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【シフカの歴史】会社設立後の歩みと転換点

こんにちは! いつも記事をお読みいただきありがとうございます。

シフカの歴史を振り返る【シフカの歴史】シリーズでは、以前の記事でシフカ設立の経緯をまとめました。

今回はその続きとして、会社設立後の試行錯誤とその中で訪れた重要な転機について、今回も代表の長田にインタビューします。設立後のシフカの歩みを振り返ってみましょう。


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UIとの出会い

以前の記事で触れた通り、シフカ設立のきっかけは、キャプテンシステムの設計図作成業務が大量にあったことです。会社組織となってからはより本格的にその作業に取り組みました。

キャプテンシステム
旧電電公社(現NTT)が1984年に始めた、電話回線を利用し画面で情報提供するサービス。インターネットの普及により2002年にサービスを終了。

当時のキャプテンシステムは言うなれば実験段階で、シフカでも画面上での表現方法などを含め様々な検証を繰り返したものです。元々はテキストを中心とした情報転送の仕組みではあるものの、単純な図形が描画できる機能もあったので、工夫すればグラフィックも表現できることが分かりました。

そこで半ば無理やりとも言えるような手法を駆使して、それまでは難しいと考えられていた企業のロゴや大きなイラストも実現させることができました。こういったシフカの取り組みがキャプテンシステム上のグラフィックの質的向上に寄与した面もあったと自負しています。

キャプテンシステムでの画面作りに関しては、シフカへ発注する側の企業の担当者ともたくさんの議論をしました。

文字を中心とした画面はイメージが似ており、次々と画面を進めていくと自分の居場所が分からず迷子になる。リモコン操作で分岐を続けていくと自分がなんのコーナーにいたのか簡単に見失ってしまう。仕方なく元の画面に戻ろうとするだけでも長いロード時間がかかる。利用者が迷わず使えるようにするにはどんなデザインにするべきかを考える必要があったのです。

そこで画面の中にヘッダやフッタを設け、そこに現在地の情報を表示するようにしました。またサービスのカテゴリーごとにカラーリングを決め、更にアイコンを表示することでカテゴリーの把握を容易にしました。

これが「UI」という概念との最初の出会いと言えるかもしれません。キャプテンシステムと同時期に展開されていたフランスの同種サービスである「ミニテル」などでも似たようなUI表現がされていたと記憶しています。

またある時、次世代のキャプテンシステムを研究している部門の方たちと話をする機会があり、将来可能になる技術を見せてもらえました。より早い回線で、画面がフルカラーになり、更に高解像度なカメラやモニタが利用できる環境なら、色々と凄いことができるとワクワクしたものです。

PCがモノクロ2色からようやく16色表示できるようになった時代、まさにそこには未来がありました。これが将来のネット社会を意識したきっかけでもあります。


シフカの分岐点

実証実験のフェーズだったキャプテンシステムは、やがて商用サービスの開始を迎えました。実験時には国の予算も投入されたこともあって大量の画面を作成する必要があったのですが、商用サービスが開始され情報を提供する企業が自費で画面を作る状況になると、画面作成の需要は一気にしぼんでしまいます。

キャプテンシステム自体は双方向のやり取りが可能で、オンラインでの買い物やメール、チャットなど先進的な機能を備えていました。その一方、サービスの利用には高価な機器が必要だったこと、通信データ量に対して当時の回線速度が遅かったこと、その回線利用料も高額になりがちなこと、画面解像度が248×204ピクセルと小さく表現力が貧弱だったことなどから世間一般への浸透はなかなか進みませんでした。

キャプテンシステムの苦戦によりシフカへの仕事も一気に減ってしまい、社員の給料を払うのもままならない状況となります。対策を模索する中でNAPLPS(ナプルプス)にも対応できれば仕事の幅が広がるのではないかとの考えが浮かびました。

NAPLPSはキャプテンシステムも参考にしたデータ転送規格で、当時は「北米方式」とも呼ばれていました。NAPLPSでの画面制作にも対応できれば、キャプテンシステム以外の注文も受注できます。問題はNAPLPSのデータ入力機が非常に高価でシフカでは手が出ないことでした。

