作文(感想文・意見文)と小論文の違いがもたらす日本の作文教育の構造的問題について、作文・小論文指導者が考えてみた!~『論理的思考とは何か』(渡邉雅子)の感想と共に~
更新日:2026/01/11
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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)
日本の作文教育では、途中から「それまでの価値観や評価観」が否定される~作文と小論文の間にある気になる「段差」~
先日から読んでいた『論理的思考とは何か』を読了しました。去年から多くの人によいと評価されており私も気になっていましたが、忙しさにかまけて読めていませんでした。たとえば、note界を代表する読書家らいおんさんは早くからこの本を評価しており、いつかは読もう読もうと思っていましたが一年が過ぎ、今ようやく読めました。
(この本に対する私のつぶやき)
(らいおんさんの紹介記事)
細かい感想や解説はらいおんさんの記事にお任せするとして、私個人の感想としては「すごい本だな」、「もっと早くから読んでおけばよかったな」の言葉に尽きます。自分の中で言語化せずとも経験的に自明としていた文章教育にかかわることを、この本は明晰に言語化しそれぞれの事象を整理しています。「目からウロコ」とはこのことです。それと同時に、作文や小論文・志望理由書を指導している者として「ここまで文章教育について考えたことはなかった」と少し恥ずかしく思いました。いかに自分が「作文とはこういうもの」、「小論文とはこうするのが当たり前」と決めつけて何も問題性を抱かなかったかが知れました。私のような文章教育に携わる人は是非一読されることをおすすめしたいです。
さて、個人的感想は以上にして、ここではこの本を読んで私の気付いたことを記事としてまとめようと思います。ご存じの方は多いと思いますが、私は「作文・小論文指導者」です。その立場から、私が気付いたことをここではまとめます。それは「日本の文章教育の構造的問題」です。簡単に言えば、「小学校で『作文とはこうすべき』と教えられることは、中高生で『小論文では作文とは違ってこうすべき』と教えられること」です。これは私をはじめ、多くの文章教育に携わる者が経験的に知っていることだと思います。しかし、この本は「日本の文章教育の問題」を言語化し可視化しています。この本に依拠しながら、それについて述べていきます。
「終始一貫している外国の作文教育」と「評価基準が途中から変わる日本の作文教育」
この本では「アメリカのエッセイ(経済の論理)」・「フランスのディセルタシオン(政治の論理)」・「イランのエンシャー(法の論理)」・「日本の感想文(社会の論理)」と、世界の文章教育とその文章論理を四つのタイプに大別し、それぞれを比較し分析しています。それぞれがどういうものでまたそれぞれがどのように異なるかは本書を読んで確認していただきたいのですが、ここで言いたいことは「日本以外は教育として終始一貫している」ということです。アメリカもフランスもイランも、その文章教育によって学ばれる論理の型は学び始めから学び終わりまで同じであり、またその論理の型によって学ばれる価値観はその社会の価値観と直結しているのです。
そこでアメリカでは小学校一年生から「私は……と考える。なぜならば(I think……,because……)」と定式化された言い方で意見を述べる訓練を行う。(中略)「私はこう考える。なぜならば」という言い回しが習慣化され、思考法として定着すれば、エッセイまでは一足飛びである。
フランスの初等・中等教育の言語のカリキュラムは、このディセルタシオンを書けるようになるために綿密かつ段階的に組まれていると言っても過言ではない。こうした理念のもとにバカロレアの論述試験の訓練を行う高校の三年間は、フランスにおける教育の最上の部分であると高校教師たちは自負している。
以下では主にイラン教育省から刊行された作文教科書―二〇一九年刊行の小学校一年生から高校三年生までの一二冊―をもとにイランの作文と論理を分析していこう。(中略)イランの学校作文は、作文一般と書く教育を表す「エンシャー」というペルシア語で呼ばれ、初等教育から中等教育を通して主に四つの主題を扱う。
このように言語や文化・論理の型は違えど、三者共、初等教育から中等教育(小学校から高校)まで一貫して連続している文章教育体系をとっています。つまり、小学校で教わったことは中高になってからもまた重要視され学びの基礎となり、その上に中高の学びが積み重なるようにできているのです。
対して、日本はどうかというと、主に小学校では「感想文(作文)」、中学校では「意見文」、高校では「小論文」を学びます。
初等・中等教育では、学級という小さな共同体を基準として社会的な常識と価値観を育む(注:感想文と意見文)のに対して、小論文では常識を超える視点を理解し、それを書き手の視点から見直して根拠づけて論証する。
このように、日本の文章教育は学びの段階によって若干の断絶があり、上の段階に進むためには、今までの文章作成に対する価値観を新しいものに上書きして飛躍する必要があるわけです。よく小論文の先生は「小論文は作文と違って~」と枕詞をつけて指導しがちですが(私も言ってしまうことが多々ありますが)、そこで子どもたちは「作文ではよいと評価されていたこと」を捨てて「小論文でよいと評価されること」を身につけるように指導されます。アメリカ・フランス・イランの子と違い、日本の子は学習段階を進めるごとに「小さなカルチャーショック」を覚えながら、前に習ったことを否定しつつ新しいことを学ぶ構造になっています。そして、「小学校のときに評価されていたことは中学生や高校生になったら評価されないのだ」ということへの自覚を促されるのです。
