【読書日記】イランとアメリカから考える世界平和 ~分断を共に生きるための〈公正としての正義〉~
この夏、私は、心の底から、生きづらい。
2026年2月28日、アメリカとイスラエルがイランに先制攻撃をしたことで始まった「2026年イラン戦争」。
イラン側の死者は、4月時点のイラン側の発表で、3375人(イラン、米・イスラエルとの戦争で死者3,468人と報告:当局者|ARAB NEWS )。
もちろん、米軍やイスラエル軍でも死者が、そしてアラブ諸国(中東)でも子どもたち含め、多くの死者が出ている。
そして6月19日に停戦協定が結ばれたにもかかわらず、アメリカ・イスラエルは再びイランを空爆。それに対しイランも報復攻撃、そしてホルムズ海峡を再度封鎖。現時点で、イラン戦争での死者は〈7000人〉を超えるとされる(2026年イスラエルとアメリカ合衆国によるイラン攻撃 - Wikipedia )。
〈分断〉が加速している国際社会、そして、日本社会。
分断の要因は、イラン戦争においては、宗教、人種、イデオロギーなどが考えられる(日本の分断も同じことが言える)。
「意見が分かれる」という意味での「分断」は仕方ないと思う。
だけど、今の社会では、自分たちが思う「正しさ」に固執するあまり、「ひとりの人間の命」をあまりにも、あまりにも軽んじてはいないだろうか?
私は、「ひとりの命」が日々「数字」として消費され、あまりにも軽んじられているこの現状が、本当に、心の底から許せない。
こういった国際情勢の悩ましさに、石油危機や物価高による生活苦と重なって、この夏、心の底から、私は生きづらい。
(どうして、世界はこんなにも残酷なのか?)
だけど、生きづらさを抱えることで見出せる〈希望〉もあると、私は信じている。
それは、生きづらいと思うからこそ、その理由を〈知りたい〉とも思ってしまう心だ。
〈知りたい〉という欲望こそ、残酷な人類の、かすかな希望だと、私は思う。
・どうして、世界はこんなにも残酷なのか。その理由を知りたい。
・どうして、アメリカとイスラエルはイランを攻撃したのか。知りたい。
・アメリカとイスラエル、そしてイランはどんな国なのか。知りたい。
ただ、あまりにも申し訳ないのだけれど、私は2月28日まで、イランが実際にどのような国なのかほとんど知らなかった。知ろうともしていなかった。この世界の残酷さを嘆くとともに、私自身の「無知ゆえの残酷さ」を痛感した。
この夏、3冊の本を読んだ。
ひとりの大人として、何かできないかと、拙いながらも、その読書記録を残してみる。
●三牧聖子編『「アメリカの戦争」と世界危機——イラン侵攻は何をもたらすのか』(岩波新書、2026)
●加藤喜之『福音派——終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中公新書、2025)
●朱喜哲『〈公正〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス、2023)
上記の3冊だが、今回は、1つのテーマを中心に感想を書いていく。
それは「宗教」だ。
この読書記録は、以下のような流れで書いていく。
《 前提 》
●イラン、アメリカ、そしてイスラエルの共通点は、「宗教」が国家の在り方に大きな影響力を持っていること。
《 前提を踏まえた読書記録の流れ 》
①イランという国を知る
~宗教国家イランの内実~
②アメリカの福音派を知る
~特殊な終末論の暴力性~
③分断を共に生きるためのアイディア
~公正としての正義~
以上、長すぎる前書きにお付き合いいただき、ありがとうございます。
心を尽くしつつ、なるべく簡潔に記事を書くよう努めます。
この夏、日本は敗戦81年目を迎える。
【第1章 イランという国を知る ~宗教国家イランの内実~】
引用図書:
三牧聖子編『「アメリカの戦争」と世界危機——イラン侵攻は何をもたらすのか』(岩波新書、2026)
①イランは本当に『危険な国』なのか?
