主観と客観を適切にチューニングして志望理由書と小論文の作成に当たるべし【〆野の添削指導録 vol.12】
更新日:2026/07/22
年間を通じて、中高生の作文や志望理由書・小論文3000枚程を添削指導している〆野の、「中高生のみなさんにできれば聞いてほしい」、ざっくばらんでちょっぴり辛口そして本音たっぷりな「添削指導の記録」です。
(私の自己紹介はこちら)
その文章を書く対象や目的を考えて自分の立ち位置や見方を決める
これはわりと文章を書く力がある人の志望理由書作文によく見られる傾向なのですが、「小論文のようになっている志望理由書」というのがあるんですよね。たとえば、自分が公務員を将来の目標に決めたきっかけについて書くというくだりで、自身が住んでいる地域社会の問題として少子化・過疎化の問題を挙げる、その問題を解消したいと考えて将来は市役所職員(地方公務員)になりたいと考えたと述べる、……とまあ、ここまではいいです。しかし、問題はその内容の扱い方で、「一般的な地域社会や経済」について「論じる」内容となってしまっているのです。日本社会全体の少子化の進行と都市部への経済資源や労働資源の流出を問題として挙げて、その問題の解消として地域社会や経済の振興の必要性を述べている、そしてこうした地域社会の経済の振興には「民間のパワー」だけでは不十分であって交通機関やインフラの整備など公共財の充実が必要だ……だから私は公務員となってそれにかかわりたいのだと。たしかに、その言っていることは「正論」で納得のいく内容ではあります。ですが、それは高校の授業とかで政治や経済について勉強していればわかることでもあるし、また、公務員志望となれば多くは志望先が法学部や経済学部系統であるのですが、そこの教員はそういう問題の専門家であるわけですからそうした「一般論」についてはその受験生よりよく知っているはずのことです。ここ(志望理由書)で、高校生から、そんなどこかの新聞や雑誌のコラム欄にあるような「地域社会・経済論」を「講釈」されても、「いや、そういうことを聞きたいわけじゃないんだよな……」と読み手(志望先大学・学部の教職員)は思うでしょう。志望理由書で聞きたいのはまさに「その受験生の個別具体的な志望の動機や理由」なのであって、そうした将来の目標を形成するに至ったその受験生個人の内発的動機を聞きたいのです。AIが答えてくるような「ありふれた一般論」を聞きたいわけではありません。
実はこれと逆のことが、高校生の書く小論文ではよく見られます。たとえば、課題文で少子化や過疎化による地域社会の問題点について述べられておりそれについて論じることが問題文で指示されているとします。それについて、課題文の内容を踏まえて「私もそれは現代日本の社会において問題であると考える」と自分の意見を提示し、その問題が現れている地域社会の一例として自分が住んでいるところを挙げる……ここまではいいです。しかし、その後を読み進めていくとそれは「受験生自身の住んでいる地域の問題をどのように解決するか」について論じている内容に過ぎません。たしかに、その地域にはそうした独自の文化資本(たとえば歴史的建造物など)がありそれを再活用することで観光資源となりえるため、観光客を外部から呼び込むことによって地域経済の振興につながることはあるかもしれません。その理屈はよくわかります。しかし、全体としては「その受験生が住んでいる地域に限定された経済活性案」の内容にとどまっており、それを同じように少子化や過疎化が進行する他の地域に対してどのように普遍化するのかが述べられていません。話が自分の住んでいる地域に局所的に当てはまる個別具体的なケースにしか及んでいないため、「地域社会の問題を論じる小論文」としては不十分な内容となってしまっているのです。読み手としては「たしかにそれはそうかもしれないが、それはあなたの住んでいる地域に限ったことだよね」となるわけです。それは一般的、公共的立場に立って地域社会の抱える問題に対する解決策を論じる、説得力のある小論文となっていないのです。
この二つのケースに共通する問題は、「主観と客観のチューニングがうまくいっていない」ことにあります。自分のことを話すべき志望理由書で客観的に社会全体の問題を論じ、また社会全体の問題を論じるべき小論文で主観的な自分の話に固執しているのです。そのため、共に適切な内容でまとめることができていません。
もちろん、志望理由書でも、自分のことを客観視できていなければ自分がどのように将来の目標を決めてどのようにその大学や専門学校を志望先に選んだのかを読み手に説明することはできないでしょう。また、小論文でも、自分の意見を提示して自分の考えを述べる以上そこには「自分はこう考える」と主観的に述べることも欠かせません。
しかし、志望理由書で客観的な視点が前面に出れば、その内容は「一般的によくある陳腐な志望の理由」となり「その人個人がどう考えてその職業や大学・学校を志望したのか」がわからないものになってしまいます。同じく、小論文で主観的な視点のみにとどまってしまったらそれは「社会問題を論じている」ことになりません。先の例を再び挙げて言うなら、それはただの「自分の住んでいる地域(自分のこと)の話」にしかならなくなります。二郎系ラーメンの注文ではありませんが、志望理由書は「主観多め」・「客観少なめ」、小論文は「主観少なめ」・「客観多め」がちょうどいいのです。その文章を書く対象や目的を考えて、自分の立ち位置や見方を決める必要があります。
(なお、志望理由書と小論文がそれぞれどういう文章であるかは、下の各サイトマップ記事から各関連記事をお読みください)
「自分のこと」を他者に説明する志望理由書と「社会のこと」を自分の立場から論じる小論文の違い
