見出し画像

小論文で「賛成」・「反対」をする基準とは何か?~『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン)をヒントにして~【小論文対策】

更新日:2025/11/28

 小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、作文・小論文・志望理由書作成における実践的な技法をレクチャーするのが、このシリーズ【文章作成の実践】。

※記事内に広告があります。

(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)


あなたは深く考えずに小論文で「賛成」・「反対」と言っていないか

 中高生の作文・小論文では、課題文の意見に対して「賛成する」・「反対する」と答えて自分の意見の提示としているものが多いです。しかし、これらが適切であるのは、別の拙記事でも述べたように、その問題文で問われていることが「Yes/Noクエスチョン」であるときに限ります。

(小論文では問題文や課題文で問われていることに対してしっかり答えること。)

 たとえば「地域社会の活性化のためにあなたはどうするべきか」というように問題文が「WHクエスチョン」の場合は、それに対して「Yes(賛成)」・「No(反対)」と答えるのはおかしいです。この場合は、小論文の答案上では「私はこうしたい」・「こうするべきである」と答えるべきです。また、課題文が「持続可能な社会を作るための取り組みを社会全体で考えるべきだ」のように「著者自身が論点やテーマに対する明確な答えを出さずに問題を提起するのみで終わっている文章」である場合、「私はこの意見に『賛成・反対』である」という意見は課題文の内容に対して適切に答えているとは言えません。なぜなら、著者自身が明確な答えを意見として示していない以上それに賛成も反対もなく、その回答は読者に委ねられているからです。

(「問いに答えること」に必要なもの)

 こうした、「課題文や問題文の問いに答えるという前提の下で意見の提示を考えるべきであるということ」は、以前にも拙記事の中で何度かお話しをしていることです。しかし、このことがクリアされていたとしても。「賛成・反対」を示すことの問題点はまだ他にもあると言えます。今日はそのことについてお話ししていきます。何を基準にして「賛成」・「反対」と言えるのか、そういうことについてのお話を、『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン 著 外山滋比古/槇未知子 訳)の「第2部 第11章 著者に賛成するか、反対するか」の内容を引きながらしていきたいと思います。

(原題は『How to Read a Book(本の読み方)』。そのまんま、本の読み方についての本です)

「賛成」と「了解」・「共感」は違う

 中高生の作文や小論文で「私は課題文の筆者の意見に賛成する」とあった場合、その多くは「了解した」・「共感した」とほぼ同義で使われていることが多いです。なぜなら、その際の「賛成」は、主に中学生の作文においてよく見かける「私は課題文を読んで○○ということがわかった」や「私は課題文の筆者の意見に共感する」ということの延長線上にあるものとしてとらえていると読みとれるからです。

(「わかった」・「共感した」は自分がそれを「学んだ」という意志を表明する、感想文などの作文を書く際の『クセ』を残したものとも言えます。)

 たしかに、その意見に対する「理解」や「了解」なくしてその意見に対する「賛成」はあり得ないですし、その意見に対する「共感」がその意見に「賛成」するきっかけになるかもしれません。しかし、その課題文の内容を十分に「理解」・「了解」したからと言って即座に「賛成」とはなりません。また、その課題文の筆者に「共感」するとはその筆者と同じ感情を抱くことですが、これもまた即座に「賛成」とはなりません。

 本の内容が理解できたのに、どこに反対の余地があるのだろうか。批判をするには、自分の判断を下すことが必要だが、内容がわかったということは、読者と著者の精神が一体化したということである。このうえ、読者自身にどんな判断があるというのか。
 こういう疑問は、理解が成立しているところに反論はあり得ない、と勘違いしているから生じる。

『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン 著 外山滋比古/槇未知子 訳)

