名もなき家事達と犬の散歩
忘れもしない令和元年9月29日。
妻と信じられないくらいの大喧嘩をした。いや、一方的に三下り半を突き付けられた。
当時二人の子どもは小5息子と小2娘。まだまだ手のかかる子どもたちがいる中、僕はといえば家庭をないがしろにして、仕事で残業ばかりしていた。
21時過ぎに帰ってご飯を食べるころには、妻と子どもたちはお風呂に入って、子どもたちを妻が寝かそうとする時間。
そんな姿を横目に、犬の散歩に行って、副業としてのブログを書いて、とすっかりマイペースで、自分の時間を満喫していた。
何がきっかけかは思い出せないけど、そんな毎日を繰り返す中で妻の怒りが爆発した。
「家のことも子どもたちのことも家事も何もしない」「あなたは仕事や好きなことをしているだけ」「私はあなたの家政婦じゃない」「もう離婚する」「実家に帰る」
今となっては思い出せないけど、そんなことをいわれたんじゃないかな。
青天の霹靂。
僕にとってはいつものルーティンを過ごしていたわけだが、妻を我慢させていたことを痛感した。
妻と離婚する生活、子どもたちと離れ離れになる生活、子ども2人を僕一人で働きながら育てる生活・・いろんな生活を想像して、そのどれにも絶望した。
僕がやらなかったことはなんだ?
僕が今やるべきことはなんだ?
何をしたら許してもらえるんだ?
自問自答して、僕なりの答えを出した。
「明日から残業やめるから。みんなで夕飯を食べて片付けて子ども達を寝かしつけて、俺が夜全部やるから。何もしなくていい。だから、もう1回考えてくれないか」
「そんなことできるわけないじゃん!」
「いや、絶対にやるから」
「もう知らない!」
そして、僕は決心したのだ。残業は今後一切やめようと。毎日20時以降まで残業する毎日を18時には絶対に切り上げるか直帰する。
そのためには早朝に起きる生活に切り替えよう。家事・育児は夜が一番忙しい。夜は家のことを全部やる。早朝に残務があればやって、仕事の無駄を徹底的になくす。
そうすればできる!
そんなこんなで、僕は営業課長というそれなりの立場でありながら、家のことをすべてやるスーパーマンになるのだった。
犬の散歩トリガー
「残業をやめる」ということは、極限まで無駄を削らないといけなかったし、家事や育児に向き合う時間を作る必要があった。
いつだって段取りを考えて、手を動かしていた。仕事にも家事育児にも終わりなんかない。
お風呂に入るときだって、寝る直前だって、いろんなことを考えていた。それまで何も考えずにしていた、柴犬のももちゃんとの散歩のときだって、考え事をするようになっていた。
でも、家の外にいる間は仕事からも、家事からも、育児からも解放されていた。唯一といってもいいゆっくりとした時間。
朝起きてから夕飯を食べて片付けるまでが満員電車みたいなもので、ももちゃんとの散歩は1日の終わりを告げるトリガーみたいなものだ。
あとはお風呂に入って、子どもたちと一緒に寝てしまえばいい。また翌日は早朝に起きれば自分の時間を作れる。
夜の風が気持ちいい。
もっと外にいたい。
もうちょっと歩いていたい。
現実にまだ戻りたくない
そんな僕を横目に、家が近くなると僕を引っ張るようにももちゃんは玄関に向かうのだった。
名もなき家事達
さて、なんだかんだで定時帰りをしながら、仕事と家庭を両立する生活をするようになった。全部自分がやるといったので、すべて自分事として家事・育児と向き合った。
そんな姿を見て、妻も許してくれた。「必要なときは残業して。家のことは大丈夫だから」といってくれたが、僕は自分事として家事を可能限りやっていた。
そこで、僕は気づいた。「家事」には名前もないのに面倒なことがたくさんあるのだ。
僕は僕なりに家事をやっていたつもりだったけど、僕がこれまで「家事を手伝っている」としていたものは、名前のある表面上の家事ばかりだった。
料理・食器洗い・洗濯物を干す・たたむ・ごみ捨て。
そのどれにも名前がある。
