米国で長く延びた【自助・共助・公助】価値観スペクトラムが分断を生み、この人を支える
トランプ大統領の再就任以来、相互関税の発表をはじめ、急速に進められる大学自治への圧力、公務員の解雇などに反対して全米でデモが行われ、支持率も下がっているようです。
しかし、それでも支持率は40%以上を維持し、コアな支持層に支えられていることがわかります。
前記事では、複雑なことを考えるのが苦手なのに専門家の意見に耳を傾けず、自分で判断したがる彼の本質について考えました。
FRBパウエル議長を解任すると示唆したら米国株や債券が暴落した、と書きましたが、それを受けて翌日、
「解任する気はない」
と朝令暮改しました。市場の反応にマズいと思ったからで、実に単純です。二元一次方程式の単純さがここでも出ました。
── では、彼の支持者はどうして離れていかないのでしょう?
ひとことで言えば、民主党の考え方が嫌いだからです。
過去3回の大統領選挙はいずれも、
『どちらを大統領にしたいか?』
ではなく、
『どちらの候補が嫌いか?』
が争われている ── と言われました。
『分断』という言葉もよく聞きました。
では、どういう点が嫌いか?といえば、民主党、共和党の支持者はそれぞれいろいろな意見を言います。
移民政策だったり、LGBTQなど多様性への配慮だったり、ESG圧力や健康保険制度への賛否だったり、数多くの『意見の相違』があります。銃規制や中絶の自由についても意見が割れています。
両党の間だけでなく、各党内部にも意見の濃淡があります。
これらをざっくり言い換えると、
米国と米国民にとって重んじるべき社会像は何か ── 『自助』~『共助』~『公助』のスペクトラム中、どの辺りを重視するか ── その価値観の違い
ではないか、と私は思います。
おそらく憶えておられる方が多いはずですが、菅総理の就任記者会見の中で出た言葉です:
── 前段省略 ──
私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います。
── 後段省略 ──
(太字は本記事で強調したい部分)
しごくまっとうなことをおっしゃっているのですが、これに(最初の太字部分)、
「自己責任論ではないか!」
と噛み付いた人たち(国民、というより、野党とメディア)がいましたね。
私は後の太字部分が重要だと思っており、『まずは自分でやってみる』の『自助』が邪魔されない形で進むように、
『縦割りや既得権益、前例主義を排して規制改革を進める』
決意を述べた、と理解しています。
(実際に実現できたかどうかはここで論じない)
彼の目に、
《日本は行き過ぎた『公助』の国》
と映っている(いた)のでしょう。
《理由を付けては与野党そろって『バラマキ』したがる(そのツケは『バラマキにかかった経費と利子』を上乗せされて必ず次世代に回ってくるのに……)》
それだけにとどまらず、
《『公助』の名のもとに、既得権益保護のために規制が設けられ、その規制を守るために外郭団体が作られ、そこに官僚が天下り、税金が投入される》
つまり、
《『公助』に見せかけた『自助』への妨害》をやめます!
そう言っているように私には思えるのですが。
いや、別にあのオジサンを好きだとか支持しているとかじゃなくて……ちゃんと全文読んで解釈しろよ、という話です。
ま、日本のことはともかく、米国です。
共和党を支持する、フツーの(特に田舎に住む)オジサンオバサンの『民主党左派に対する憎悪』はけっこう激しいものがあります。
「やつらは共産主義者だ」
「働かないドラッグ・ジャンキーにまで金をばらまく」
「なんでワシらが汗水流して働いた金を奪って、遊んでいる連中にやるんだ」
「オバマケアは馬鹿げている。それぞれがちゃんと働いて、各々健康保険にはいればいいんだ」
「名前も知らないような国を、どうして援助しなきゃならんのだ」
実際、米国という国家は、伝統的に『自助』を最も重んじてきたのです。大開拓時代から、自分と家族を守るのは自分たちだけでした(原住民はその犠牲になってきましたが)。
銃保有の自由も、自分と自分の家族を守る『自衛』は最も基本的な『自助』に基づいている。
(こんなこといちいち言うまでもないけれど、私自身が銃保有に賛成しているわけではない……ああ、めんどくせえ!)
