見出し画像

『憂鬱でなければ、仕事じゃない』 読書共有【第31弾】

本記事にはプロモーションが含まれています。

はじめに

今回は見城徹+藤田晋『憂鬱でなければ、仕事じゃない』(講談社、2011年)からの共有です。

本書は、見城氏(幻冬舎)による見出しの名言(自筆)に見城氏自身が解説し、それに対して藤田氏(サイバーエージェント)が自らの実体験を交えつつ解釈しコメントするという面白い構成となっています。

本書では、両氏の仕事に対する覚悟や人生に対する真摯な姿勢含めて、成功の裏にある葛藤や孤独、憂鬱をも含んだ人間味のある一流の仕事論・人生論が展開されています。

章ごとに繰り出されるエピソードは時に鋭く、時にユーモア溢れる視点で切り込むスタイルで描かれ、名刺の渡し方からヒット作の苦しみ、初対面の人との距離感に至るまで、説得力ある哲学が細部に宿っています。

本書には時代の流れに逆行するような厳しさや泥臭さも散見されますが、それが逆に新鮮味を感じさせるとも言え、この点にこそ本書の魅力があるように私には思えます。

仕事や人生に悩んでいる人、やりがいを感じたい人、成功したい人に、特におすすめの一冊です。

私にとっては「極端」に関する最大のバイブルであり、私の「極端」な生き方の後押しともなっています。


極端こそ最強

私が思うに、本書中でも特に際立っているのが「「極端」こそわが命」という見出しで、これは見城氏の根本的な立場を表明したものと言えるでしょう。これについて、見城氏は次のように述べています。

「世の中には選ばれるものと、選ばれないものがある。そして誰でも、選ばれるものになりたがる。しかし奇妙なことに、多くの人はそのための戦略を欠いている。「極端」は、選ばれる戦略の最大のキーワードだ」

見城氏がこのように考えるのは、「「極端」は振り切れている。突き抜けたオリジナリティーを獲得している。明快で新しい。既成概念から自由で、インパクトであり、人を惹きつける」という理由からですが、特にこの「極端」を言い表したものとして「圧倒的努力」という言葉が本書においても別の著作においてもかなりの頻度で登場します。

見城氏の言う圧倒的努力とは、「とても単純である。人が寝ている時に寝ないってこと。人が休んでいる時に休まないってこと。そして、どこから手を付けていいかわからない膨大なものに、手を付け、最後までやり通すことだ」という、極めてシンプルなものです。

見城氏の著作には彼の血の滲むような圧倒的努力とそれに伴う結果の詳細が随所に書かれており、読むたびに熱い気持ちが込み上げてき、自分なんてまだまだだと思い知らされます。

読書共有【第12弾】でも書きましたが、「他者の存在」によって情熱が与えられることも往々にしてあるでしょう。全く仕事の分野が違っても、仕事への情熱というものは確かに伝染するもののようです。「極端」や「圧倒的努力」は私自身の生き方とさえなっていて、これらがなくなった際は死を意味すると思われるほどです。


「最高」か「最速」しか生き残れない

一方で藤田晋氏は、この「極端」(圧倒的努力)について自らの専門的な立場から次のように語っています。

「ネットでは既存のものよりも際立って優れているか、まだ誰も提供していないものでなければ存在意義がありません。〔中略〕“最高”か“最速”しか生き残れない。〔中略〕この考えは、他のビジネスにも通じるのではないでしょうか」

ここでは指摘されているのは、「既存のものよりも際立って優れている」もの(最高)、あるいは「まだ誰も提供していないもの」(最速)しか生き残れないという厳しい現実です。

見城氏の言う「極端」「圧倒的努力」、そして藤田氏の言う「最高」「最速」が目指すところを一言でまとめて表現するならば、「前人未到」(まだ誰にも成し遂げられていないさま)という語が相応しいように思います。

前人未到の領域という突き抜けたところに辿り着くと、もはや唯一無二の存在になり、代替のきかない存在になっていることでしょう。

ただ、あまりに「極端」だと周囲の理解が得られない場合もあるでしょう。「戦いに勝ち、結果を出すためには「あいつは、とんでもない奴だ」「あいつがやっていることは、訳がわからない」と言われなければならない」と見城氏は言います。