志望理由書の書く対象は当然「自分のこと」です。また書く目的は「自分のことを他者に説明すること」にあります。冒頭で自分の志望先大学(学校)・学部・学科と進学の動機である将来の目標を示すことで、いわば読み手(志望先側)に「自己紹介」をしています。「私はこういうものです」と名刺を手渡しているようなものです。その上で、そうした将来の目標を抱いたきっかけや動機について述べ、また「なぜそちらの大学(学校)を志望先として私が選んだのか」についての回答となるよう志望理由を述べます。これは自分が何者でどういうことを考えて自分がその志望先を受験しているのか、つまりそういう自分を志望先にわかってもらうために書いています。その中で、もちろん「社会問題に対する自分の考え」について述べるくだりもあるかもしれません。しかし、それは読み手に自分のことをわかってもらうための一方法に過ぎません。自分が考えていることを志望先に知ってもらうことで、自分という人間や自分の志望動機や理由を読み手に理解してもらうためにやっていることです。
それに対して、小論文の書く対象は「社会についてのこと」です。また、書く目的は「それ(問題や課題として提示されていること)に対する自分の意見が客観的に見て正しいということをわかってもらう」ことです。そのために、まずは、それに対する自分の意見を立てます。しかし、それが恣意的かつ主観的な判断に拠るものではないことを証明するために、その意見が客観的に正しいと多くの人が認めうるような「根拠(理由や具体例)」を具体的に挙げます。これによって、その意見の客観性を担保します。ここにおいて、自分がどういう人間かを読み手に知ってもらう必要はありません。読み手には、ここで挙げている自分の意見や「論」が論理的に正しく客観性のある考えであることをわかってもらえさえすればいいのです。
「志望理由書は『主観多め』・『客観少なめ』、小論文は『主観少なめ』・『客観多め』」と先ほど述べました。しかし、この辺のあんばいについてより詳しく言うならば、志望理由書は「自分ことについて述べる」という点について言えば主観的な文章と言えますが、それを他人に伝えるものとしてしたてる(当たり前ですが、自分だけがわかっている独りよがりな文章で志望先に伝わらなければ、志望理由書としては何の意味もありません)上では客観視する必要があると言えます。一方、小論文は「自分の意見を述べる」段階では主観的な決断が必要ですが、それを全体的に一つの論として成立させるには客観的な判断(どういう客観的根拠に基づいてそうした意見を述べたのか)が必要と言えます。志望理由書は客観視した自分について主観として述べた文章と言えますが、小論文は主観に基づいた社会についての意見を客観的な論としてまとめた文章と言えます。
書く文章に応じて主観と客観のチューニングを行うことの重要性
このアカウントは、受験生に作文・小論文の書き方を教えるという目的で運営しています。ですから、ここでは「志望理由書作文と小論文との違い」について述べました。ですが、この「主観と客観のチューニング」は大人になってから文章を書く上でも必要になってくる考えだと私は思っています。たしかに、「客観に全く拠らない絶対的な主観」や「主観の入る余地のない絶対的な客観」というのは現実的にはありませんが、どの程度主観的または客観的に考えたり述べたりするかは、その文章の書かれる目的や意図によって変わります。
たとえば、新聞記事(報道文)は公正・中立を旨に客観的に書かれるべきものとされています。それは、起こった事件や出来事をありのままに伝えることを目的とした文章だからです。たしかに、同じ出来事でも新聞によって伝え方(論調)が違うということがあります。新聞記者も人間ですからその文章にその人の主観が入ることは否めませんし、またその新聞記者の集合体が新聞社なのでそこに新聞社の判断が入ることを完全に排除することはできません。しかし、それでも新聞記者には客観性をもって記事をまとめることが求められます。その前提が崩れてしまったら、報道が成立しないからです。「どうしたって人の主観が入るのだから客観性を追求しても意味がない」と考えている新聞記者やジャーナリストは一人もいないはずです。「可能な限り客観的に事実を伝える」、そういうチューニングをして記者やジャーナリストは文章を書いていると考えられます。
こうした特殊な仕事でなくても、このチューニングは必要です。大人(社会人)がなるべく書きたくないものに「顛末書」というものがあります。業務上で何らかのミスをしたときに会社の上長から提出を求められる書類のことです。これは「どういうことでこうしたミスが起きたのか。またこうしたミスを今後防ぐにはどうしたらよいか」を客観的にまとめるものです。このとき、「こういうミスを起こしてすみません。反省しています」などの主観的な感情を含めてはいけません。会社(上長)が求めているのは「ミスが起きた事象に対しての客観的な分析」と「同じようなミスに対する今後の防止法」です。ミスを起こしたとき反省の弁や言い訳がついつい口からついて出てきそうですが、それが出ないようにここではチューニングして文章をまとめる必要があります。こんなとき、「反省文」のような文章を書いて提出すると、「いやいや気持ちはわかるけどそういうことじゃないのよ……」と上長から言われてしまうでしょう(ちなみに反省や謝罪を求められたときに書くのは「始末書」と言います。ここでは自分の反省や謝罪の念について主に述べます)。
ですから、高校生や大学受験生は、志望理由書や小論文の作成を通じて、こうした主観と客観のチューニングを適切に行って文章を書くことを学んでください。もちろん、大学受験上必要な考え方なのでここではお話ししていますが、これは大学に行っても社会に出ても必要な考え方なので、これを機会に是非身につけてほしいと思います。
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