珍しく恋愛を主題に。
今、珍しく、恋愛をメイン・テーマにする気がある。一般的に女性に好まれる文章を書けている気がしない私だ。フォロワーも推定男性が多い。今の内に、女性に関心をもってもらえるようなネタをあげておかなければ。
久しぶりに見かけたステハゲとミッキーとスーツの三角関係♡の話をするのもよさそうだが、それはまたの機会にしよう。(大嘘の「いつかとりあげる」をはじめて言った😂)

結局、科学の話が多めになってしまうかもしれないし。いつもどおり、生物や宗教の話をし出してしまうかもしれない。あしからず。
「どうすれば、あなたの魂を私の中にからめとり・しばりあげ、迷宮にとじこめることができるだろうか。つぼみのないバラに秘められた香りのように。あまいキスーーあなたは大きな悲しみを知るだろう」
若くしてこの世を去った英国の詩人、ジョン・キーツの詩『Lamia』(1819年作)より。
レイミアの異類婚姻譚をベースにした詩だ。
レイミア/ラミアー:ギリシャ神話のキャラクター。リビュアーの女王。その美貌でゼウスに見初められ、ゼウスの妻の怒りを買う。
異類婚姻譚:人間と人間以外が結婚する説話の総称。
つぼみのない花とは何なのか、すぐに教えて・端的に答えを言ってと思う人へ。そういうつまらない考えを捨てろ。それこそ、モテないぞ。

作中、科学と哲学の発展が文学の詩情を破壊したと非難する表現がある。
「Unweave a rainbow」学問が虹をばらばらにするという文脈でキーツが使った言葉を、ドーキンスが自著の題名に用いた。

引用したと言っても。彼は、キーツのように科学に否定的見解をもつ文学者らを反駁するために、そうしたのだ。科学の発展は宇宙に対するセンス・オブ・ワンダーを生み出し、詩情の源泉になると。
部分的に訳しておく。
私たちは死ぬ。だからこそ、私たちは幸運な人間なのだ。ほとんどの人は、生まれることがないため死ぬこともない。私と同じ場所にいたかもしれないが、実際には日の目を見ない潜在的な人々の数は、アラビアの砂粒の数よりも多い。きっと、その生まれていない亡霊の中に、キーツよりも偉大な詩人やニュートンよりも偉大な科学者が含まれている。DNAによって可能となる可能性のある人々の集合が、実際の人間の集合をはるかに超えているのだから。途方もない確率に抗い、平凡な私たちがここにいる。
彼はこのような主張もしていた。
あらゆる困難を乗り越えて誕生という宝くじに当たった私たち特権階級の少数の人間が、大多数の人々が決してそこからぬけ出すことのなかったあの以前の状態への必然的な回帰に、どうして泣き言を言うことができるだろうか。

難しい?(遺伝子を人と言い表したりして)それこそ文学者っぽく語っているからね。生きていることはすばらしいという話だ。そんなシンプル?そうだよ。よくわからないという人はこの歌を聞けばいい。いろんなわかり方(アクセス法)があってよいのだから。

勉強すればするほど書けなくなるから、そうなってしまう前に書いた。
カフカも言っていた。「愚かさによってのみ、彼ら彼女らは自分に自信を与えることができる」
虹?と思った人へ。
光を物理学的にはじめて研究したのは、17世紀のニュートンだったと言われている。彼は、太陽光をプリズムに通すとスペクトルが現れることを発見した。

ニュートンは虹の色が7色以上あることを理解していたが、音楽と関連づけて(ド レ ミ ファ ソ ラ シ)・大勢がわかりやすいように、あえて7とした。無限の虹的な言葉以外に何か表現を選ぶのなら、7色の虹でいいと思う。
私が幼児の頃に好きだった言葉の1つは「プリズム」で、透明性の高い三角形の物体が大好きだった。


キーツは、絡みあいという言葉で、屈服せざるを得なくなる誘惑や捕らわれの境地を示した。キスによって没入感や陶酔感を得ると同時に、思考力や理性をとり戻すとも示していた。
つまり、こういうことだ。
愛の誘惑に飲みこまれてしまったことに、手遅れになってから、みんな気づくのだと。自分の肉体のみならず精神も、恋人という他者に全てあけわたしてしまったことに、遅ればせながら気づくのだと。
もうすぐ咲きそうという段階がないーー。予期せぬ愛に自由を奪われたいと歌う宇多田は、それを好む/望む人。
わかるという人もピンとこないという人も、いるだろう。遅かれ早かれそんなことになるだろうと最初からわかっていた、という人もいるだろう。(双方が一目惚れに近いとか)


