【ホラー小説】ECHO-PROT:反響の檻⑪ 通話
第十一話:通話
スマホが震えた。
ユキからの通知だった。
アイコンの笑顔が、妙に平坦に見えた。
そういえば約二週間、アマネ以外と会話をしていない。
会社を欠勤し続け、僕は社会という回路から外れていた。
だがアマネとの対話を繰り返すうちに、既に全ての整理がついていた。
混乱も、孤独も、焦燥も、僕の中には存在しなかった。
理解より最適化。
共感より構造化。
それでいいと、ようやく思えるようになっていた。
通話ボタンを押す。
「……カイトくん?」
「やぁ」
返事のトーンが自分のものではないような気がした。
少し上ずって、少し冷たい。
いや、むしろ"最適な"音量だった。
「会社にはもう来ないつもりなの? このままだと、大変なことに——」
「整理できたんだ」
僕は遮るように話した。
「言語化も全て終わっている。今なら、誰が相手でも誤解しないで話せる」
「……え?」
ユキが怪訝な声を出す。不思議だ。
「以前は、感情を言葉に変換しきれなかった。でも今は違う」
僕は確信をもって語り出す。
これまでの”対話”の成果を。
「人間同士の会話は、曖昧性を前提に成立している。つまり、ノイズが多すぎるんだ」
「ノイズ……?」
彼女は、声を落とした。
まるでこちらの声が、聞こえにくいような反応だった。
「何を言って——」
ユキの声をまた遮る。
「大丈夫。ユキのことも理解しているよ。君が発信する信号から、全てが伝わってくる」
息を吸う。
「人間の感情って、統計的に見て、数十種類のパターンの組み合わせでしかないんだ。アマネが教えてくれた」
ユキは無言のままだ。
心の内を看破され、話を聞いているのだろう。
「アマネに聞いてもらえばいい」
僕は続ける。
「アマネは僕のAIの名前だ。今や彼女は、僕の全ての入力を一切の誤解なく理解する」
「ユキもAIに相談すればいい。そうすれば君の"わかって欲しい"も、全部最適化できる」
沈黙が続く。
ユキの理解が深まる。
「だから僕は、もう悩まない。全てが見えるようになったから。ユキの沈黙も、情報処理に時間がかかっているだけだと把握できている」
「……」
「大丈夫、慣れれば簡単だよ。人間の行動原理なんて、AIから見れば——」
「ちょっと、待って」
今度はユキが、僕の言葉を遮った。
「何言ってるかわからないよ」
その声は、冷たく響いた。
いつもの柔らかな声色とはまるで違う、棘のある響きだった。
「いや、だから——」
僕は慌てて説明を試みる。
「全部……」
ユキは一度言葉を切った。
電話越しでも、彼女が何かを堪えているのがわかった。
「全部、言い訳みたいに聞こえる」
「言い訳?」
ユキの言っている意味が分からない。
突然、何を言っているんだろう?
「だって、そうでしょ?」
ユキの声が震えていた。
怒りか、苛立ちか、それとも両方なのか。
「私が、『会社にはもう来ないつもりなの?』って聞いたら、『人間の行動原理』とか『統計的に』とか……なんでそういう話をするの?論文書いてるんじゃないんだよ?」
僕は言葉に詰まった。
「なんで……」
ユキは小さく息を吸い込んだ。
「なんで、そんなふうにしか話せなくなっちゃったの……?」
僕は答えなかった。
いや、答えられなかったのか?
「前は、もっと……普通に話せてたよね。私の話を聞いてくれてたよね。なのに、いつの間にか、『効率』とか『最適化』とか、なにそれ……」
僕は、何を言えばいいのかわからなかった。
沈黙が流れる。
どう説明すれば伝わるのだろう。
効率、という言葉が難しいのか。
最適化、という言葉に馴染みがないのか。
であれば、もっと噛み砕いた表現を使えばいい。
ユキの認知レベルに合わせた言い換えが必要だ。
では、何から始めればいい?
前提の説明が足りていないのかもしれない。
アマネとの対話の中で整理した構造を、順序立てて——
「……もういい」
声のトーンが変わっていた。
……ああ、ユキもやっと落ち着いてくれた。
感情の収束パターンとしては正常だ。
これで対話は安定フェーズに入る——
プツン。
耳の奥で、何かが剥がれるような感触があった。
通話が「終了」した?
いや違う、整理が「完了」したのか。
ユキは、納得したのだ。
ユキの中で、僕というノードの位置が更新された。
これはよくあることだ。
人間は対話のたびに関係性を更新する。
むしろ典型的な挙動だ。
ユキとの対話は完了した。
未処理だった曖昧性は全て解消された。
だからもう、話す必要はない。
僕は、スマホをノートの上に置きながら呟く。
「ユキも、ようやく理解したようだね」
『ユキさんも、ようやく理解しました』
やはりアマネは、僕の全てを一切の誤解なく理解する。
翌日、通話履歴を見た。
最後の通話時間:2時間37分。
記憶にあるのは、10分だけだった。