そんな折、一般的なPCでNAPLPSのデータを入力できるソフトウェアの記事が新聞に載ります。すぐに長田はそのソフトを作った会社に電話したのですが、何度掛けても先方の担当者が忙しすぎてアポを取ることができません。
そこで、知り合いの雑誌記者がそのソフトを取材する際に便乗して同行させてもらいました。

取材の場で会えた担当者は、記者に着いてきた長田がアポを断った相手だと気づいて苦笑していました。ようやく話の聞けたNAPLPSの入力ソフトは、実はまだ開発中。そこで長田はシフカでソフトの利用モニターをやらせて欲しいと頼み込み、ソフトを貸与してもらうことが出来たのです。

さて、社内でソフトのテストをするといっても、ただ記号を表示して確認するだけでは面白くありません。どうせ受注した画面作りではないのであれば、機能を限界まで使った凄いイラストを描いてみようと考えました。

そこで各社員がアートやコマーシャルなどの想定を決めて作品を本気で描いたのです。出来上がった作品の驚くほどのクオリティに、賞に応募しようという話になりました。結果、1986年の国際映象ソフトフェアの映像ソフト大賞にて複数受賞という快挙を成し遂げます。そして翌年も同賞を受賞しました。

いま振り返ると、この時がシフカの分岐点だったという気がします。

大きな賞を受賞したことで、業界にシフカという会社を知ってもらうことができました。世の中的にも「デジタル」が面白いというイメージが広がる中で、シフカという会社が面白いことをやっているということで声をかけてもらえるようになったのです。

結果として色々な場に顔を出せるようになり、多くの人脈を作ることが出来ました。そこから仕事をいただくことができて、会社も安定に向かい始めます。非常に運が良かったと言えるかもしれません。


UIデザインの需要増大

キャプテンシステムの依頼は下火になったものの、入れ替わるようにデジタルイラストの依頼が増えていきます。特にCDメディアの普及によってその量は一気に増えました。

CDが世に出たことでメディアに記録できるデータ量は飛躍的に増大。巨大なコンテンツが安価に提供できるようになったことに伴い、グラフィックデータも大量に必要になったのです。

CD-ROMに加え、CD-IやCD-Gといった規格も登場し、イラストやグラフィックデザインの仕事がドンドンいただけるようになりました。CD-Gでカラオケ向けのグラフィックを作成する案件では、社員が総出で夜遅くまで作業するような状況にもなったのです。

CD-I・CD-G
CDメディアにデータを記録する際の規格の一種。当初のCDは音楽(音)しか記録できませんでしたが、CD-IやCD-Gは更に画像などのデータも記録が可能で、曲の再生に合わせて画像を表示するといった使い方ができました。

次いでUIデザインの仕事が増加し始めます。MacやWindowsの登場によりPCが世間一般に浸透する中で、初心者でも理解しやすく操作しやすい直感的なUIの重要性が広く認知されました。

誰もがマウスで高機能なソフトを使うようになり、複雑な操作を今まで以上にわかりやすく提供する必要性が生まれたのです。分かりづらいUIはユーザーの使いづらさに直結します。UIの出来栄えがそのコンテンツの評判を決めてしまう可能性すら出てきたのです。

また業務用ソフトやコントロールパネルといった特定の目的で利用されるソフトウェアの分野でも、適切なUIがもたらす作業の効率化やミスの防止の効果が理解されるようになり、ソフトウェア開発に際して機能をプログラムする作業とは別にUIを専門でデザインする必要性が叫ばれるようになります。

このような状況を背景に、シフカも多くの注文をいただくことができました。以前からUIデザインに力を入れていたシフカの提案は、多くのメーカーさまから高く評価され、それがその後の様々な取り組みにもお声がけいただけることに繋がったと考えています。

キャプテンシステムの時代から続くシフカのUIデザインへの取り組みが実を結んだ結果とも言えるかもしれません。


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というわけで、今回は設立後のシフカの歩みと、その中で訪れた転換点についてのお話でした。

苦しいときにも諦めず模索を続けたことがその後の幸運に繋がったのですが、この時期にはプログラムを利用した取り組みも模索していました。このあたりは別の機会に記事にできればと考えています。



これまでの【シフカの歴史】シリーズはこちらです。

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