2月28日イラン戦争開戦後、トランプ大統領は「イランによる差し迫った脅威を排除し、アメリカ市民を守る」(三牧、1章p.23)と主張した。
「イランの脅威」とはすなわち、
(1)核兵器開発
(2)大陸間弾道ミサイル
(3)独裁国家イラン
この3つである。
ただ開戦後、(1)と(2)の脅威に関しては、IAEA(国際原子力機関)とアメリカの情報機関によれば、〈差し迫った脅威ではなかった〉という評価がなされている(1章p.23)。
それでは(3)はどうだろうか。
確かにイランは、2026年に入り、「独裁者に死を」というスローガンを元に反体制デモが行われ、体制側の惨い弾圧によって、死者は7000人以上の異常事態に陥っていた(3章p.58)(「独裁者に死を!」イラン大学で反政府デモ「再燃」 )。
このようなイラン情勢のなかで、体制の指導者たちを殺害したアメリカ・イスラエルの軍事行動は、「人道的介入」のように思える。
ただ、ここで結論を出す前に、もっとイランについて知りたいと思う。
②イランは本当に『独裁国家』なのか?
イランは人口9000万人の多民族国家である。
そのうち98%がイスラーム教徒で、その88%が〈シーア派〉である。
そして、〈シーア派〉による教義が法となり、その法によって指導者たちは国を支配している。このような体制を、「イラン・イスラーム共和体制」という。
イランの現体制は、一九七九年の革命後にそれまでの王政に代わり樹立された、イスラーム共和体制である(……)国家・社会・文化などあらゆる分野を(……)シーア派の理念に適い運用することにある(……)イランは、理念的には政治と宗教とが一元的に存在する宗教国家である。
宗教国家であるということは、その宗教の教えは、基本〈絶対〉である(それが宗教に「帰依」するということだから)。
そのため、その〈絶対〉に息苦しさを覚える国民からすれば、イラン=「独裁国家」でも全然おかしくはない(実際に、国家の不寛容さのせいで、2022年にスカーフの着用方法が不適切として逮捕された女性が拘束中に死亡した事件も起きている(3章p.68))。
ただ、ここで私たちが知っておくべきことは、イラン体制指導部が、政治と国民感情との溝を埋めようと努力してきた「試行錯誤」の歴史である。
ホメイニー初代最高指導者は(……)イスラーム法に従うことで公共の利益が著しく損なわれる場合には、イスラーム法を一時的に停止させ、公共の利益を優先させるという原則も打ち立てた。
すなわち、法で苦しむ国民がいるならば、法の方を停止させると指導者が決めたのだ。このような政治の姿は、「独裁」とは言えないのではないか。
ただ、2022年の事件や反体制デモを考えれば、イランの政治体制は「不安定」とも言えるだろう。
1989年からの2代目最高指導者ハメネイ氏の体制は、身内びいきの中央集権体制で、現在まで信用失墜が進んでいた(4章p.87-89)。
不安定な国であるならば、「独裁」とまでは言えなくても、やはり「人道的介入」は必要なのか?
そう結論づける前に、もうひとつだけ考えたいことがある。
③どうしてイランは不安定なのか? ~侵略者との対峙の歴史~
政治が不安定なのは、その国家、国民だけの問題なのか?
私は違うと思う。
独立した国家だとしても、否応なしに強国の利害関係にからめとられてしまうのが現代国際政治のリアルだ。
特にアラブ諸国は、19世紀からずっと、欧米列強の植民地主義に翻弄されてきた歴史を、私たちは知る必要がある。
《イランの侵略者との対峙の歴史》
19世紀前半 ロシアによる南下政策
→不平等条約を締結
(イランの石油を強国が勝手に管理する)
20世紀前半 イランで立憲革命が起こる
→ロシアの介入により失敗
二度の世界大戦…イランは「中立宣言」
→しかし、イギリス・ソ連が
「親ドイツ政策」を口実にイラン侵攻
大戦後…石油国有化を目指したクーデター
→米・英の介入により失敗
→結果、当時の王政は完全に「親米政権」に
1979年 イラン革命…「親米」の王政を打倒
→その後、アメリカが激しい経済制裁
(第2次トランブ政権化で「最大限の圧力」
1996年 イラン制裁法(ILSA)
…イランが「大量破壊兵器」を開発しているため
(イランの主張…あくまで核開発は平和利用のため)
以上が、拙いながらも、イランの歴史を『「アメリカの戦争」と世界危機』第3章の内容からまとめたものだ。
私の拙い感想だが、「欧米はイランに介入しすぎ」だ。
こんなにも執拗に、イランの人びとの心を無視して内政に介入してきたうえで、「イランは脅威」などと言うのは、あまりにも自らの加害性や過ちに無関心・無責任すぎないだろうか?
確かに、イラン政治はいま、宗教と自由の間に揺れる〈過渡期〉を迎えている。
そのせいで多くの犠牲が出ている。
しかし、その〈過渡期〉を狙って他所の国が戦争を起こしてもいいのだろうか?
