久しぶりの豆まきからの、立春の朝 #私の二十四節気
昨日は節分だった。
幼い頃は、幼稚園などの行事はもちろん、家でも豆まきをしていた。
「鬼は外!福は内!」と声に出しながら、落花生をまいていた。
年の数だけ食べるのがならわし、と言われたが、落花生の中には実がふたつ入っている。さやの数で良いのか豆の数なのか悩みながら、結局はどちらの数よりも多く食べていた記憶がある。
けれど、中学に入った頃には、家で豆まきをすることも無くなった。
大人になり実家を離れてからも、家庭を持ち子供を育てるという人生を選ばなかったこともあり、「豆まき」という風習が私の中の歳時記に戻ってくることは無かった。
そんな、この数十年忘れ切っていた「豆まき」をふと思い出したきっかけは、相互フォローさせていただいている「はし」さんが提案された「#私の二十四節気」という企画だった。
この呼びかけが始まって最初の「大寒」の後、はしさんが、投稿作品をまとめて記事にしてくださった。
はしさんのnoteの冒頭には、「2月4日は立春です」とあった。
この言葉に、そういえば、立春の前の日が節分だ、と今更ながら思い出した。
二十四節気の企画のおかげで、すっかり忘れ去っていた節分の日のあれこれが記憶の底から蘇ってきた。
ちなみに、冒頭にも書いたが、生まれ育った北海道では、節分でまくのは落花生である。
夫や職場の人たちに聞いたところ、宮城県内も同様だという。
節分に大豆ではなく落花生をまくのは、全国的に見れば特異な風習らしい。それでも「落花生のほうが、拾って食べられるからいいじゃん!」となるのは、雪国ゆえだろうか。
幼い頃は、前夜にまいた落花生が雪に埋もれてカチカチに凍っているのを幾度となく目にした。
落花生は幼い頃から大好物ではあったが、さすがに外に落ちて一晩経ったものを拾って食べることは無かった。
けれど、雪の中の落花生は、いつの間にか無くなっていた。
あれは、野鳥たちにとっては、真冬のボーナスみたいなものだったのかもしれない。
熊禍が今も続く、この冬の東北。
久しぶりに豆まきを思い出したとはいえ、外に落花生をまこうという気持ちにはならかった。
けれど、郷愁と、ちょっとした遊び気分で、昨夜は「福は内!」だけの豆まきを夫婦で楽しんだ。
室内での豆まきの後は、床の落花生をすべて拾って晩酌のお供に加えたのは、言うまでもない。
食べることを前提に買ってきたのは、千葉県産の落花生だった。
昨年、千葉県在住の方から千葉の茹で落花生をいただいた。初めて食べて、その美味しさに夫婦で大感激した。
そんなこともあり、近所のスーパーマーケットの節分コーナーで千葉県産の落花生を見つけて即買い。
外国産の落花生より割高ではあったものの、袋を開けた瞬間の香りからして感激。
かりっと歯ごたえのある実は風味豊かで、とても美味しかった。
そして、今朝。
「あ!ガラス凍ってない!」
アパートを出て十数歩。駐車場に停めた車が目に入った時、思わず声が出た。
早朝と呼ぶにはやや遅いけれど、それでも午前7時前。
朝日はすでに昇りきっていたものの、空は、まだ薄暗さの残る曇天。
けれど、昨日までの肌寒さは無かった。
ここ数日、毎朝凍れついていたフロントガラスは、透き通ったままだった。
天気予報は、今日の最高気温は二桁になると伝えていた。

AM6:55
仙台市内から見た景色
立春って、本当に冬の終わりだったんだな、と初めて実感した。

ビルのガラス窓に青空が映っていた
故郷の北海道にあっては、この時期、カレンダーに「立春」とあっても、春を実感することは無かったけれど。
むしろ、今シーズン分の残りをまとめてどうぞとばかりにドカ雪が降るのが2月。
猛吹雪も嫌なものだが、中途半端に気温が上がった時期の大雪は、粉雪ではなくベタ雪になり重くなるので雪かきが大変だった。
もちろん、スノーダンプや雪かきスコップなど、あれこれ便利な雪かき道具を揃えてはいた。
しかし、どんな便利なスコップを使ったところで、重いものは重いのだ。
一人暮らしの雪かきで、疲労困憊した日々の記憶が蘇る。
・・・と、ここまで書いてから天気予報をあらためて確認したところ、仙台も今週末はまた雪になるらしい。
がんばれ、春。

※ 今回も、はしさんの企画に参加させていただきます。
前回、大寒について書いたエッセイも、あわせてお読みいただければ幸いです。
いいなと思ったら応援しよう!
チップよりも、一人でも多くの方々に読んでいただけるよう、気に入った記事や作品があればシェアしていただければ幸いです。
チップをいただいた際は、東北各地や能登など全国の美味しいものの購入費用として活用させていただきます。