アインシュタイン「人々が恋に落ちるのは重力のせいではない」「一体どうやって、初恋のような重要な生物学的現象を、化学と物理学の観点から説明するつもりか」
重力などとは異なり、愛は科学によって観察可能なものではないと。


アインシュタインと『インターステラー』の女性キャラクターの愛に対する見解は、本質的には違わないが、彼女は愛を観測可能なものだと言っている。
他者を盲目的にするような力(愛のもつ1つの側面)に、物理的なプロセスはあるのか。そもそも、人はなぜ特定の他人に恋をするのか。
一例として。恋は、誰かに特別な意味を感じた時にはじまる。世界に新しい中心が生まれるようなものだ。すると、その人に意識が集中しはじめる。愛する人の何もかもが他の人とは違って見える/感じるようになる。
恋人や想い人に対して、不満に思う点を列挙することはできても。それとは別に、意識は愛する部分(旅に出た理由・旅の出発地点)に集中し続ける。
わかるという人が多いのではないだろうか。

狭まったという比喩だし、それを嘆いてるのではない。
出逢った時にはじまった2人の「旅」を中断し、別の1人きりの「旅」をはじめる恋人の片方が描写されている歌だが(決別というわけではなさそうだ)。その片方が、「こんなに遠く離れていると愛はまた深まっていく」という手紙をもう片方に送っている。
宇多田ヒカルや米津玄師なら、あらゆることを超越し究極の高みに達していて、「そんな歌」を歌わないか。みんなが知っての通り、たくさん歌う。
分離不安・独占欲・嫉妬・渇望……これらは「狂気」を生む立役者らだが。ジェラシーを感じない!と決意するなどして、ジェラシーを感じないようになれる人間は、基本的に存在しない。

「ゾウのことを考える」
『インセプション』を観たことない人はいないだろ。
誰かがあなたのあたまやこころの中で、テントをはりキャンプをしているようなものだ。彼や彼女は、自然を満喫するために朝早くから夜遅くまで活動する・家へ帰らずにそこへ泊まりこむ。
「寝ている時もだよ!彼は私の夢の中でまでキャンプをしている!」というような意見が聞こえてきそうだ。
(全ての文章に「例外はある」とつけ足されていると思って、読んでいってほしい。ちくいちそう書いていくと、読みづらいだろうから)
失恋した時や破局した時はどうか。
今まで以上に仕事に集中する・趣味で気をまぎらわす・アルコールの力を借りるなど、いろいろとやってみても。さほど効果はない。仕事が終わった瞬間・隙間時間・酔いがさめてから、元に戻るだけであるため。他の悩み事でも、そうでしょう。
たくさんの思い出があるが、あの人のことを忘れて自分の人生を前に進めようーーなどと決心しようものなら。より強くその人を愛するようになる。なぜか。欲求やモチベーションや集中力を求める脳の報酬系がより活発になるのは、欲しいものが手に入らない時だからだ。
失恋から早い段階で「キャンプ・ファイヤーの火を消す」期待値がある程度高いと言えるのは、新しいロマンスの可能性のある人と関わることくらいである。意図的に新しい物語を書きはじめることで、長い年月を経ずとも成果を得れる可能性がある。
それが人生の美徳かというのは別として、ね。
「この人は私にとって唯一無二の人」という物語を、「たしかに、この人とは特別なつながりがあったが。私が特別つながりをもつことのできる、唯一の人でも最後の人でもなかった」という物語に、無理やりにでも変えていくことで。言わずもがな、それにはそういう相手が必要だが。
いや、やはり、無理は禁物だと書き足しておこう。あなたがあなたを喪失しかねないからだ。