それはどう考えても、『自分たちに都合の良い「新しいイラン政権」をつくるための、「内政干渉」』ではないか?
ともかく、今回のアメリカ・イスラエルのイラン攻撃は、「国際法違反」(1章p.23)である。よって、イラン政治の「危機的状況」を救うための判断としては、完全に誤りであった。
イラン政治の安定化のために必要なのは、
・正しいプロセスを踏んだ国際社会の援助
・イラン国民の試行錯誤
この2つだけである。
【第2章 アメリカの福音派を知る ~特殊な終末論の暴力性~】
引用図書:
加藤喜之『福音派——終末論に引き裂かれるアメリカ社会』(中公新書、2025)
①「宗教国家」アメリカ?
先ほど確認した通り、イランは「宗教国家」である。
そのせいで、特定の価値観が絶対視され、そこから生じる不寛容さが暴力に繋がる可能性があることは否めない。
しかし、実は「自由の国」アメリカにも、そういった不寛容さを持った〈とある宗派〉が政治に多大な影響を与えている。
現在のトランプ政権にも多大な影響力を与えている、その宗派の名前は〈福音派〉だ。
➁福音派とはどんな宗派?
「福音派」(”Evangelicals”)という名称は、救い主イエスの到来を意味するギリシア語の「良い知らせ」(エヴァンゲリオン)、すなわち「福音」に由来する。
福音派は元々、「プロセスタント教徒」の呼称だったが、アメリカの歴史の中で〈独自の発展〉を遂げた、「宗派の壁を超えた、特殊な宗教団体」だそうだ(加藤p.ⅱ)。
その独自さ(特徴)は、以下の通りだ。
(1)独特な「終末論」を信じている。※この終末論こそ「福音」
(→この終末論を根拠に「親イスラエル」「反イスラム」)
(2)「虐げられた白人」視点の極端な保守思想・原理主義思想を持つ
(例えば、白人至上主義、同性婚反対、中絶反対、進化論否定)
(3)回心体験(=ボーン・アゲイン)の重視
(4)政治への関心・介入が積極的
福音派の割合は、アメリカの人口約25%だそうだ(加藤p.ⅰ)。
その少なくない勢力を使って、歴代の大統領(アイゼンハワー、ニクソン、カーター、レーガン、ブッシュ(子)など)の選挙支援をしたり、実際に福音派だった大統領もいる。
特にブッシュ(子)政権では、2003年のイラク戦争決断にも福音派の影響があったそうだ(加藤p.145)(実際にイラクで福音派は、現地住民に布教活動までしている(加藤p.151))。
現在の、第二次トランプ政権の要職(国防長官や財政管理の予算局など)には、多くの福音派が就いている(加藤p.288)。
③福音派の抱える暴力性の可能性 ~過激な終末論~
宗教団体の政治への介入は「安定的な政治運営」にとって危険だ(本書を読む中で私は何度も日本の〈旧・統一教会〉を思い出した)。
特に、私が福音派の思想で最も危険だと思った点は、福音派の特に宗教的な部分……独特な「終末論」だ。
終末論とは、世界が終わるまでの、宗教的な物語だ(キリスト教だけではなく、仏教やゾロアスター教などの宗教にもある)。終末論自体が危険だというわけではない。
福音派の特殊な終末論は、「ディスペンセーション主義」と呼ばれる(加藤p.7)。
来たるべき終末は、キリスト教徒とユダヤ民族の両方に訪れる(……)地上を治める「反キリスト」(”Anti-Christ”)という悪魔的な支配者が現れ、キリストが再臨すると、この反キリストとの最終戦争、すなわち「ハルマゲドン」を戦う。
ディスペンセーション(Dispensation)は「体制」という意味で、終末までに、7つの体制が現れるという。
そのうちの7つ目の体制の内容には、「イスラエル建国」が預言されている。まさに「1948年 イスラエルの建国」の現実と一致する。他にも、第一次世界大戦の激戦が「最終戦争」だと解釈された(加藤p.10)。
自分たちの眼前で神の預言が成就されていくその様は、どれほど原理主義者たちを終末論的な熱狂で鼓舞し(……)原動力を与えたことだろうか。
つまり、終末論自体が危ないのではない。
終末論の〈熱狂〉がうむ暴力性が危険なのだ。
過激な終末論が広まる中で、「最終決戦」のその相手は、アラブ諸国(≒イスラム教徒)なのだと、どれだけ加害してもいいのだという解釈が、福音派の中で生まれていく。
福音派がイスラエル保護を目論むのは宗教的な理由からだ。イスラエルを敵対視するイラクや他のアラブ諸国を民主化し、キリスト教化することで、イスラエルを守る(……)イスラエルを祝福する者は神によって祝福され、イスラエルを呪う者は神によって呪われるという『創世記』にある約束である。
すなわち福音派は、終末論を信じるあまり、「イスラエルがパレスチナを不法に占領し、人々を虐殺している」という事実を好意的に捉えてしまっている。
敵を「悪魔化」し、対話を拒否し、徹底的に攻撃することを止めない(加藤p.276、285)。
アメリカという国が、イランなどのアラブ諸国に対して執拗なまでに介入してきた背後にも、以上のような、独自の終末論による熱狂の暴力性があるのではないか?
