されないらしい。
……。
「……三年……長いなぁ……」
はっとしたけど遅い。お嬢様がクッキーをつまんでいた手を止め、あたしを見つめている。
「すみません! つい、声に出しちゃって……」
ああ、あたしのバカ! 優しいお嬢様のことだもん、こんなこと言ったら困らせちゃうに決まってるのに!
幼い頃は、お体が弱かったというお嬢様。
あたしが屋敷に来る前は、いつもこのお部屋で一人きり。絵を描いたり、読書をしていたって聞いてる。
そんなお嬢様が、初めてお屋敷から遠く離れた場所に足を伸ばし、新しい人間関係を築いていく。それって、すごいことだ。
お嬢様がこれから先、希望に満ちた人生を歩まれると思うと胸があたたかくなる。
ああ、なんだか涙が出そう……。あたしってば、かなり情緒不安定だ。
「――お嬢様。あたし、お嬢様が誇らしいです。あなたにお仕えできてよかった」
「アリサ……」
「すっごく寂しいですけど、ここで帰りを待っています。楽しい学園生活を過ごしてくださいね。お土産話、期待してますから」
メイド服の裾で目元を拭い、にっこり笑った……つもりのあたしを見て、お嬢様が息を呑んだ。何か言いかけて、唇を結んでしまう。
「お嬢様? どうかされましたか?」
「……いいえ、ありがとう。私が留守の間、お父様のことをよろしくね」
「はい! お任せください!」
春の日差しが差し込むお部屋で微笑み合った、お嬢様とあたし。
こんな穏やかな日々が、戻ってくるものだと思っていた。
あの話を聞くまでは――。

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