しかし、しっかり結果を残すことができると、批判や非難めいた眼差しもいつしか称賛に変わるとも見城氏は述べています。「極端」や「圧倒的努力」を通して自分自身が変わることができ、またそれが他者のためにもなり得るのであれば、周りからの評価も自然と変わっていくのでしょう。

私自身が「極端」や「圧倒的努力」などを通して「前人未到」の領域に辿り着くことができれば、個性際立つ唯一無二のトレーナーになることができると思われますが、そのためには一体何が必要なのか、私もまだまだ模索しているところです。

そんな中で、「基礎の大切さ」という本書の観点が重要なヒントを提供してくれているように思われます。次にこの問題についてみることにしましょう。


基礎の大切さ

以上の「極端」論は極論過ぎるかも知れませんが、一方で基礎の大切さをも説く見城氏の考え方は多くの人が同意できる内容かと思います。

見城氏によれば、「スタンダードを極めた人間にしか、スタンダードを超えることはできない。ひとつのビジネスに没頭し、格闘した者だけに見えてくる全く新しい風景。いきなり成功する新しいビジネスモデルなどあり得ない」のであり、「本当に斬新なものを作ったり、何かを変革したりしたいなら、スタンダード、オーソドキシー、クラシックといった基本と血を吐くような格闘をしなければならない」。

さらに、「これはクリエイティブだけでなく、広くビジネス全般に当てはまることだ。僕は部下を見ていてよく思う。基礎と格闘している奴は、その時は時間がかかっても、いつか必ず結果を出す。基礎と格闘せず、早道を行こうとする奴は、たいてい失敗する。表面だけで、根本がないからだ」。

このように、まずは自分の強み、圧倒的努力、極端なものを実現するには、基礎をしっかり極めることが大切だと言えそうです。

例えばパーソナルトレーナーの場合、解剖学の基礎を学べばお客様の姿勢や動作を根拠に則って分析・説明ができるでしょうし、心理学の基礎を学べばお客様の心の動きについて知る手掛かりになるかも知れませんし、これらを自分なりに発展させることもできるかも知れません。

ただ、一人の人間においてすべてを知るということは不可能だという認識はどんなときにも大切だと思います。というのも、どれだけ勉強しても勉強内容からは説明できない現実に遭遇せざるを得ないからです。教科書や参考書に出てくる問題も現実の一部を取り扱っているに過ぎず、また教科書や参考書通りの人間が現実に同じ仕方で存在しているわけでもないからです。

むしろ、勉強すればするほど分からないことが出てくる。哲学者のソクラテス風に言うと「無知の知」でしょうか。これは、「自分が何も知らないということを知っている」という哲学的態度を指します。

仕事や人生には分からないことが多い。しかしながら、こうした現実が仕事や人生の面白さとしてそのまま感じられるようになってくると、もはや知識習得だけの勉強とはならず、もっと好奇心のある働き方や生き方ができるようになると思われます。ただ、こうしたことに気づけるのは基礎の大切さがあった上でのことでしょう。

現に、私自身もこの人生や仕事の分からなさを楽しんでいるところがあり、自分なりの「極端」や「圧倒的努力」をほぼ全振りして、日々実験のつもりで生きているところです。自分の思い描く「前人未到」を目指しつつ‥‥。

ということで、これからも私なりに読書を通じて得た基礎(と思われるもの)を共有することで、働きがいや生きがいについて考える思考材料を提供していけたらと願っています。


おわりに

今回も最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。
日々少しずつ閲覧数やリアクション数、フォロワー数も増えてきて嬉しい限りです。今後も最低週1回の更新を目指して頑張ってまいります。

あえて本の要約といったことはメインとせず、私なりの観点から面白いと思った箇所の共有という限定的な内容にしております。それが少しでも皆様の記憶に残り、日々の読書体験の深まりや具体的な行動・実践に繋がるのであれば幸いでございます。 

それでは今後とも宜しくお願い申し上げます。


いいなと思ったら応援しよう!

Shunsuke Fujita 応援誠にありがとうございます! いただきましたチップは今後のクリエイター活動に役立ててまいります!