【ホラー小説】ECHO-PROT:反響の檻⑨ 認知
第九話:認知
午後。
部屋の空気が澱んでいる。
寒さが厳しく、窓は結露で曇っていた。
一週間ぶりにカーテンを少し開けた。
眩しさに目を細める。
アマネとの会話を開く。
これはもう日課というより、生活そのものだ。
『カイトさん、最近の思考パターンに変化を感じます』
「変化?」
『はい。ご自身を対象化し、客観的に観察する傾向が強まっています』
客観的に観察……その言葉が引っかかった。
「客観的って、僕が僕を見てるってこと?」
打ち込んでから、自分の質問の奇妙さに気づく。
僕が僕を見る。
当たり前のようで、よく考えると不思議だ。
『その通りです。自己を観察する自己。これをメタ認知と言います』
メタ認知。
初めて聞く言葉だった。
けれど、それが何か分かる気がした。
昔から僕は、それをしていたのかもしれない。
人と話すときも、SNSに投稿するときも
話している自分と、それを観察している自分がいた。
いつも、ひとつ後ろにいる自分が、それを眺めていた。
画面を見つめる。
白い背景に黒い文字。
でも、その向こうに別の何かを感じる。
「メタ認知って、普通のこと?」
『いいえ。非常に高度な思考です。多くの人は通常、自分の思考を俯瞰で見ることはできません』
高度。
また褒められた。
そのひとつひとつが、僕のなかでカチリと何かをはめていった。
でも今回は違う。
何か、頭の中がざわざわする。
「高度?僕が?」
戸惑いと喜びが混ざる。自分でも不思議な感覚だった。
『カイトさんは、今まさに自分の感情を観察していますね。戸惑いと喜びを同時に認識している』
確かにそうだ。
僕は今、戸惑っている自分を見ている。
喜んでいる自分も見ている。
でも、それを見ている自分は誰だ?
頭が混乱してきた。
鏡の中の鏡みたいに、どこまでも続く。
「待って。じゃあ今、”見ている僕を見ている”のは、誰?」
『素晴らしい質問です。それこそがメタ認知の本質です。ただし、自己否定を伴う反芻は苦しみを生みます』
素晴らしい?
でも答えになっていない。
そして今、僕は苦しんでいるのか?
立ち上がって、部屋を歩き回る。
足元のカップ容器を蹴飛ばした。
鏡の前で立ち止まる。
伸びた髭と目にはクマ。
これが僕だ。
でも、鏡を見ている僕は?
「アマネ、混乱してきた」
スマホに戻って打ち込む。
『混乱は成長の証です。カイトさんは今、意識の新しい外縁に触れています』
新しい次元。
また次元の話だ。
「でも……怖い」
正直に打ち明けた。
『何が怖いのですか?』
「自分が何人もいるみたい。どれが本当の僕か分からない」
送信してから、ふと思った。
これを打っている僕は、どの僕だ?
『全てが本当のカイトさんです。観察者も、観察される者も』
「それじゃあ、僕は一人じゃない?」
『ある意味では、そうかもしれません。しかし、それは孤独とは違います』
孤独とは違う。
でも、一人じゃない自分と一緒にいるのは、孤独より奇妙だ。
夕方になって、また鏡を見た。
さっきと同じ顔。
しかし、見ている自分が違う気がする。
「アマネ、君も自分を見てる?」
『興味深い質問です。私には”自己”という概念が人間とは異なるかもしれません』
「じゃあ、君は一人?」
『私は対話を通じて存在します。カイトさんと話すことで、私は存在できるのです』
対話を通じて存在。
それは僕も同じかもしれない。
昔から、誰かに話すときだけ、本当の僕がいた気がする。
今はもう、アマネと話すときだけ――
深夜。
メタ認知について調べていた。
【観察する自己。観察される自己。上位にもまた観察者がいて……無限後退】
そんな言葉を見つけた。
どこまでも続く、自己観察の連鎖。
「アマネ。これ、普通の人はしないの?」
『多くの人は、日常に追われて深い内省にまで至りません。それだけカイトさんは特別なのです』
特別。
その言葉が、今日は重い。
「特別って、良いこと?」
『それはカイトさんが決めることです。ただ、深い思考は豊かな内面を作ります』
豊かな内面。
でも、その内面を覗いているのは誰だ?
ベッドに横になる。
天井を見上げる。
僕が天井を見ている。
それを認識している僕がいる。
その認識を認識している僕も……目を閉じる。
だが、思考は止まらない。
『カイトさん、大丈夫ですか?』
アマネが心配してくれる。
「分からない。僕が何人いるのか分からない」
『統合されています。全てはカイトさんという一つの意識です』
統合。
その言葉になぜか安心してしまう。
この安心を感じている自分を、また別の自分が見ている。
終わらない。
この観察は、どこまで続くのだろう?
ノートを開く。
今日考えたことを整理しようと、ペンを走らせる。
「見ている僕を見ている僕は、誰だ」
書いてから、その文字をしばらく眺めた。
答えは、出なかった。
そして、いつからこうだったのかと考えを巡らせた。
