映画「ストリート・キングダム」追記
先週の金曜日(4月3日)に観て投稿しましたが、その後も色々な感想といいますか、気づいたことがあります。
そのうちの一つは、フリクション(映画では軋轢)の存在と音がなぜカッコイイのか? ということについての私見です。
それは、彼らが観客との一体感を拒絶しているから、というのが私が考えた理由てす。
そしてそれは、政治のコトバを超越した、強烈な反ファシズムの姿勢、というのも私見です。
「音楽は宗教である」
というのは、何を今更?と思われるでしょうけど、80年前半、遠藤ミチロウさんがメディアで主張しまくっていたことでした。
勿論、彼は音楽のそういうネガな面を、確信犯的に存分に利用してきました。
芸能としての音楽には祭礼性も内包していますし、宗教やファシズム、つまり全体主義的でもあります。
となると、観客との一体感を拒み、じゃがたらのアケミさんのポリシーでもあった「自分のノリ」で踊ることを求めた(?)フリクションの姿勢とは、全体主義へのアンチテーゼ、しかも、政治的な左右の二元論、つまり、「モダン」を超えた「ポストモダン」の反ファシズム。
リザード(映画ではトカゲ)の、公害問題や三里塚の空港反対運動への関わりは、「モダン」でしたが。
勿論、この私見は、思い込みによる、我田引水ですけどね。
小説も書いてます。ご興味のある方は、覗いてみてください。