④福音派は今後どうなる?
ただ、福音派は、近年国内での評判を落としている。
2023年の世論調査で、福音派は米国全ての宗教集団で「最も好ましくない集団」に選ばれたそうだ(p.264)。
そして、福音派の中でも、過激すぎる主流派(右派)に対して「NO」を示す人々「反対者(ディセンターズ)」たちもいる。
彼らは人種問題や社会正義に関心を持ち、権力への意志を否定する。
そして変化は、福音派に関してだけではない。
2026年2月、イラン戦争前に「アメリカ市民全体で、パレスチナ支持がイスラエル支持を上回る歴史的な転換が起こった」そうだ(三牧、1章p.34)。
そのため今後、今のトランプ政権のような親・イスラエル(=反アラブ諸国)の大統領が、出にくくなる希望がある。
しかし、福音派の「反対者」はもちろん福音派の中での少数派だし、アメリカ国内では40%もの人びとが「終末論」を信じているのが現実だ。
アメリカ政治もイラン同様、試行錯誤の過渡期にあるのかもしれない。
【第3章 分断を克服するためのアイディア ~公正としての正義~】
引用図書:
朱喜哲『〈公正〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス、2023)
①国際社会の分断は克服できる?
2026年のイラン戦争における、イランとアメリカ、そしてイスラエルは、深刻な分断を抱えている。
特に目立つのは宗教による分断だ。
(※しかしながら、今回のイラン戦争は『宗教戦争』だとは言い切れないそうだ(三牧第4章)。事態はもっと複雑で宗教以外の多様な視点も必要だが、ここではあえて宗教に注目する)
●イランの政治体制(イスラーム共和体制)は独裁を生む危険性を孕んでおり、「自由民主主義」を謳うアメリカからすれば理解しがたいだろうし、
●アメリカさえも福音派という宗派に多大な影響を受け、「過激な終末論」を根拠に、アラブ諸国を「敵(悪魔)」と見なす考えに陥っている政治家たちが実権を握っている……。
ここで一つの疑問を抱く。
そもそも、宗教の違いによる分断は克服できるのか?
極端に言えば、「過激な終末論」を信じる人に「世界平和のためにその考えを止めろ」と説得することは、ほとんど不可能だろう(だってその信者たちは心の底から「世界平和」のために終末論を信じている)。
最後に、分断の問題を考える際に参考になるアイディアを紹介したい。
正義論で有名なアメリカの哲学者、ジョン・ロールズの言う〈公正としての正義〉だ。
➁公正としての正義 ~「善」と「正義」で使い分ける~
ロールズにとって(……)「正義(justice)」と「善/よいこと(the good)」の区別であり(……)善構想どうしがたがいに衝突し、ときに力による抗争を招くことがあります。
「正義」の内実はなんでしょうか(……)ロールズ自身の回答は「正義とは、公正さである」というものです(……)それぞれなにがいいと思うかで対立することは当然あるけど、『正義』ってことばはそれとは別にとっておこうよ」
すなわち、私たちは国際社会にとっての「善」や「正義」をいっしょくたに考えがちですが、「善(=個人にとって良いこと)」と「正義(=公正さ)」を別で考えようという、言葉の使い分けのアイディアである。
本記事で問題にしている宗教(信仰)は、ロールズの言う「善」にあたる(朱p.117)。
あくまで信仰は個人的な「善さ」、いつでも対立する可能性を孕んでいるという単純な話のようで、この使い分けをすることで次のメリットがある。
そのメリットは、一旦、個人の信仰自体は「自由」だということが認められることだ。私たちは内心、どんな信仰・意見を持っていても良い。
それでは、〈正義としての公正〉とはどんなアイディアか?