 『本を読む本』のこの引用箇所の通り、そこには「理解が成立しているところに反論はあり得ない」という「勘違い」があると言えます。「課題文を読んで、私は医療従事者に求められる、適切な患者に対する接し方を理解した」と作文や小論文で書いたときに、そこには課題文の意見に対する書き手の全面的な肯定があると書き手自身は信じています。それゆえ、多くの答案では「私は課題文の筆者の意見に賛成だ」と述べているも同然と読みとれる節があります。しかし、そこには「理解=賛成(反論はない)」という大きな勘違いがあります。

 「あなたの言っていることはわかった」は「賛成」と同義ではありません。また「内容がわかったということは、読者と著者の精神が一体化したということ」でもありません。「わかった」上で議論にはその先・続きがあります。「わかった」から「賛成」できるのももちろんですが、「わかった」から「だからあなたの意見に『反対』だ」というのもあり得ます。昭和の政治家犬養毅は「話せばわかる」と襲撃してきた青年将校に言いました。話すことによってお互いの理解が深まることはあるでしょう。しかし、話し合いがそこにもたれたとして、犬養の考えを青年将校が十分に理解したとしても、それに賛成をし襲撃を止めるかどうかはまた別です。「話を聞いて十分に理解したが、いや理解したからこそ、あなたの意見にはやはり承服しかねる」となるかもしれないのです。

 「共感」も同じことです。たしかに「共感」は「他者理解」の入口となり得ます。しかし、「共感」したから「賛成」できるわけではありません。その人(他者)の立場に身を置けばその人の思いに「共感」できます。しかし、その上で「その人の考えには反対だ」ということもあります。たとえば、ウクライナが西側諸国(EU)側につくことで、ソ連時代にあった西側との間の緩衝地帯(バッファー)を失うことを意味するため、そこにロシアが国防上の脅威を感じることに対しては「共感」はできます。そのロシアの国際的な立ち位置に自らも身を置けば、ウクライナが完全に西側になってしまうことは(ウクライナにいるロシア人のためにも)避けたいという気持ちは理解できます。しかし、だからと言って、ロシアのウクライナ侵攻に「賛成」することはできません。それ自体が、国際社会の新しい大きな脅威となるからです。「共感」はできるし気持ちもわかりますが、「賛成」はできません。その相手の立場に立ってその気持ちを理解したからと言って、その相手の考えに賛成するとは限らないのです。

 「理解が成立しているところに反論はあり得ない」というのは「勘違い」であり「誤解」です。むしろ、理解が成立したからこそ、そこで初めて「賛成」するか「反対」するかのどちらにするかといった意思決定の場に歩みを進めることができると言えます。

小論文で「賛成・反対」を決定する3つの条件と4つのポイント

 では論理的な文章(小論文)において「賛成・反対」を決定するにはどういう基準が想定できるのか、これについて『本を読む本』では3つの条件と4つのポイントを挙げています。

 本の内容を理解したうえで、読者が反論する場合について考えよう。(中略)読者が反論するのは、著者に誤りがあることをはっきり指摘できる、と考えるからだろう。いたずらに偏見や感情をぶつけているわけではない。この場合、議論をうまく運ぶには、三つの条件が満たされることが理想である。

『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン 著 外山滋比古/槇未知子 訳)

 このように述べた上で、前提となる3つの条件を挙げています。

①議論は理性的に行うべきだが、感情的になる危険性もありうる。
②自分の立場を明確にする一方で、著者の立場を理解する。
③(①と②を踏まえて)相手の立場に立って共感した上で、冷静に議論は進める

〆野のまとめ

 課題文の筆者の意見に対して賛成するにしても反対するにしても、そこには「課題文筆者との『対話』・『議論』」が必要です。これを適切に進めるに当たっては、まずそこに「感情的になる危険性」があることを自覚するべきです。客観的事実ではない「偏見」や「先入観」によって「感情的」に相手を批判していないか、注意するべきです。また、自分の意見や立場を明確にする一方で、相手の意見や立場を十分に理解するべきです。感情的に反論をすることを避けつつ、無自覚に相手の意見に同調することも避ける必要があります。その上で、相手の立場に立ってその考えや意見に共感しつつも、冷静かつ論理的に議論を進めることが前提条件となります。『本を読む本』の中でも「以上の三つの条件は、知的な実りある対話が成立するための必須条件である」と言っています。

