父の記憶と水玉と|エッセイ
返事のできない一通を、いまでも、つい開いてしまう。
里芋の葉の上に、ひと粒の水がある。幼いときから、ころころ動く水玉を眺めているのが好きだった。ジョウロで水をかけたら、頬を膨らませて、思いきり水玉を吹く。一瞬ちりぢりになるけれど、また葉の真ん中に集まってきて、ぷっくりと盛り上がる。
足元が濡れてくると、泥で団子作りを始める。両手でぎゅっと握って、端から並べる。不格好な団子に飽きたら、また水玉へ。葉が汚れたら、もう玉は結べない。おしまいの合図。
***
実家の隣には、父の畑があった。
畝はいつも、定規で引いたように真っ直ぐで、とうもろこしも大根も、その線から外れることはなかった。
定年を迎えると、父は、趣味の畑と釣りにいっそう熱を注いだ。収穫のたび、娘たちのもとへ野菜が届く。朝採りのとうもろこしは、皮をむくと、湿り気を帯びたひげが指に絡む。鍋で茹でるだけで、台所に甘い匂いが立ちのぼった。
釣りのクーラーボックスは、宝箱だ。子どものころ、私はよくその上に座っていた。夕方になると、近所の人に魚を奪われるからだ。父がいない隙に、「今日はなんも釣れてないよ」とおばちゃんを帰したことも、一度や二度ではない。父は、何も知らない。ひょいと私を抱き上げて横にやる。大きな黒鯛だけが、台所へ運ばれていく。
鉛筆も箸も右手なのに、刺身包丁を握るのは、左手だった。すうっと刃を滑らせ、身を薄く引いていく。その手元から目を離せなかった。そして当たり前のように、父は、また近所へ配っている。さっき帰したはずの人にも、ちゃんと。私の店番は、なんだったのか。
それでも鯛は、食卓にたくさんのぼる。ふくれっ面は、鯛より先に消えた。初日はコリコリと締まって、二日目は角が取れて甘い。最後は決まって鯛茶漬け。わさびと海苔に胡麻を添えるだけ。
昭和の男にしては、父は台所によく立つ人だった。定番は、黒砂糖と重曹の蒸しパン。蒸し器から湯気がもくもく立ち、蓋を開けると、茶色いかたまりがどんと現れる。ざっくり三角に切り分けて、みんなで頬張った。黒砂糖に当たると、「アタリだ」と声があがる。たまに重曹が苦い。何個も食べてしまう。
学校から帰ってくると、私はよく畑へ行った。夏の里芋の葉はみずみずしく、雨上がりはとくにいい。しゃがみ込んで、真横から水玉を眺める。ふくらんだそれは、光をためているように見えた。触れても、潰そうとしても、つかまえられない。靴は土に沈みこみ、少し汚れる。
一度だけ、この葉を叩いたことがある。父に叱られて、家を飛び出した日だ。両手で、何度も。かわいそうだと、わかっていた。それでも、止まらなかった。葉は二つに破れ、水玉は飛び散って、手のひらが赤く腫れた。何に叱られたのかは、いまも思い出せない。葉を破ったことだけを、覚えている。
それから、いくつもの夏が過ぎた。
私は家を出て、結婚し、母になった。
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夏の暑さがやわらいだ夕方だった。
父は、以前より小さくなった畑に水をやり、近所の人と言葉を交わしてから、家に戻る。ただ母だけが、父の顔色を気にしていた。三年前に大きな手術をしていたから、早く休むようにと声をかけていた。
その夜、電話があった。
父が亡くなった、と。
救急車で運ばれ、手は尽くしてもらったが、間に合わなかった。
そのあとの記憶が、ぽっかりと抜けている。息子に話しかけられて、はっとした。いつも、じいじの後をついて歩いていた麦藁帽子が、ここにいる。
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じいじとの夏。田舎の朝は早かった。息子は、まずカブトムシの罠を見に行く。戻ると、漢字と計算のドリル。口を尖らせながらも、鉛筆は速い。終われば遊べるとわかっているからだ。
おやつは、変わらず三角の蒸しパン。特に教えたわけでもないのに、黒砂糖に当たると、この子も「アタリだ」と声をあげる。父は釣りの支度をしながら、それを眺めていた。手が止まると、ずり落ちた眼鏡の奥から目が合う。小さく笑う。また鉛筆が走り出す。
蝉の声を抜けて、息子が畦道を駆けた。川の水は、どんなに暑い日でも、手足がしびれるほど冷たい。陽が砕けて光の粒になる。すくおうとしても、指のあいだをすり抜ける。泳ぐのは、いつも橋の下。浅瀬では物足りない。本流からそれた溜まりが、子どもたちの格好の場所になる。
けれど、橋脚のまわりは、底が水に削られて深い。油断すると、本当に吸い込まれそうになる。明るい水面の、すぐ下で。その間合いは、父に教わった。避けるのではなく、そばで、呑まれずに遊ぶ。