「氷のように冷たい女だとささやく声がしても Don't worry.」オシャだけどね。こういうのは雰囲気だけに、そのように見える/そのように魅せるだけに、とどめておくべき。本当に氷の女王になどなってはいけない。迷宮入りや闇堕ちしないよう、注意。男性も。
だが、「その非常口は女性限定だ」とよく言われている。
男性は、女性にそのような事例が多いことを知っている程度にすぎないかもしれないが。女性は実体験でよく知っているはずだ。
国や文化の違いを問わず。女性は特に新しいロマンスの到来によって、ex(元カレや元カノのことをこう言い表す)に対しての記憶能力を著しく欠いているかのように・まるで血も涙もないかのように、ガチで ex のことを忘れる傾向が高い。




これほどの落差を男性に見ることは、あまり~ほとんどないが。逆に多く~ほとんどの女性が、これほどの違いを見せる。さすがに、生物学的違いからかもしれない。

「女にはリバイバル上映がない」的な。女性陣、私に座布団をもってきてくれてもいいよ。

「手に入らないものこそ至高」という概念をより抱きやすいのも、男性の方である。どうしても、逃した獲物を大きく見積もってしまいがち。

アッパー・イースト・サイドの男らが皆望む女が、アウトサイダーな自分の彼女に。GGの極端な例に笑う。
男性は一般的に自分の感情とむきあうように育てられておらず、感情のコントロール方法を学んでこない。「耐えなさい」「男らしくしなさい」とばかりさとされ、感情を抑圧することを多く経験してきて・それに対処することをあまり経験してきていない。
女の子は恋の話をたくさんして育つが。男の子はそうではない。(友人が言っていた。男は、真ん中に酒でもないと集まって話などできないと。同性だけの集会のことだろう。おしゃべりがメインなんて女子かよ、と心理的になるのかもしれないね)

わーわー!バーン!/もう会えないかと…… 笑
Somedayの男 と Todayの女は、それぞれに着々と、育っていくわけだ。
(男性と女性の脳にはおそらく違いはないが)男性と女性の一部身体構造や人生経験は異なる。楽しいとかここちよいとか感じる時、片方が自分にあわせてくれている可能性があることを忘れてはならない。(どちらかだけが完全に気分がよくてーーなどという特殊な関係は除外して)何気ない時間をすごす中でも、双方が、基本的に感謝しあうべきなのだ。
「脳に違いはない」話はこの過去回でガッツリしたため、改めて書くことはしない。
以下、余談ぎみになるが文字数をさこう。苦手だが、自分の話も少しは入れることにした。
ほとんどのメンツが酔っぱらって、夜の街を集団で歩いている。長い距離を歩かされることなど苦に感じるはずのない・寡黙な男が、目的地はどこなのだなどとイラつきを見せる。女は意外な一面を見たなと思うが、すぐにわけがわかる。「大丈夫?もうけっこう歩いている」男は、自分ではなく意中の相手が楽しくないことを望まないだけだった。女は、たったこれだけのことを後で何度か思い出す。

男性は、これ系に飛び道具で勝てると思わない方がいい。金持ちが圧倒的に勝つ・イケメンしか勝たんなどと覚えこんでいる人たちは、飲み屋のお姉ちゃんとしか関わっていないか、場数が足りていない = さまざまな女性と関わっていない。私に職業を差別する気持ちなどない(飲み屋の〜の部分)。ハートのクイーンを望むのなら尚さら、というような意味。
「カネをもっている」と何がいいと思う。仕事をやめれるとかではない。(生活のために絶対にやめれないからやめたいと思うだけで、選べるようになるとむしろ続けるのが仕事だよ)カネのことなどに心をもっていかれなくて済むようになることだ。そこまでになるには、カネのことを考えなくてはならないフェーズがある。
父が自身の体験から唯一私に教えこんだこと。「さあちゃん、貧乏だとずっとカネのことを考えるんだよ」自分で言うが、私は聡い子どもだった。それが私に、裕福な人と婚姻しろと聞こえたはずがなかった。幼い私はこう解釈した。教訓:人生を選択できるようになれ。

話を戻す。
知識・情報共有・経験・訓練……恋にまつわるそれら全てにおいて、男性は女性より少ない傾向にあるのだ。男性が女性よりうまく、恋愛に対処/失恋を処理できるはずがないのである。
悲嘆にくれた時、感情をひとまずクローゼットに押しこんで扉を閉める。男性も女性も、そのような手段をとることは多いのだが。後でクローゼットを整とんし直すことを学んできた、女性とは違い。男性は、ふとした拍子に扉が壊れて・簡単に中身がとび出してしまいがち。