(「賛成」・「反対」を示す上ではそこに適切な「対話」・「議論」がなければならない。)

 これらの3つの条件を前提として、本書では「反論には四つの方法がある」と続けています。

 著者に向かって「あなたの言うことはわかったが、賛成はできない」という場合、読者の言い分には四つある。(一)知識が不足している。(二)知識に誤りがある。(三)論理性に欠け、論証に説得力がない。(四)分析が不十分である。
 以上ですべてを尽くしているとは言えないだろうが、この四つが、反論するさいの主要な問題点であることはたしかである。二つ以上の反論が重なることは、いっこうにさしつかえがない。
 だが、いずれの場合にせよ、どういう点で著者が知識不足であるのか、知識に誤りがあるのか、非論理的であるのかを明確に指摘し、さらに、その理由を述べ反論を立証しなくてはならない。

『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン 著 外山滋比古/槇未知子 訳)

 先の(一)と(二)はすぐにわかるでしょう。前提となる知識に不足や誤りがあれば、当然そこから導き出される結論にも誤りがあると考えられます。そこに反論の余地があると言えるでしょう。問題は(三)と(四)です。

(三) 論理性に欠けるということは、推論に誤りがあるということである。ふつう、誤りには二種類ある。一つは「不合理な推論」で、結論が、仮定された論拠にまったく基づいていない場合である。もう一つは「推論における矛盾」で、著者が言おうとする二つのことがあい容れない場合である。どちらの場合も、読者は、著者の議論がどの点で説得力を欠いているか、正確に指摘しなくてはならない。(後略)

『本を読む本』(M.J.アドラー/C.V.ドーレン 著 外山滋比古/槇未知子 訳)

 この(三)については、本書でもこの後に「第三の例を挙げるのは(中略)むずかしい。本当に良い本は、推論で、すぐにわかるような誤りを犯したりはしないものだからである。」と述べているように、大学入試で出典に選ばれるような「それなりの本」の中ではそうないミスです。国語や小論文で出典として扱われる本や文章は、評論家やジャーナリスト、大学教授など、いずれも一線級のプロの専門家が書いているものであり、こうした単純なミスが考えにくいです(そもそもそんな本は商業出版もされないし、入試問題の出典に採用されません)。ですから、これをもって反論するケースはほとんどないと言えます。なお、ここで挙げた推論の誤りは、むしろ中高生の作文や小論文で多く見かけることなので、中高生は自分の文章にこうした誤りがないかどうか注意した方がいいかもしれません。

(適切な推論-論証について)

 最後の(四)は少しわかりにくいですが、簡単に言うと「そのテーマや論点に対しての分析としてその本が不完全である」ことに対する反論です。わかりやすい例を挙げると、本書でも例を挙げていますが、たとえばそれは「時代による制約からくる分析の不完全さ」です。これはどういうことかと言うと、過去のある人によって書かれたそのテーマの本はそのある人の生きた時代で明らかになっているものでしか紡ぐことはできないため現在の同テーマの問題を論じることができておらず、結果そのテーマについて分析を尽くした内容とは言えないということです。たとえば、人工知能の研究について書かれた1980年代の論考は当然今のAI技術がない時代に書かれたものであるため、今のAI技術がもたらす問題などについて述べることが十分にできていないというケースがそれに当たります。

 これについて、本書では「不完全さに関する第四の批判は、著者の業績の限界を指摘するにとどまるから、厳密に言えば、反論の根拠とならない。」と述べています。そのため、(一)から(三)とは少し扱いが異なると言えます。なぜなら、(四)は反論すべき文章の瑕疵とは言えないからです。