しかし、文章化したり説明したりしないといけない「名もなき家事」がたくさんあったのだ。妻はその「名もなき家事」の認識すらしていない僕に対して、腹立たしさもあったのだろうと思う。
ここに、その名もなき家事の一例を紹介しよう。(奥様方には釈迦に説法ですいません)
各部屋のゴミ箱にビニール袋を入れる
トイレットペーパーがなくなりそうになったら補充する
シャンプーやボディソープの詰め替え
消耗品がなくなりそうになったら買う
リモコンを探して決まった場所に戻す
麦茶をわかしたり、新しく麦茶を作る
排水溝ネットのごみを捨てて、新しいネットをつける
などなどなどなど。
挙げだしたらキリがないくらい、名もなき家事にはいろんなものがあるのだ。
僕はそんな「名もなき家事」に気付きもせずに生活をしていて、恥ずかしくなったとともに妻に感謝した。
何も言わずにこんな面倒なことをしてくれてたんだなと。
名もなき家事は基本名前もないだけあって、そこにあまり楽しさや達成感を感じないものが多い。
僕は単純作業やそんな家事が苦手で、遠ざけていたのかもしれない。アイロンがけや洗濯物を干すことなんかは今でも苦手な家事だ。
それでも「アイロンがけ」なんかは名前があるだけいい。そこに大変さがアイデンティティとしてあり、アイロンがけをしたら家族からも称賛される。
しかし、ごみ箱のビニールを取り換えたところで、称賛をされることは少ない。名前がないくらいだから。
でも、そんな名もなき家事であっても、塵も積もれば、いや塵が積もらなくても、大変だし意味のある家事なのだ。
いつのまにか、僕はその「名もなき家事達」を、ももちゃんの散歩をしながら命名することにして、どれだけ効率的に行うかを考えるようになった。
名前を与えることでそこに価値が生まれると考えたのだろう。
ももちゃんとの散歩は毎日夕食と食器の片づけが終わった後に行くのがルーティン。
犬の散歩はいい。自分の考えを整理したり、ブログネタを考えたり、作詞作曲案を考えたり。
そんな時間のひとつに、名もなき家事の命名をする時間を交えることにした。
名前の生まれた家事
僕が命名したその一例も紹介していこう。
なくなったシャンプーの詰め替え⇒シャングリラ
シャンプーがなくなったら、詰め替え用のシャンプーを容器に入れる。この家事をやっていないご主人様たちも少なくないだろう。
お風呂に入ったときにシャンプーがないことに気付いても、無理やり出したり、ちょっと水を入れたりしてしのぐ。
そして、奥様に「シャンプーなくなっちゃった」と伝えて、奥様がいつの間にかシャンプーを入れてくれている。もしくは、なくなったことすら告げずに、奥様が気付いてため息をつきながらシャンプーを入れている。
この名もなき家事は意外にも面倒な家事だ。階段下にある消耗品の山をかき分けて詰め替え用のシャンプーを取り出す。
そして、濡れている浴室に足を踏み入れシャンプー容器にシャンプーを流し込む。ここで、大抵はうまく入らずにちょっとシャンプーをこぼす。
濡れた足で浴室から出て、バスマットとタオルで足を拭く。濡れた足がちょっと気持ち悪いと思いながら、階段下に詰め替え用シャンプーをしまう。
こんな面倒で嫌な家事に名前がないなんて、いくらなんでもかわいそうすぎる。
ももちゃんと散歩しているとき、シャンプーの詰め替えは「シャングリラ」と命名した。「夢でKISS KISS KISS KISS KISS KISS♪」と鼻歌を歌っているときに、(シャンプーの詰め替えしなきゃな)と思ったのがきっかけだ。
妻の好きな電気グルーヴの名曲から引用した。シャンプーの『シャン』からきていることは言うまでもあるまい。
「シャングリラ 彼女の唱ったユートピア 眩しい♪」と歌いながら詰め替えをしていれば、1曲を歌いきるまでもなく終わらせることができる。
今でも、シャングリラをするときには口ずさむし、電気グルーヴのライブに行くときには詰め替えをすることを思い出すことができるのでおすすめだ。