次に『共助』。田舎町に行くと、今もなお、住民が集会所に集まって、
『消防所員をひとり増やすかどうか?』
議論したりするそうです。
『町の財政が厳しくなり、教育予算が枯渇したので、1か月早く終業式を行って教師にその月分の給料を支払わない』
なんていう記事が新聞に載ったりします。
これは『公助』というより『共助』でしょう。
『共助』もとても大事にする。しかし、その枠外 ── 英語を話さないような不法移民には当然冷たい。
『共助』の範囲はご近所ぐらいから市町村、人によっては『州』までかもしれない。各州の独立性が強く、法律も税金(州の所得税、消費税、資産税など)のシステムも州ごとに違う。例えばニューハンプシャー州には所得税も消費税もない(資産税が重く、収入がないといずれ土地を手放さざるを得なくなったりする)。
連邦政府に関わるサービスがほぼ純粋な『公助』でしょう。
よく『大きな政府』か『小さな政府』か、という論争がありますが(どちらかといえば、民主党は前者、共和党は後者)、ここで『政府』というのが『連邦政府』であり、連邦所得税や法人税を取って『公助』のための予算に遣う。
この『公助予算』のかなりの部分が、欧州アジアへの軍駐留やら、アフリカなどへの人道援助やら、不法移民対策やら、外国から押し寄せる留学生の教育費やらに遣われる。
『自助派』にとって、自分とまったく関係の無い遠い国や国民を守るために税金がつぎ込まれることは、当然我慢ならない。
「自分の国は自分で守れよ! 自国の『自助』で賄えよ!」
そう叫びたいのでしょう。
日本国内とは事情が異なり、アメリカは世界中に『公助』している、と捉えている点に注意した方がいいでしょう。
おまけに、オジサンオバサンたちに直接関係なさそうな、宇宙滞在やら、素粒子の研究やらにも多額の予算が遣われる。
そして何よりも、それらの予算を執行するとんでもない数の怠け者の(とオジサンオバサンは考えている)公務員の給料に税金が消えていく……。
一方で、民主党にはバーニー・サンダースのように(財源は明らかでない)国民皆保険を訴える社会民主主義者もおり、『自助』『共助』よりも『公助』に重きを置いている。
米国はこの『自助』~『共助』~『公助』のスペクトラムが相当長く延びており、そのどこに自分の価値観の重心を置くかがまちまちであり、それが国の在り方に ── さらにはどれくらい税金を集め何に使うかに ── 反映されるために『分断』を生んでいる。
民主党、特に左派があまりに『公助』に偏っている(と思われている)ために、もう民主党候補には入れたくない、という(共和党員でなくても)『自助派』国民がかなりおり(おそらく連邦債務の増加と共にどんどん増えてきた)、
「トランプは嘘つきだし好きじゃないけど、民主党候補よりはマシ」
と考えるトランプ支持者が一定数いるのです。
『二者択一』なので、『より嫌われる方』が排除されます。
トランプさんの支持率が下がったとはいえしぶといのはこのため、と私は考えます。
さて、米国に比べると、日本国民は『公助』の方に偏っているように思います。
どうしてでしょうか?
やはり、民衆による革命が起きたことがなく、江戸時代は長きに渡り『お上』が決めたことに従ってきたし、明治維新も薩長がひっくり返して『お上』がチェンジしただけ、戦後の占領軍チェンジも同じ ── というわけで、自分たちで決めるより『お上』に決めてもらい、それに従う方が心地いいのでしょう。
『自助』って責任も伴うし、めんどくさい。
でもそれがつもりつもって──まさに菅さんが言及した『行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義』だらけになり、財政赤字を垂れ流しているのでしょう。
『政府効率化省(DOGE)』は今の日本にこそ必要なのかもしれません。
ところで、菅さんが目指す社会として『自助』を最初に挙げたことを、
「そんなの政治じゃないだろ!」
と激しく攻撃した人には、米国民に感動を与えた ジョン・F・ケネディの有名な大統領就任演説を想い出して欲しい。
国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい ―― 諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい
あなたはケネディにも、
「そんなの政治じゃないだろ!」
と拳をふりあげるだろうか?
そう、
『何を言ったかではなく、誰が言ったか』
で判断する人たちが、この世界にはたくさんいる。
「誰が言ったかではなく、何を言ったかで判断したい」
── 梵天丸は、かくありたい。