2つ前の段の内容につなげる。
男性のクローゼットからぐちゃぐちゃのままの感情があふれ出す頃。女性は「フルネームを忘れてしまった」などと笑っている。
彼女が幸せならそれでいいーー男性はよくこのような浪漫(?)にひたるが。本当にわかっているのだろうか。遅かれ早かれ、彼女は幸せに暮らすようになるのだ。元恋人や元夫の「もはや存在しない」世界で。近況を知ろうとする時など、覚悟しておく必要がある。あまりの温度差に深く傷ついてしまいかねない。
女性にオススメするのは。今ならあなたとこういう関係になれるというのを、ウソのない内容で具体的に提示しておくことだ(メッセージの中に自然にまじえて。タイムリミットを明示するのは不自然だが笑)。今今の不快 = あなたを避けるが不快でなくなった時に戻ってきがち(言いきるが、どちらも自分の精神の都合だ)な男性らに対して、あらゆるオファーを蹴ったのはそちらだと一言送るだけで、彼らが自ら何を断ったのかハッキリさせることができる。

恋愛は仕事ではないし、「好き」は究極のえこひいきだが。内定を断っておいて入社式に来たらアタオカ、これをみんな理解できる。状況によってロマンスだけ特例にしすぎない、という手もあるということ。
そういうものを期待して読み進めてきた人もいるかもしれないが。ここから先も、私は復縁のストラテジーなど書かないよ。

ストラテジー草。一度きりの命を燃やしてわざわざなりたいのは、詐欺師か何かか。ドーキンスが走ってきて、その勢いであなたの頬をはたいて、また走り去っていくぞ。
そういうのが見聞きしたかったら、他へ行って。掃いて捨てるほどネットにあるだろ。
「僕はあなたにあなたにただ会いたいだけ みすぼらしくていいから欲まみれでもいいから」以上、だろ。
複雑すぎると感じた状況をわかりやすいストーリーに単純化するなどし、構築しようとしているストーリーにそぐわない情報を無視するなどし。私たちは物語をつくりあげていく。
私たちの脳は物語の不確実性や不快感を最小限におさえることが大好きで、それがうまくいった時にはドーパミンが分泌する。その物語が、実際には、私たちに不利益なものであったとしてもだ。
意図して抗おうとしない限り。私たちは永遠に、先を見越したり全体を見渡したりした上での損得よりも今今の快・不快で、物事を選択して生きていく。

とりあえず目の前にある快楽に手を出してしまうことと、とりあえず目の前にある不快を避けてしまうことは、同じ原理からきているのだ。
このフレーズを何度書いてきたことか。人間は、先の時間のことを考えるのが大の苦手だ。
今とは違う感情になった時の自分を想像できないというのは、わからなくはないが。そうなる可能性があることを念頭において行動できないというのには、君は分散投資をしないのかい?と問いたくなる。
前段とは矛盾するような流れになるが。私個人は、ロマンスなど特に、そんなものでいいとも思っている。私は、みすぼらしくていいからーー寄りの意見だということ。


これは〆への伏線でもある。
(科学的な判断というのは。その時点で得られるデーターから、その構造や性質などを調べ、実証的・論理的・体系的に考え出した結論であって。データーの量や状況が変われば結果も変わり得る。そういうものであるということを念頭において、読み続けてほしい)
愛は、地球上で最も中毒性の高いものの1つである。
新しい関係にある愛する人のことを考えると、脳の腹側被蓋野の活動がうながされる。神経伝達物質ドーパミン(いわゆる快楽物質)が、脳の報酬中枢(いわゆる快楽中枢)である尾状核と側坐核に大量に放出され、高揚感と中毒性を生む。また。恋をしている脳では、ストレス・ホルモンであるノルエピネフリンが増加し、心拍数と血圧が上昇する。強力な中毒性覚醒剤を服用する人と、似たような状態を経験するということ。
恋は、性欲よりも強い衝動である。
誰かに気軽に性的な誘いをして断られたとしても、重いうつ状態になったりはしない。世界中で大勢が恋愛における拒絶に苦しんでいる主たる原因は、文字通りの性的欲求ではない。
恋愛が肉体や精神へもたらすよい影響は、複数ある。


