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【補遺】「私はこうしてこの作品を選んだ!その1」であえて書き逃したことをここにまとめます!

 こちらは、先に挙げた「私はこうしてこの作品を選んだ!その1」の補遺記事です。あえて書き漏らしたことをこちらで補足します。したがって、こちらの拙記事をお読みになられる場合は、先に下の拙記事をお読みいただくことを推奨します。

(「私はこうしてこの作品を選んだ!その1」モノカキングダム2025の王者に輝きましたなつき希さんの「『はい』と言えた日に。」の選評をこちらにまとめました。当記事はこの記事の補遺です。)

 なお、なつきさんの当該作品のリンクはここには貼りませんので、当該作品にご興味のある方でまだお読みになられていない方は上の拙記事のリンクから当たってみてください(その度になつきさんに通知が行ってしまい大変ご迷惑をお掛けするため)。また、なつきさんのこちらの作品をお読みいただいていないと当記事も十分にお分かりになられないかと思います……。素晴らしい作品なので是非ご一読を。

 さて、上の拙記事にらいおんさんからコメントをいただきました。

「じわじわと」も、読み手がシンクロして物語世界と邂逅するってところにうわ~やられた~(何に?笑)となりました。

らいおんさんのコメント

 この「うわ~やられた~(何に?笑)」は「うわ~そこは自分の指摘したかったところだわ~やられたわ~」という意味だと思います(ですよね?らいおんさん?)。「読み手がシンクロして~」は私の本記事でふれていることですからこれはいいとして、この「じわじわと」、これね、実は私も記事の中で深く言及しようと思ったんですよ。でも、結局言及せず本記事では引用してあえてふれるのみとしました。

 というのは、作品全体の評として書いている中で、このフレーズについてふれると評の論旨から外れるかなと思ったんですよね。全体について話している中で、こうした細かいフレーズのみ深く言及すると話がずれるなと。で、あえて言及しませんでした。

 しかし、らいおんさんがとりあげたので、他にも気になる人もいるのかなとも思い、補遺としてここでまとめることとしました。昨日までは書くつもりなかったことですが、「おまけの話」として聞いてください。

 では、本題です。



なぜ彼は「じわじわと」育ったのか?

パワーワード「じわじわと」

 なつきさんはとても表現が上手い方なんですよね。それは、私の拙記事でも述べたように「過不足がない、無駄がない、必要最低限の表現」という意味で、です。しかし、だからこそ、このフレーズが印象に残ります。

 彼はそこで、じわじわと育っていった。

なつき希さんの作品「『はい』と言えた日に。」より

 これは、「主人公格である知的障害と自閉症を持つ子どもが愛のある周りの環境に支えられつつもゆっくりと育っていった」というシーンです。どうです?読んでみて、何か違和感がないですか?

 実はこれ、「じわじわと」の一般的な使い方と少し違うんですよね。「じわじわと」は、本来は成長の速度などに使う表現としてあまり一般的でないのです。ここで適切な表現をとるとしたら、上記のように「ゆっくりと」か、あるいは「徐々に」とか「少しずつ」などです。では、試しに変えてみます。

 彼はそこで、ゆっくりと育っていった。

 表現の違和感はなくなりますよね。……とこれが中高生の作文や小論文の添削ならばこれでこの話はおしまいです。日本語表現として適切か適切でないかで言えば、より適切な表現に直して終了です。

 しかしこれは文芸作品です。この違和感が、実はこの「じわじわと」をパワーワードたらしめていると私は思います。ここが「ゆっくりと」というごく普通の「適切な表現」だと、表現としてパンチがないわけです。一切の無駄な表現がなくつづられている文章の中にあって、ふと目に留まる唯一の違和感。だからこそ、この表現が「映える」のです。

違和感の正体

じわじわ(副)ゆっくりと、少しずつ動いたり変化したりするようす。じわりじわり。

三省堂国語辞典 第七版

 通常の辞書にはこのように出ています。これを見て「何だ!合っているじゃないか!」と思われる人もいるかもしれません。もちろん私は「全く間違い」と言っているのではありません。「一般的に適切とは言えない」と言っているのです。

 この「じわじわ」は品詞分類から言えば副詞ですが、擬態語・擬音語(オノマトペ)でもあります。では、オノマトペ専門の辞書を引いてみましょうか。こういう辞書も世の中にはあるんですよね。仕事柄、いろいろな辞書が私の家にはあります。もっともこの辞書はほとんど使ったことないですが(笑)。

(こちらの辞書にお世話になります)


じわじわ(っ)
(中略)
【解説】ごくわずかずつ浸透する様子を表す。ややマイナスよりのイメージの語。(中略)不安・不気味の暗示を伴う。(後略)

現代擬音語擬態語用法辞典

 基本的には、液体状のものなどが浸透する様子を表しています。しかし、そういう液体感があるものがゆっくりと浸食するイメージからか、「ややマイナスより」だったり「不安・不気味の暗示」だったりがあります。これが基本の概念イメージです。だとすると子どもの成長速度の形容としては、本来はあまり適切とは言えないと考えられます。

