天井にかざしたボールペン
インクの切れたボールペンを、寝ながら天井に向けて眺めてたあの夏。
高校生のとき、シャーペンをやめてボールペンにした。
きっかけは、予備校の先生のひと言だった。
「シャーペンだと、消せちゃうでしょ。
でもボールペンは消せない。インクがなくなるまで使ったら、自分のやってきたことが“見える”んだよ。使い切ったペンは、自信になるよ」
その言葉は、帰り道にもずっと耳に残ってた。
うん、それ、ちょっとかっこいいなって思ったのかもしれない。
それから私は、お小遣いを黒のボールペンにつぎ込むようになった。
文房具コーナーでちょっとでも書きやすいものを探して、ペン先の太さにこだわって、ひたすらノートや教科書に書き殴ってた。
使い切ったボールペンは捨てずに、お菓子の缶に入れてとっておいた。
1本、2本、と増えていった。
それを見て、「私、ここまではやってる」って、自分に安心を与えてた。
でも、ある日、急に身体がおかしくなった。
食べても、吐いてしまう。
立っていられなくなって、椅子に座るのもしんどくて、横になる時間がどんどん増えていった。
執念で授業を受けてはいたけど、自分の身体がどこまで頑張ってくれるのか、まったくわからなかった。
大学病院で検査を受けて、病名がついた。
制服のまま聞いた医師からの説明に、なんだよ、ふざけんなよ。そう思ったんだ。
それは、精神的なものじゃなかった。
消化器疾患の病名は、私を打ちのめすには十分だった。
でも正直、それよりも悔しかったのは、同級生たちが前に進んでいく中で、自分だけがどんどん後ろに下がっていくような感覚だった。
“しょうこって何でもできるね”
クラスメイトから言われるセリフの裏で、毎日勉強してるからねとは、いつも答えなかった。
看護師になりたい理由は、全国どこでも働けてある程度の収入が見込めるから。
医師から言われた病名に、看護師として働く映像はどんどんかすんでいった。
「このまま落ちていくんじゃないか」
「いつまで上位にいられるんだろう」
「気づいたときには、名前がどこにもなくなってるんじゃないか」
「置いていかれる」「抜かされる」恐怖って、こんなに苦しくて悔しいんだなって思った。
その頃の私は、ベッドの上で天井を見ながら、ずっと考えてた。
“このまま受験すらできなかったら、どうしよう”
“もし治っても、もう追いつけないかもしれない”
本当は寝ていた方がよかったのかもしれない。
でも、「せめて、数式ひとつだけでも覚えよう」って、教科書を開いた。
横になったまま、文字を追う。ページが進まなくても、追ってることが自分への安心だった。
その日も、教科書の端っこに式を書こうとした。
カバンの中から、黒のボールペンを取り出して、ちょっと笑った。
あの時の予備校の先生の言葉を思い出しながら、ボールペンを天井にかざす。
これ使ってるんだよな。
ずっと持ち歩いてるんだよな、私。
すこしだけ入ってるボールペンのインク。
でも、インクが出なかった。
ぐっと押しつけても、角度を変えても、カスれたままだった。
なんでだよ、と思って、ふっと力を抜いたら、そのまま涙が出た。
使い切ってたんだ。
知らない間に、インク、なくなってたんだ。
あんなに「止まってる」「遅れてる」って思ってたのに、それでも私は、毎日ちゃんと闘ってた。
誰かに見せるためじゃない。
自分に「大丈夫だよ」って伝えてくれてるみたいに、インクは減ってた。
あのときのボールペン、今はとっくにない。
もう一滴も出ない、あの頃の手に馴染んだ感覚は、まだちゃんと残ってる。
書くって、似てるなって思う。
言葉が出てこないときもあるし、誰かに置いていかれた気がする夜もある。
誰かに対して悔しさを感じる日だってある。
何かを綴ろうとしても、うまくいかなくて、自分が情けなくなる日もある。
でも、それでもnoteを開いて、画面に向かってる。
必死に何かをつかもうともがいてさ。
知らないうちに、インクがじわじわと減ってる。
気づかないうちに、何本ものボールペンを使いきってるかもしれない。
そのことを、自分でちゃんと気づいてあげてほしい。
うだるような暑さの中で、身体も心もくたびれて、やさぐれたいと思う時なんて数えきれない。
そんなとき、私はあの夏を思い出すんだ。
ボールペンを天井にかざしてた、あの頃を。
治療をしていた大学病院で、白衣を着て働いていた時期がある。
かつて、患者として通った場所。
ボールペンを握る手に点滴の針が刺さっていた、あの夏。
「立ってるのもしんどい」と感じていた場所で、次は自分が走っていた。
立ってられない人たちに、たくさん出会った。
ねぇ、高校生のあの頃私は患者側だったのにね。
でも私は、寝転んだままボールペンを握って、教科書に向かってた。
誰かに見せるためじゃなく、自分に「大丈夫」って言いたくて。
天井にかざしたボールペンは、最後まで黙ったままだった。
ねえ、書いてるあなたも、きっとそうでしょ?
あなたの言葉は、もうちゃんと、あなたを支え続けてるよ。
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