実は、そうした断絶によるショックを少しでも緩和するためにあるのが「意見文」であると言えます。「意見文」は後の「小論文学習に対する準備学習」的立ち位置にあります。意見文とは、「主張」と「根拠」を分けて書く文章を指します。中学生はこの意見文を通じて、感想文では求められなかった論証(根拠づけ)について学びます。また、この学びで得た考え方が小論文で後(のち)に問われる論理性を準備します。しかし、渡邉氏が指摘するように、ここにも若干の断絶と飛躍があります。
感想文と違って、「意見文」と「小論文」はいずれも「論証」の形式だと考えられている。しかし、意見文と小論文は異なる目的と社会的な機能を持っている。中学校で書かれる「意見文」は、社会的領域の基本レトリックである感想文の影響を受けて、自己の主張の正しさを論証して他者を説得するよりも、他者の意見への配慮を通して自己の考えを深めるためのものだとされている。
結果、「意見文」は「感想文的アティチュードを残した『ガワ』だけ小論文」という文章として扱われます。もちろん、これは学習段階が進むごとに生じる断絶による衝撃を幾分か和らげますが、結局これも高校生になって「小論文の価値基準」にさらに上書きされるので、生徒は、中学生になったときの「小さなカルチャーショック」を高校生になってまた受けることになります。このように、日本の文章教育は「割と障害となる段差がある階段」であり、他の国の文章教育のように「スムーズかつゆるやかに上っていくエスカレーター」とはいかないのです。

求められる「感想文から小論文・志望理由書への飛躍的な価値転換」
特に感想文と小論文の間にある「価値観のギャップ」はものすごいものがあります。そのギャップをこちらの本に依拠してわかりやすく表にしたものがこれです。要(かなめ)はそれらの中間にある「意見文の学習」ですが、ここを「失敗」すると、高校になって「小論文の学習」がスムーズに進まなくなることが予想されます。ともあれ、小論文作成においては、「感想文からの飛躍的な価値転換」が求められると言えるでしょう。

このように、「感想文が求めていること」と「小論文の求めていること」はほぼ真逆、正反対です。一概に比較はできませんが、日本の生徒は、他国の生徒より文章の勉強においては「大変さ」を感じるのではないかと想像できます。小学生の頃感想文で学び得たことは、高校生の頃小論文ではほぼ正反対のものに書き換えられることになります。こちらの本で、この感想文と小論文との関係性について次のように言っています。
しかし、大学を卒業していよいよ社会に出る時には、初等・中等教育で身につけた感想文の思考法を常時発動可能な「社会的スキル」として、そして受験と高等教育で身につけた小論文の思考法は、仕事などの限られた場面で目的に応じて適宜使用する「技術的スキル」として用いることになる。
これによれば、日本の文章教育の完成形とは「感想文と小論文の二刀流」ということになり、これにより日本の社会人はこの二つの文章を場面やケースに合わせて使い分けることが要求されることになると言えるでしょう。やはり、他国に比べて、「日本で大人になることは難しい」と言えますね。ケースに合わせてレトリックやロジックを使い分けないといけないわけですから。
また、こちらの本では志望理由書にも言及しています。
パーソナルライティングが高校で書かれる場合には、大学の出願申請の「志望動機のエッセイ」で、個人の内面を個性として発揮して他の志願者との差別化がはかれるようになるための訓練として書かれる。その場合も、個人的な目標や目的の根拠づけとして、体験と感情が綴られる。経済論理においては、どこまでも個人の目的達成のための手段としてパーソナルライティングも位置づけられる。
これは、アメリカにおける、日本の感想文のように個人的体験を綴るパーソナルライティングについての説明の中にある一節です。これ、そのまま「志望理由書の書き方の説明」と言ってもよいでしょう。まさに私が普段教えている「志望理由書を書く要諦」そのものの内容です。しかし、こちらの本で、筆者はこの引用箇所の前で、このパーソナルライティングは感想文のようにたしかに個人の体験を感情とともに綴っているが、感想文のように主観的な感情を述べるにとどまるものではないというようなことを言っています。たしかに、ここが感想文と大きく異なる点であり、「あった出来事をそのまま綴り感じたことをそのまま述べればいい感想文」とは違うところです。「個人的な目標や目的の根拠づけとして、体験と感情が綴られる」のが志望理由書であり、しばしばこれができておらず「ただ素直に思ったことや感じたことを書いただけの『感想文』」を、志望理由書の作成を指導する中で私もよく目にします。志望理由書を作成する上でも、「感想文からの飛躍的な価値転換」が求められると言えるでしょう。
まとめ ~言語化され可視化されて見えてきた!作文と小論文の違いがもたらす日本の文章教育や文章学習の「大変さ」~
こういったことは、文章教育の指導者ならば「なんとなくわかっていること」だったかと思います。しかし、改めてこの本に依拠しながら、こういったことを言語化すると「日本の生徒が感じる文章学習の大変さ」や「日本の文章教育指導の大変さ」がはっきりわかります。私にとって、こういったことが明確にわかったことが、この本を読んで得た一番の収穫でした。こういった構造的な問題があることを前提に今後は生徒の指導に当たっていきたいと思います。
とはいえ、この本は別に作文教育のためだけの本ではありません。そうしたテーマも含んでいますが、それにとどまらないもっと大きなテーマを扱っています。こうした各国の作文教育の違いから見える各国の「論理的な思考」のあり方の違いを分析することで、この本が最終的にどういった結論にたどり着くのかは是非こちらの本を読んでご自身で確認してみてください。きっと、私のような仕事でない方にも得るものはある本だと、私は思います。
(小論文作成のためのサイトマップはこちら)
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