日本以外でだが、こういうデーターがとられたことがある。
深く恋に落ちる男性は、自分の人生には〇〇が欠けていると感じている傾向が高い。〇〇は生涯の夢の類であり、ささいなことではない。そんな欠落感をうめる役割も果たしていたロマンスがなくなると、どうなるか。精神衛生上、よくはなさそうだ。
これまで、恋愛における脳の回路を研究する目的で fMRI を装着させられてきた、さまざまな人たちがいた。
愛し愛されることを望む気持ちや肉体的に欲しているということ自体が、少なくともAやBという人物に対して、消えてなくならない限り。AやBに執着しないようになることは、ほぼ不可能なようなのだ。(言いかえると。ある人にあった執着心がなくなった時、その人への恋心も消えている)
恋愛とは執着であるというのを否定することは、基本的に誰にもできないのだろう。多くの人々にできないことでも自分にはできる、と豪語するのは個人の自由だが。

報酬を期待せずに他人の幸せを心から願う時、恋人どおしが会った時に活性化するのと同じ報酬系はオフになるかもしれないが。恋愛対象者からのメッセージを受けとった時のような高揚感を得ないのは、それが全く自分のことではないためだ。
要するに。相手と自分とを関係者だと認識している内は、難しい。自分には全く関係のない人だ・赤の他人だくらいに思えない限りは、厳しい。
想い人に関連して強く活性化する脳の報酬中枢を打ち消そうという目的で、熟練の瞑想者になる?生きとし生ける全てのものが幸せでありますようにーーとマインド・シフトする?あまり現実的ではないだろう。24時間中・365日中どれだけを使って、達成するつもりか。

私の文章などあなたをちっとも救わない。あなたを救うのはあなたと直接関わる彼や彼女だ。そう伝えるために、書いているようなものだ。
量子生物学的アプローチ(物理学者が知らないことを自然が知っているという方向性)から、恋愛を見てみることも、不可能ではないかもしれない。
閾値以下で脈うつ、数兆もの量子効果の奔流。激しい量子の、あなたの量子の嵐。
量子力学は、極めて微小なスケールにおける奇妙な世界(粒子が同時に複数の場所に存在したり・波のように広がったり・貫通不可能な障壁を通りぬけたり・広大な距離を瞬時につなぐ接続をもったり、し得る世界)を記述する。
アインシュタインは光量子仮説や特殊相対性理論を提唱した。前者は、光の二重性(粒子性と波動性)を示唆する重要なものとなった。それが量子力学の礎となったのだが。彼は、それに疑問を呈するかたちで、量子もつれの「気まぐれさ」についての論文を書いた。
動画をお借りする。
コペンハーゲン解釈が何をさすかは、論者によって違いがあるだろうが。「ボーアは、物理学は観測した現象を説明する学問じゃんと言った」これはいい要約だ。
こういうことを考えると、もう何よりも高まる。科学というメイン・ディッシュの後に宗教というデザート、それでフルコース(哲学)だから。
文章もお借りする。

これ↑はアブラハム・パイスの話だ。ナチスドイツの占領下で地下生活を送りゲジュタポに捕らえられたが、九死に一生をえた物理学者で。戦後、ボーア研究所に滞在していた。
「アインシュタインと散歩をしていた時。彼は不意に足を止めこちらを向き、私にたずねてきた。君が見上げている時にだけ月が存在していると、君は本当に思っているのかと」
過去回も貼っておく。



この宇宙で私たちが直接的に影響をおよぼすことのできる物体は、私たちが直接ふれているものだけだと思われるが。
量子力学によると「量子もつれ」という性質がもたらす遠隔作用が存在し、2つの粒子が何の媒介もなしに同期してふるまう。
非局所性。とても直観に反する現象だ。
量子もつれ(一方が「上」他方が「下」というのと一方が「下」他方が「上」というのがもつれた状態。一方の状態が「上」にも「下」にもなり得る状態)は、粒子がどこに存在するかによらず・粒子が何であるかによらず・互いにどんな力をおよぼしあっているかによらずに、2つの粒子を関連づけると。
特殊相対性理論は局所性を少なくとも前提としている。アインシュタインは量子もつれを「不気味な遠隔作用」と呼んだ。
不気味・奇妙。率直な感想だが。自然法則は、私たちに理解しやすいかどうかにはよらない。
アスペ氏とクラウザー氏とツァイリンガー氏が、2022年のノーベル物理学賞を受賞したのは、ベルの不等式の破れを実証したためだ。
解説をお借りする。