 ただし、先ほどからも言っているように「全くの間違い」ということではありません。現に、この辞典ではこういう解説もあります。

⑤ 株価は四月に入ってじわじわ持ち直した。
⑥ 巨人はじわじわと攻め返してついに逆転した。
⑦ 彼女は初めは結婚に消極的だったが、三年の間じわじわ説得されて、とうとう首を縦に振った。

 ⑤~⑦は目標に少しずつ迫る場合である。この場合には、不利な状態またはゼロの状態から少しずつ形勢を逆転するときに用いることが多い。

現代擬音語擬態語用法辞典

 おそらくなつきさんはこうした概念イメージに拠って「じわじわと」を使ったと考えられます。ですから、間違いではないのです。ただし、基本「プラス」イメージではありません。⑤のケースも株価が持ち直した理由が明らかならば、あまり「じわじわ」とは言いません。「堅調に回復した」とか言います。これはおそらく株価が持ち直した理由がわからないときです。だから「じわじわ」と「(理由が明確でないという意味で)不気味」に持ち直したと言えます。また⑥のケースは、巨人ファンならこうは言わないはずです。これは巨人と戦っている相手チーム側の言い方でしょう。巨人が攻め返してくるのは望ましくなく、相手チームからしたらその巨人の浸食していく様は「不安」でしかありません。⑦はよりわかりやすいケースです。「説得されて」の主語は「彼女」です。彼女は結婚に「消極的」なわけですから、結婚には「マイナス」のイメージがあり本来は説得などされたくないでしょう。説得されて結婚を受け入れるのは「不安」ですし「不満」のはずです。ですから、「首を縦に振った」のは、泣く泣くしかたなくであって、彼女にとって本来の「望ましい決着」ではなかったはずです。

 つまり、このどれもたしかに「目標に少しずつ迫る場合」です。ですから、この子どもの成長という目標に少しずつ迫っているわけですから、その限りでは問題のない使い方と言えます。しかし、その目標やその迫り方に対しては不安感や不気味さがつきまとっている、それが「じわじわ」という言葉なのです。「彼はそこで、じわじわと育っていった」というフレーズを読んだときに「引っかかってくる違和感の正体」とはこういうことだと思います。

 ですから、「じわじわと」を使うことによって、ややもすると彼の成長が作者にとって望ましくないことなのかと、ここだけ一読すると読者に勘違いされる可能性をはらんでいるとも言えます。ここまでのことで考えると、「じわじわと」という表現を採用することは、一見すると誤解されるリスクがあると思えるからです。

それは「適切な違和感」だった

 では改めて、なぜ、なつきさんは「じわじわと」という違和感のある表現をここに採用したのでしょうか。それは、このフレーズの前の文脈にそのヒントがありました。

周りの子ども達はやさしかった。

一緒に遊ぶのは簡単じゃない。
でも誰も彼を置いていかない。

体育で困っていると、担任が子どもたちと“特別ルール”を考えてくれた。

担任が、そういう空気をつくるのが上手な人だった。
助けることを強制せず、ただ一緒にいられる教室。

なつき希さんの作品「『はい』と言えた日に。」より

 このシーンにおいて、「助けることを強制せず」とあるように彼の成長に直接的に作用した手助けはありません。周りの子どもは一緒に遊ぶのが大変だとしても誰も彼を置いていきません。また、担任は「そういう空気」を上手につくり、「ただ一緒にいられる」空間をそこにつくりました。つまり、彼の成長を促した直接的な決定的要因はここにないのです。しかし、結果として彼にとってはそれがよかったのであり、それでよかったわけです。

 つまり、これは前述の⑤のケースに相当する用法です。株価が「よくわからないけど」じわじわと持ち直したという、あれと同じです。何も彼の成長そのものが「不安だ」、「不気味だ」と言いたいわけではありません。そうではなく、「彼がこれで成長したと確信を持って言えるものはここにはないから、何で成長したかははっきりとわからないけれども、とにかく彼はそこでゆっくりと成長した」という意味での「じわじわ」なのです。なつきさんはその違和感を適切なものと考えつつ、それに自覚的でありながらもあえて採用したということになります。

驚くべき言語センス

 驚くべきは、なつきさんのこの言語センスです。少し一般的でない表現をあえて採用することで、その状況をより的確に説明することに成功しています。しかも、その一般的でない、少し違和感のある表現だからこそ、読者の中でこのフレーズが強く印象づけられます。いやぁ、これはすごいの一言です。もちろん、なつきさんがここまで論理的に考えてこの表現を採用したわけではないと思います。書いている中でわりと自然にその表現を採用したのでしょう。だからこそ、これはセンスとしか言いようのないものです。センスの賜物です。改めて、この作品のすごさが知れましたね。

(なお、検索には以下の文献にお世話になりました。)

三省堂国語辞典 第七版

現代擬音語擬態語用法辞典 初版(東京堂出版)

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〆野 友介 「記事が参考になった!」と思われる方がいましたら、サポートしていただけると幸いです。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!