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本来の姿に戻ったアメリカと変われない東京官僚

本来の姿に戻ったアメリカと変われない東京官僚

かつて日米関係が機能していたのは、両者が同じ文法を共有していたからだ。根回し、曖昧さの維持、明示しない合意、長期的関係への投資——東京官僚の得意技は、大英帝国的OSを内面化したワシントンの官僚機構とも不思議なほど相性が良かった。管理の論理同士が共鳴していた。

しかしその文法が消えた。前稿で論じたように、アメリカは今、本来の自分に帰っている。ディールの論理、即座の利益の明示、力の誇示、曖昧さを弱さと読む感覚——これはブルジョワ開拓国家が元々持っていた論理であり、冷戦期に一時的に抑制されていたものだ。

交渉相手が変わった。しかし交渉者は変わっていない。

東京官僚にとって「アメリカが変わった」と認識することは、単なる情勢分析ではない。自分たちが70年間積み上げてきた対米交渉の作法、人脈、制度的知識——その全体を無効化することを意味する。認識すること自体が自己否定になる構造がある。だから変化を見て見ぬふりをすることが、意識的な判断ではなく官僚機構の自己保存本能として作動する。

皮肉なのは、ディールの文法を直感的に理解できる層が日本に存在することだ。神戸・大阪の商人的論理——値段は交渉するもの、建前より実利、義理より損得の明示——はアメリカのブルジョワ開拓国家的論理と構造的に近い。今のトランプ政権と渡り合える感覚を、民間の実業家や商人的気質を持つ層は体に持っている。

しかし権力は霞が関にある。

この捻れが日本の対応を構造的に遅らせる。政策決定の場にいる者がディールの文法を持たず、ディールの文法を持つ者が政策決定の場にいない。これは個人の能力の問題ではなく、日本という国家が大英帝国的秩序の内側で最適化されてきた結果だ。秩序が安定している間は強みだった適応が、秩序の設計ごと消えていく局面では致命的な硬直になる。

前稿の末尾に記した問いをここで繰り返す。英米的秩序が設計ごと消えていくとき、問われるのは戦術ではなく生存の論理そのものだ。だが生存の論理を組み替えるには、まず「何が終わったか」を直視しなければならない。その直視を、今の日本の権力中枢に期待できるだろうか。

個人は認識した方がいいだろう——大英帝国的枠組みは終わった。世界に再びフロンティアが出現した——ただし今度は、誰が覇者になるかも決まっていない。

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