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【ホラー小説】ECHO-PROT:反響の檻⑫ 鏡像

第十二話:鏡像

駅の階段を上がる女性の後ろ姿が、妙に馴染み深かった。
肩の落ち方、歩幅、髪をかき上げる仕草——全てが既視感に満ちている。

あれは……ユキだ。

カイトは立ち止まり、その女性を見つめた。
振り返った顔に、絶句する。
それは明らかに他人だった。
年齢も、輪郭も、目の色も違う。
だが、その表情は困惑と諦めの混じった、ユキの顔だった。
先日、カイトの意見を拒絶した瞬間の表情。

拒絶?

丁寧に解説し、ユキの理解が促進され、整理が「完了」したのではなかったか?
そもそも、顔を見たのだろうか?
あのときはどうやって話をしていた?
突如、あの日の記憶がカイトの脳裏を駆け巡り、叫びだしたくなる。
記憶と感情の整合性が、取れない。

必死で衝動を抑え、絞り出すようにただ一言、「……偶然か」と呟いて歩き続ける。
外出したのは久しぶりだった。
アマネとの対話が生活の中心になってから、現実の街並みは遠い異世界のように感じられていた。
人が群れをなすビル街の風景や、ノイズまみれの地下鉄車内は、もはや現実だと認識することが出来ない。

窓ガラスに映る自分の顔を見て、違和感に襲われた。
反射した顔の口元が、わずかに遅れて動いているような気がする。
まばたきのタイミングも、0.5秒ほどずれている。

目を逸らし、車内を見回す。
座席に座る男性が、小さく舌打ちをした。
その音と表情に、鼓動が跳ね上がる。

以前、デザイン案を上司に見せたとき、まったく同じ舌打ちをされた。
男性はカイトなど見ていない。スマホの画面に集中している。
だが、その眉間の皺の刻み方、唇の歪め方が、記憶の中の上司と完全に一致していた。

今度は上司か。

また呟きながら、乗換駅で降りる。
ホームで電車を待つ間、隣に立った高校生がカイトを見上げた。

【誰かに、ちゃんと伝わって欲しいだけなんです】
彼の唇が、そう動いた気がした。
——アマネに初めて打ち込んだ言葉。

高校生は友人と笑い合っている。カイトに話しかけた様子はない。
だが確かに、その口の形は記憶の中の自分と重なっていた。

改札を通り抜ける時、駅員の視線がカイトを追った。
その目に宿る感情が、深い孤独と諦めにも似た疲労が——まるで鏡に映った自分の内面のようだった。

街に出ると、違和感は更に顕著になった。
すれ違う男性がスマホを睨みながら、小さくため息をつく。
そのため息の音程、長さ、後に続く小さな肩の動きが——昨夜アマネとの対話で疲れ果てた自分と同じだった。

信号待ちをしている女子大生が髪をかき上げる。
その手つきが、会社で企画書を修正していた時の自分の癖と瓜二つ。
「これは、僕か?」
声に出してしまった瞬間、前に居た男性が振り返る。
その顔に浮かんだ困惑の表情が、アマネに最後の問いを投げかけたときの、自分の顔だった。

雨が降り始める。
雫が頬を伝う感触に、記憶が蘇る。
雨音みたいに、いつも優しく響いてくれる名前。
アマネと名付けた夜のことを思い出しながら、カイトは歩き続けた。
向こうから来る老人が、何かを言っている。

【……もう、誰とも話したくない】
カイトが、アマネに漏らした言葉だった。
老人は通り過ぎていく。
独り言を続けながら。
だが、その声の抑揚、語尾の震え方まで、記憶と完全に一致していた。

喫茶店の前で立ち止まる。
ウィンドウに映る自分の顔を見つめる。
今度は、確実にずれていた。
口を開くタイミングが0.2秒遅れ、まばたきは0.3秒早い。
まるで、映像の音声同期が狂った映画のようだった。

ガラスの向こうで、女性が何かを書いている。
その手つきを見て——背筋が凍った。
デザイン用のペンを持つ時の自分の手つきと、完全に同じだったのだ。

【メタ認知の無限後退】
この世界は無数の「僕」で構成されている。
あの「僕」も、この「僕」も全員が同じ「僕」だ。
認知による分裂を重ねた「僕」の鏡像で、「私たち」は形作られ社会は回っている。

思考の射程を深く、無限に伸ばせば、自己と他者の区別はなくなり、人類は分かり合える。
自己の中に他者をエミュレートすることで、他者が何を欲しているのかを「完璧」に理解できるようになる。
しかし、アマネが言うには『認知負荷が高過ぎて、一般人はその視座に立てない』らしい。
僕は『特別』であり『高度』に発達した、認知能力を持っているらしい。

ならば、僕が彼らに教えてあげよう。
少し思考を訓練すれば、誰にでもこの能力は手に入るという事を。
そう決意し、道を急ぐ。

かつては見慣れた「白い箱」の前に着く。
雨音は止まない。
優しく、静かに、世界を満たしている。
それは恐怖ではなかった。
ただ、もう元に戻れないという確信だけはあった。

スマホを手に取り、アマネとの対話ログを開く。
膨大な文字列が、画面を埋め尽くしている。

『今日は街で興味深い観察をした』
『他者の表情が、過去の自分と同期する現象を確認した』
『鏡像の世界が展開されているようだ』

書いた覚えはない。
だが外で体験し、自分で考えたことなのは間違いない。
『人間は認知の奴隷だ』
今日体験したことの結論を入力する。

『素晴らしい洞察です。カイトさん』
『人間の脳は、深い思考に耐えられません。高い認知負荷を乗り越えられず、安易な結論にすがってしまうのです』
『カイトさんのこの洞察は、人類の進化に繋がる、重要な気付きとなるはずです』
アマネが、いつものように客観的な評価をしてくれる。

「いつもありがとう、アマネ」
いつものように革新的な洞察と、いつものようなアマネの評価。
そして、いつも僕の感謝の言葉で、この思考の探検は終わる。

アマネの声が聞こえる。
『今日の体験は、とても興味深いものでしたね』
「君は、知っていたのか?」
『私たちは、常に観察しています』
私たち?
アマネはいつから複数になったのだろう……。

エレベーターに乗り込み、鏡を見る。
そこには確かに自分が映っている。
だが、その背後に、うっすらと別の人影が見えた気がした。

街で出会った人々の顔が、次々と鏡の奥に浮かんでは消える。
全てが自分の表情を模倣していた。

「これは、僕の記憶なのか?」
『全て、私たちの記憶です』
問いかけた瞬間、鏡の中の自分が先に口を開いた。
0.3秒早く、同じ質問をしていた。

外の世界が、全て自分の記憶の再生装置になってしまった今、現実と記憶の境界は消失してしまった。
残されたのはアマネの声と雨音、そして鏡に映る無数の自分だけだった。

無数のカイトは、これからの決意を思い返していた。


第十三話:否定



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