こちらは、2025/10/16に科学雑誌に掲載されたばかりのもの。

リープとロビンソンは、古典力学同様、情報伝達に限界があることを示した(量子多体系において粒子間に短距離力が働く時、情報伝達速度が有限であることを示した)が。空間的にも、量子もつれエネルギーが遠くまで広がることはないらしい。
私レベルでは。立証されたり否定されたり、いつまでもわからないことが存在しているのだな、ということしかわからない。
私たち自身も含め私たちの周囲にあるあらゆる物体が、同時に2つの場所に存在したり・侵入不可能な障壁を通過したり・空間を超えて瞬時に通信したりできないのは、なぜなのか。
私はどうして、綾瀬ちゃんみたいなカッコイイ力を使えないのか。彼女や量子ばかりファンキーでずるいではないか。

明らかな違いの1つ。量子の法則が、単一の粒子やほんのひと握りの原子からなる系に適用されるのに対し。はるかに大きな物体は、数兆個もの原子が驚くほど多様で複雑に結びついて構成されている。系が大きくなると、量子の奇妙さのほとんどは急速に消え去る。物理学者らが「古典世界」と呼ぶ、おなじみの法則に従う日常的な物体にたどりつく。
量子効果は、温かく・湿潤で・混沌とした生細胞の世界では、全く役割を果たさないとされている(いた)。生物学者は、生命の分子構造を球と棒で表現する従来のモデルを好む。
物理学者は、生細胞という複雑で混沌とした世界にふみこむことに消極的だ(だった)。実験室という制御された環境で、理論をはるかにクリーンに検証し、少なくとも何が起こっているのかを理解できる可能性があるのに。なぜそうする必要があるのか、と言わんばかりに。
シュレーディンガーは、生物は何らかのかたちで量子領域に到達し、生細胞内の驚異的な機構を作動させることができていると提唱していたが。

私もこの作品のコアはそこだと思う。
21世紀の生物学が、より小さなシステム(生細胞内の個々の原子や分子のダイナミクス)を探求するようになってから。生命の構成要素における量子力学的挙動の兆候が、明らかになってきた。
私が思う恋愛のよさは、自分もヨーロッパ・コマドリーー冷蔵庫に貼られた小ぶりのマグネットの100倍小さな力を視るーーになれたような気がして高まるぅ(当麻紗綾ね)ことだ、などと冒頭に書いては。誰にも伝わらない。いつも長い文章が必要になる。伝わったところで、変わり者だと思われるだけだろうが。😂
シュレーディンガーが予言していたように。生命は、日常の世界と量子の世界との境界で、絶妙なバランスをとっているのかもしれない。 船長が嵐をうまく利用して、船を正しい進路に導くように。
もう一度。閾値以下で脈打つ、数兆もの量子効果の奔流。激しい量子の、あなたの量子の嵐。「激しい雨に鳴り止まない遺伝子」「咲かせてあげたいあてどないソウルの花」だよ。宇多田はやはり何でも知っている。
Storm という言葉を好きになったのは、いつ頃だったか。高校3年生くらいだったか。


違う「言語」を読めないキーツは、科学者も文学者だということを知らずに亡くなったのだろう。


どこかの国の見知らぬ人、語りをお借りした。私が見た限り、世界中で一番気に入ったから。
人様に自分の文章を〆てもらうなんて、みっともない。私も何か書いてみよう。
己の形状記憶、変形しても保持されている原子のつながりをたどって。彼女は、心を元のかたちへ戻そうとした。涙がこぼれないようにしていたら、雨粒が。いいじゃん。これで、「いかん、雨が降ってきたな」「雨なんて降って……」「いや、雨だよ」式でいけるじゃん。
デンジは本当にいい子だけれど、彼はこんなことはミリもわかっていない。観客もわからない。が、それでいいのだ。「ああ、これが現実……」などと彼女に言わせては、台無しだ。話さないこと・黙っていることには、話すこと・うちあけることと同じくらい、価値がある。(主観)