おのおのの利害・関心を共存可能にし(……)適切に分配するために機能する社会システム(制度)が「正義」です。そして、「正義」が合意されるための前提条件となるのが、そうした合意を形成する場が「公正(フェア)」であることでした。
すなわち、おのおのの「善」が共存可能(適切な分配)になるよう、みんなで合意していくことが「正義」。その合意が、多数者も少数者も「公正」だと思える〈場づくり〉(朱p.41)こそが〈公正としての正義〉だ。
もちろん「合意形成が大事」と主張することは簡単だ。それはもちろんロールズも分かっている。
ロールズ曰く、〈公正としての正義〉は「みんなでとりくむ命がけの挑戦」(朱p.42)だそうだ。
私たちはどんな信仰・意見(善)を構想してもよい。だけどそのせいで、必ず対立や衝突が起こる。
だけど〈それでも〉……共存できるような合意の場をつくっていく、だからこそ「挑戦」なのだ。
③公正な合意形成のための条件と基準
おのおのの利害がある私たちが、社会に共存していくために合意形成する……まさに分断の克服のアイディア〈公正としての正義〉という挑戦。
最後に、その困難すぎる挑戦に一歩踏み出すための、〈公正〉の条件と基準になるアイディアを紹介して終わろうと思う。
(1)公正の条件 ~他者への無関心=寛容~
ロールズは〈公正としての正義〉が実現する条件の一つに、「関係者がみな、『相互に利害関心をもたない』こと」を挙げています(朱p.136)。
普通、人に関心を持つことは良いことだとされます(人に親切にするとか社会問題への関心とか、そういう良いことにつながります)。
しかし、あまりに人への関心が強すぎると、「自分の『善い』と思うことを、他者に押しつける」という、最悪の場合、暴力に繋がっていく(アメリカのイランへの介入がまさにそうだろう)。
公正を目指す人間に必要な態度を、著者の朱さんは以下の通りまとめています。
社会をうまく安定的に営んでいくためには、たがいの利害関心に対して積極的に無関心であることが求められます。それは表現を変えると寛容であることです。
自分の善を押しつけようと、説教したり、論破したり、介入しようとしない……そのような〈無関心=寛容〉の態度こそ、今の社会で必要な態度だと、私も思う。
(2)公正な合意形成のための基準 ~とにかく残酷さを避ける~
ばらばらの「善の考え」を持つ私たちが合意形成するための基準として、著者の朱さんは、ユダヤ系アメリカ人の政治学者ジュディス・シュクラーのアイディアを紹介してくれている。
彼女は自身が奉じる「リベラリズム」の思想的伝統が、なにを善とするかの一致ではなく、なにが悪であるのかについての一致に端を発しているのだと述べています。
シュクラーの言う「悪」は、「身体的な不快感を覚えるような〈残酷さ〉」だそうです(朱p.168)。残酷さとは、戦争、暴力、差別……心理的に辱めを覚えさせることも残酷さです。
確かに私たちは、「善」についての合意よりも、まずは「残酷さ」についての合意への挑戦の方が、イメージしやすいような気がしますし、この基準でしか、私たちは対話のテーブルに座ることすらできないという、きわめてリアルでシリアスなアイディアだと思う。
そんな根源的なことでしか分かり合えないのかという絶望を感じつつも、「ここからすべてが始まる」という確かな希望も感じられる。
利害関係への無関心(=寛容さ)と、残酷さを避けたいと願う心。
世界平和への小さな1歩は、この2つから始まるのかもしれない。
【おわりに】
以上、3冊の本を参考に、2026年イラン戦争を機に私が疑問に思ったことを読書記録としてまとめた。拙い文章にもかかわらず、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。ぜひ、紹介した本を読んでいただけたら嬉しいです。
とにかく、私はガザの虐殺とイランへの先制攻撃(小学校への虐殺)など、全ての不条理な暴力に対して、国際法が公正に適用されることを望みます。
ただ望むだけでなく、世界平和のために、8月15日というこの日だからこそ、世界の、そしてこの国の〈残酷さ〉に目をそらさず、創作活動に励みたいと思います。
みなさまの夏が少しでも心穏やかになりますよう祈っております。
ありがとうございました。
文鳥文庫

