机という秘密基地|エッセイ
食卓というのは、次の食事が待つ場所だ。
昨日のカレーの跡を今日まで引きずるのはちょっと嫌だし、先週の焼き魚の思い出が木目に染み込むのは、できれば避けたい。使っては拭き、また使う。そうやって、毎日ちゃんとリセットされる。
一日の終わりには、パンくずも、カフェオレの輪じみも、味噌汁のしずくも消えている。布巾をひと滑りさせれば、まあ、なんとか「本日の営業終了」である。
ところが家には、一か所だけ、昔から、そうはいかない場所がある。
子どもの机だ。
まず、拭けない。拭こうとしても、隙間が少ないのである。本棚は空いているのに、本は山積み。読みかけの本は開いたまま次々と伏せられ、「栞」という存在を全力で拒否している。
プラモデルの部品、小さなケース、ニッパー、ピンセット、謎の配線、ハンダごて、そして黒光りした石ころ。
机というより、ホームセンターと図書館と秘密基地を無理やり同居させたような景色だった。昨日の続きを、そのままにしておける。だから今日も、すぐに始められる場所だった。
学習机という名前なのに、ここで勉強している姿は案外見ていない。宿題はたいてい食卓だった。いわゆる、リビング勉強。机へ向かうのは、「本気で」何かを始めるときだけ。プラモデルを作る。電子工作をする。本を読む。好きなことに没頭できる場所が、自室の机だった。
だから私は、途中から「片づけなさい」と言うのをやめた。一度きれいにしても、翌日にはもう元通り。時間の無駄なのだ。
「どこに何があるの?」と聞けば、「あるよ」と即答する。そして、本の山の隙間へ迷いなく手を差し込み、目当ての部品を一発で取り出す。私には遭難現場でも、本人にはちゃんと地図が見えているらしい。あの散らかり方には、本人にしかわからない秩序があった。
夢中になると、熱いハンダごてを、そのまま机へ置いてしまう。「あっ」と声がした頃には、いびつな焦げ跡がひとつ増えている。勢い余ってカッターを滑らせれば、新しい傷が一本走る。その「ほんの一瞬」が、木目には永遠だった。
積まれた本の山は、年ごとに変わる。背表紙の文字が難しくなる。漫画の上に専門書が並び、また私の知らない世界が積み重なっていく。机は同じなのに、本だけが少しずつ遠くまで歩いていくようだった。
ある頃から、いつもは食卓でしていた勉強を、机でするようになった。参考書が混ざり始め、次は付箋だらけの問題集。開きっぱなしの本やノートが増え、机の景色が少しずつ変わっていく。プラモデルも電子工作も相変わらず好きだったけれど、「好きなことをする机」に、「やらなければならないこと」も同居し始めた。
「ああ、いよいよなんだな」と思った。
子どもの決意は、本人の口から聞くより先に、机の景色で知ることができた。
それから私は、カフェオレを入れるタイミングを覚えた。集中しているときに声をかけるのは危険である。「ちょっと休憩したら?」は、たいてい「うん」で終わり、五十分後も同じ姿勢だ。
だから、気配で察する。物音ひとつしないときは、却下。ページをめくる音が聞こえるときも、まだ早い。椅子がぐるりと回り、リクライニングチェアのきしむ音がしたら、
——今だ。
このタイミングの見極めにかけては、もはやプロである。
軽くノックして、そっとドアを開ける。隙間を見つけて、黙ってカフェオレを置く。「ありがとう」顔は上がらないけれど、頬が緩む。ほんの数秒の、補給作戦。
***
机は今もある。さすがに本の山はなくなった。ハンダごてもない。部屋は、驚くほどきれいだ。
子どもにとって、この机は最後まで秘密基地だった。
机の表面には、焦げ跡がある。カッターで削った傷、ペン跡、鉛筆で書いた落書きも、そのまま残っている。指でなぞるたび、記憶がよみがえる。
あの頃は、傷が増えるたびに、小言のひとつも飛ばしたものだ。それなのに今では、どれひとつとして、消えてほしいとは思わない。
使った跡は、ぜんぶ、夢中だった日の落とし物だ。
——その机。
今は、私が使っている。子が巣立って、はじめて、自分の部屋を持った。食卓の隅から、この机へ。秘密基地は、母が受け継いだ。傷跡を残したまま。
今度は、私が、夢中になる番だ。