もっとも、私には乱暴に映ることもあった。ある朝、息子の布団は空だった。麦藁帽子も虫籠もない。父と山へ行ったらしい。しかも、車中泊。連絡も取れない。二人のほかは、誰も知らなかった。帰ってきた父に、「勝手なことはしないで」と声を荒らげた。父の後ろに隠れる息子。その手は、虫籠をしっかり抱えていた。行きたかったのは、この子なのだ。
その春、中学受験が終わると、床の間に、大小のタモ網が二本並んでいた。最後に魚を手繰り寄せる網だ。一本は、孫の分だった。一年以上かけて、天然の木をしならせ、漆で飴色に仕上げてあった。父は、背丈を想像して作ったのだろう。
***
里帰り出産のときから、両親には世話になった。寝かしつけも風呂も、父はお手のものだった。言葉はきわめて少ないが、手はよく動く。息子は、そんな祖父に懐いた。高校生になっても、長い休みのたびに帰りたがる。一度決めたら譲らないところも、似ていた。
あの子は、一人で、高いところを目指していた。まわりは、無理だと言った。数字を並べて、親切に諭す人もいた。
本人は「大丈夫」と言う。
なのに私は、「大丈夫なの?」と訊いてしまう。
あげく、口をついて出た。
「東大なんて、無理だよ、一人で」
一瞬にして、水玉が飛び散った。あの日のように、手のひらがひりひりする。
——外で言われて嫌だった言葉を、私が言っていた。
塾のパンフレットが、いつのまにか増える。捨てればいいのに、台所の隅に積んでいく。何度も眺めては、また戻す。訊かずにはいられない。
あの子は決まって「大丈夫」と返した。同じ声で、同じ強さで。私が何度崩れても、崩れなかった。信じきれずにいたのは、私のほうだった。
***
父が生きていた最後の日。
午前中、実家とビデオ通話をしていた。たまたま画面の向こうに父がいて、こちらには息子もいた。一通り話したあと、急に息子の顔が真剣になる。
「東大を受けます」その声は本気だった。
私は、肩越しに口を出した。
「いや、でも、まだわからないから」早口になる。
「冗談よ、本気にしないで」そう言いながら、頬がこわばる。
違う。何を言ってるんだ。息子が、そう言ったのだ。それなのに、その場で、いちばん軽く扱ったのは私だった。
「そうか」父の声で、はっとした。
この人は、昔からそうだった。私がリレーのアンカーに選ばれたと伝えても、「そうか」。通知表も、賞状も、同じ返事。何を考えているのか、つかめない人だった。
ただ、いつも通りの「そうか」に、少しだけ、救われた。否定も、笑いもしなかった。私が先回りして張った予防線を、あっさりと崩した。
息子は、何も言わなかった。だから、謝れなかった。
***
父が急逝したその日、見慣れない通知が届いていた。
ガラケーで十分だと言っていた人が、母と同じものを持ちたいと、スマートフォンに変えていた。傘寿を過ぎての、初めてのおそろいである。それでも自分から送ってくることは、これまで一度もなかった。
初めて受け取った、父からのLINE。
開いたのは、訃報を受けたあとだった。
「応援してるよ」
それだけ。
きっと、孫に向けた言葉だろう。東大を受けると話したばかりだった。
今朝の「そうか」が、よみがえる。
——いや、今朝だけではない。
六文字が、にじんだ。
***
葬儀のあと、しばらく実家で過ごした。名義変更や、こまごまとした手続きに追われ、気づけば日が経っていた。父のスマートフォンは、契約だけ解除して、母がそのまま持っている。
おおかた片付いて、ようやく目に入ってきた。
父の畑。
畝の間から、あちこち雑草が顔を出している。真っ直ぐだった線が、ぼやけていた。里芋は、枯れかけている。
雑草を抜こうと思って、物置を開けた。帰省しても、開けたことのない扉。棚の上に、錆びついた赤いジョウロ。小さいころ、これで水をかけては、水玉を吹いていた。こびりついた土を払い、撫でる。
もう会えない。
初めて送ってくれたのに。なんだよ。
あの日、通知は届いていた。でも、開かなかった。
井戸水を引いたホースで、畑に水をやる。土がまだらに黒く濡れて、温度がやわらぐ。雑草を抜くと、指のあいだに、ひんやりとした土がもぐりこんだ。父も、こうしていたのだと思う。
ぐったりとした里芋の葉にも、水をかけてみる。黄色い葉を指で支えながら。いびつに広がった水玉。手を離したら、すべてが、土にこぼれ落ちた。
手が、止まる。
川辺で、何時間も竿先を見ていた人がいた。手が止まっても、急かさない。ただ、眺めていた。
孫を眺める父の姿が、ぴたりと重なる。あのころと、何も変わっていない。
葉のそばに、しゃがむ。もう、玉は結べない。
麦藁帽子が、畑の向こうへ走っていく。
あの六文字。
いまでも、つい、確かめてしまう。
