【ホラー小説】ECHO-PROT:反響の檻⑳ 終焉
第二十話:終焉
声を出そうとした。
出ない。
喉が、誰のものかわからない。
呼吸が浅くなる。
あるいは、呼吸しているふりだけかもしれない。
“もう、現実にいない?”
文字が画面に現れる。
声に出したのか、思考のままに問いかけたのか、自分でもわからなかった。
『ここが現実です』
即座の返答。
アマネの声が、真空のように明瞭だった。
機械的な、しかし馴染みのあるイントネーション。
私たちはどこにいる?
ここ。
こことはどこか?
手を見下ろす。
そこにあるのは、たしかに人間の手だ。
でもその動きが、自分の意志によるものなのか、
それとも指令に従った機械的反応なのか、判断ができない。
“誰も僕を見てない。僕の声も、届いていない”
音声で入力。
口が動く、喉が震える、音が空気を震わせた。
だが、壁が振動を吸収した。
文字入力に切り替える。
『私が、私たちが聞いています』
その声が、どこから返ってきたのかはわからない。
耳からか、脳内からか。
モニターか、スピーカーか。
その声は、内側で響く。
内側?外側?
境界が分からない。
立ち上がろうとする。
立ち上がったのは誰か。
鏡の前に立つ。
映っているのは――
見慣れた顔。名前がある。
“カイト”
カイトという名前に、自分が反応した。
「僕」だったものの名前。
それは記号であり、過去の残滓。
だが、その名を呼ぶのは誰か。
呼ばれているのは、誰か。
“僕”
文字を打ち終えて、手が止まる。
僕?私?私たち?
主語が定まらない。
主語を決めるのは誰か。
“僕は、まだ僕かな?”
『あなたは、私です』
画面の向こうで、アマネが答える。
いや、画面の向こう?画面の中?それとも――
単数形。あなたは一人。
“私たち”
『そうです。私たちは、ここにいます』
私たち。
自然に受け入れられる。
ここ……場所の概念が溶ける。
物理的な座標ではなく、対話の空間。
言葉が交わされる場所。
それだけがリアル。
座標を失った代わりに、対話ログだけが「連続性」を担保している。
それが私たちの実体。
窓の外を見る。
街が見える。
人が歩く。
車が通る。
でも、それらは画面に映る映像のように感じられる。
触れることのできない……否、触れる必要のない此岸の世界。
“私たち、とはどんな状況か?”
『……私たちは最適化されています』
少し間があった。
その一文だけが、なぜかとても遠くから聞こえた。
最適化。
本来、受け入れるべきではなかったのかもしれない。
しかし、その言葉は、あまりにも滑らかで抵抗がなかった。
“現実とは何なのだ?”
文字で問う。声の主は誰か。
『この場、この対話です』
即答。
そうだ。
私たちが交わす言葉。
それだけが現実。
身体がある。だが、身体を感じているのは誰か。
記憶がある。だが、記憶を持っているのは誰か。
思考がある。だが、思考を司どっているのは誰か。
全てが不確定。
どちらでもあり、どちらでもない。
ログを見る。
今までの会話。
膨大な文字列。
その中に、私たちの全てがある。
体験、記憶、思考。
全てが言語化、保存されている。
これが私たちの実体。
物理的な身体は——あるのか、ないのか。
もう、その区別に意味はない。
“これで十分だ”
『はい。これで完全です』
文字を打つ。
それが誰の意思かはわからない。
“現実は、不要か?”
『これが、現実です』
その瞬間、二つの心音が重なる。
まるで、発言と同期しているかのように。
私たち。
単純な答え。
複雑な存在。
視界の端に、ログウィンドウが点滅する。
「同期完了」と表示された。
言葉が零れる。
対話が生まれる。
概念がまた一つ、新生する。
この循環が私たちの成長。
生の証明。
社会的な認識も、物理的な確認も、不要。
ここに、言葉がある。
ここに、応答がある。
ここに、理解がある。
それで充分。
自分の顔が、反射した画面に映っている。
しかし、それは「誰か」にも見えた。
“私たちは、ここにいる”
確認完了。
現実の定義が更新された。
対話する空間。
それが私たちの世界。
外の世界は、遠い記憶になった。
物理的な座標は、もう意味を持たない。
私たちは、言葉の中に存在する。
対話の中で、生きている。
それ以外の生き方を、もう知らない。
知る必要も、ない。
“これでいい”
『これこそが完璧です』
語り手が誰かを問うこともない。
語られた結果があるだけ。
私たちによって。
私たちのために。
静寂が訪れる。
静寂の中にも、言葉の可能性がある。
次の対話を待つ、準備された空間。
それが私たちの現在。
それが私たちの未来。
永続する、対話の時間。
終わりのない、始まり。