なくなりそうな消耗品の購入⇒しょうもない家事
シャングリラをしようとしたときに、詰め替え用の大容量のシャンプーがない場合は最悪だ。
さんざん階段下の物置を荒らした挙句に、スーパーかドラッグストアに買いに行かないといけない。たいがい店は閉まっている時間に気付くから、翌日行くと決めておく必要がある。
しかし、翌日にはすっかり忘れてしまう。またお風呂に入って、「ああ、シャンプーがない」と絶望する。
ももちゃんとの散歩をしながら、「あ、シャンプー買わなきゃ」と思い出すこともある。だけど、シャンプーを買うのにももちゃんを置いて店には入れない。
1回家に帰ってももちゃんを置いてまた買い物に行く必要があるのだが、これがまた面倒で「しょうもねーなぁ」と1人つぶやく。
(・・・消耗ないなぁか、ダジャレかよ、【しょうもない家事】だな)
これを乗り越えて、ドラッグストアにシャンプーを買いに行くのだが、買って帰った後にボディソープがないことに気付く。また、ドラッグストア早めに行かなきゃじゃんとなる。
だから、僕たちは消耗品がなくなりそうとなったときには、合わせてなくなりそうな消耗品を整理しておく必要がある。
しょうもない家事には醤油、酒、みりん、米、牛乳などの食料品も当たる。常に備蓄しておく必要のある消耗品は切らしてはダメなのだ。
この「なくなりそうな消耗品を整理して、ストックしておく家事」は『しょうもない家事』と命名した。
「シャングリラ」が起こったら、『しょうもない家事』も発動させる。この連鎖を起こす。この仕組み化こそが備蓄切れを起こさない秘訣だ。
名もなき家事のコンボ
家事をやるときは一気にこなす。それは、全部終わらせてしっかりと自分の時間を確保したいからだ。
僕が自分の時間として、ベースを弾いていたり、ブログを書いていたりしていても、妻が何か家事をしていたらそれを全部終わらせてることを優先する。
①食器洗いを始める→②食器を拭く→③食器棚に戻す
→④余った食材にラップをかける→⑤冷蔵庫にしまう
→⑥レンジ周りを拭く→⑦ダイニングテーブルを拭く
→⑧炊飯ジャーを洗う→⑨米を研ぎ翌朝の米の予約をする
→⑩排水溝を掃除する
これら一連の動きを「10連コンボ」と命名した。洗い物とは食器を洗うことだけにとどまらない。細かいタスクの集合体が洗い物なのだ。
しかし、多くの場合洗い物といえば食器を洗うことを示している。「10連コンボ」とすることで、たくさんの名もなき家事達が【洗い物】として昇華されていくようだ。
名もなき家事達と犬の散歩
夕飯後、10連コンボが終わるとももちゃんの散歩に行く。1日の仕事を終わらせて、自分の時間の始まりの合図でもある。
1日を振り返る
自分のやりたいことを整理する
ブログネタを考える
作詞・作曲する
効率的な家事フローを考える
愛犬のももちゃんに癒される
軽い運動で体を整える
空気や景色で四季を感じる
犬の散歩は僕にとっていろんな意味を持つ。ももちゃんと歩く夜の30分はかけがえのない時間だ。
夜風はいつも気持ちいい。
夏の生ぬるい風も、冬の厳しい寒さも、月のきれいな秋も、さわやかな春の匂いも。
ただ、今では「あの家事なんて名前つけようかな」なんて考えることはめっきりと減ってしまった。
あの頃つけた『名もなき家事達』の名前も、今となってはほとんど思い出せない。
残業をやめて、家事と育児に真剣に向き合ってきたからこそ、僕は「名もなき家事達」にも向き合った。
新鮮な気づきだった「名もなき家事達」も、今となっては僕にとっての当たり前になってしまったのかもしれない。
妻や「名もなき家事」に名前も付けずに向き合うすべての人に、僕は敬意を表する。
名もなき家事達は名前がないだけで大変な仕事達だ。
大変な仕事に気づきもせず、自分のことばかりしている大人にはなりたくない。
あのとき残業をやめてよかったな。
あのときした喧嘩も無駄じゃなかったな。
そんなことを考えながら、今夜もアスファルトを踏みしめる。