 以上が、反論のポイントです。こうしたポイントに対して客観的に反論を加え反対意見を述べていきます。ですから、ひるがえって、「賛成」の意思は、こうした反論ポイントがないことによって決定されます。つまり、(一)から(三)の前提となる知識の不足や誤りがなく論証内容に誤りがないということをもって、その文章に賛成できると言えます。

実際の小論文作成における賛成と反対のジャッジ

 こうしてみると、大学受験の小論文の作成に際しては、実際的には課題文の筆者の意見に「賛成」せざるを得ないことの方が多いと言えます。なぜなら、前述の通り(三)の推論の誤りがプロの専門家や文章家の文章にはめったにないミスであるというのなら、同様に(二)の知識の誤りに関してもプロの文章にはそう多くはないと考えられるからです。また、(一)の知識の不足に関しては「課題文における筆者の意見には、論証の根拠としてこれこれこういう知識が欠けている」と指摘して反論することはできそうです。しかし、通常の読書のようにまるまる一冊本を読むのではなく(『本を読む本』は一冊の本をしっかり読んでからの賛否決定について述べています)入試では試験問題として引用されたその本の一部分のみを課題文として読むことになるため、その不足している知識に関してその引用されたところ以外でその本(の著者)が述べている可能性がないとは言えません。そのため、その知識が欠けているとの指摘や反論が適切かどうかの判断を書き手(受験生)側で判断することは極めて難しいと言えます。あなたが不足していると指摘したことに関して、その本が引用部以外で言及している可能性を完全に否定することができないからです。なお、(四)は本書でも言われているように「厳密に言えば、反論の根拠とならない」ため、それにふれることもできなくもないですが、それは反対意見の立証には及びません。

 加えて、「制限字数のあるその小論文の中で課題文に対してはたして十分な反論が可能か」という問題があります。入試問題の課題文として引用されている箇所はその出典である本の一部に過ぎません。実際は、そのテーマや論点で重厚な一冊の本を著者は書いているのです。それに対して、800字程度(大学受験小論文の一般的な制限字数)で十分な反論ができるかどうか、と考えるとなかなか難しいということが言えます。もちろん、不可能とまでは言いません。しかし、それには課題文の極めて正確でクリティカルな読解が不可欠であり、その上でその反論のポイントを適切にとり上げ正しく論じることが必要と言えます。

 もちろん、あるテーマに対して賛成意見を述べる文章とそれとは真逆の反対意見を述べる文章とを課題資料として並列させてその賛否を論じさせるといったタイプの小論文問題もあり、そのときは賛成も反対もあり得ます。しかし、ごく一般的な課題文型小論文において言えば、前述の通り課題文と反対の意見の側に立つのは少しリスクがあると言えるかもしれません。受験戦略・入試攻略という面で言えば、課題文に賛成する立場で書く方が書きやすいでしょうし、難しくはないと言えるでしょう。

まとめ ~小論文作成においては明確な基準を意識して賛成・反対のジャッジを行うべき~

 いずれにしても、賛成と反対は、単に「何となく自分の考えと一致している」・「何となく自分の意見とは違う」という認識のみで行うものではない、ということはここで理解してもらえると思います。また、課題文を「理解」し「共感」したからと言って、それをもって即座に賛成できるというものではない、ということもわかってくれたと思います。

 課題文に対する「理解」や「共感」を糸口にし、その上でその課題文の内容を総点検します。その上で、おおむね問題や誤りがないというならばそれは賛成できるということになります。しかし、何か誤りがあると自分が読みとったならば、反対する立場で小論文を書いてもよいでしょう。

 ただし、前述の通り、課題文に反論をし反対意見を述べる際には若干のリスクが伴います。その際は、その反対意見を十分に立証する論として自分の小論文をまとめることができるかどうか、考えてみることが大切です。

いいなと思ったら応援しよう!

〆野 友介 「記事が参考になった!」と思われる方がいましたら、サポートしていただけると幸いです。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!