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『V. MARIA』宮崎大祐監督ロングインタビュー(後編)

    突然の事故で母を失った17才のマリアが、「V系」と呼ばれるヴィジュアル・ロックを通じて、母の過去と音楽の魅力を発見するハートフル青春映画『V. MARIA』。シンプルなストーリーとめざましい音響で、予備知識なく見ても楽しめる娯楽作品だが、インタビュー前編で述べられたとおり、映画の底にはV系との出会いを起点に培った監督・宮崎大祐のハイブリッドな感性が地下水脈のごとく息づいている。この後編では、本作の要となる──そして宮崎が敬愛してやまない──SUGIZO(LUNA SEA/X JAPAN)とのサウンドメイキングについても話を伺った。

    Ⅰ
     ──物語の鍵となるカナタを演じる藤重政孝さんとは、どのように役を固めていったでしょう。

    藤重さんとは読みも動きのリハーサルもおこなわなかったので、どんな芝居をされるのかわからないままのスタートでした。整体のシーンが藤重さんの初日で、だいぶコミカルなキャラクターをつくってくださっていました。ただ物語にはもうひとり、佐藤流司さんが演じる若い頃のカナタもいる。
    そのギャップを考えながらどうにか初日を終えると、藤重さんが「何か違うなと思ったら幾らでも指示してください」と言ってくださった。そこからは遠慮せずに、歩き方や発話まで演出しました。こうした細かい演出は『夜が終わる場所』(2011)以来でしたが、編集で繋ぐととてもいい感じになりました。
    ラーメンを食べるシーンも何度もリテイクして「まだ食べられますか?」というほど繰り返しましたが、その後のマリア(菊地姫奈)の 問いかけに対する微笑みなどもすごくよかった。あとはラストシーン。あれは藤重さんでないと出来なかったでしょうし、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。芝居が出来て歌えて、あの最後のシーンを成立させられる方はなかなかいないと思います。

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    ©︎MMJ

    ──ラストシーンはセリフの効果もあって、藤重さんとカナタが一体化して見えます。

    長いキャリアのなかで当然大変なこともあったそうで、様々な思いを抱えて本作に臨んでくださった。色々やり取りを重ねて完成までの時間を共にしただけあって、今では戦友という感覚です。

    ──ラストのロケ地は目黒鹿鳴館。撮影に入るまでに移転問題もあって、スケジュールを押さえるだけでも難しかったのでは?

    企画がスタートした段階で「最後は鹿鳴館で」と決まっていました。 鹿鳴館で後世まで残るものを撮るなら、もう少し準備の時間が必要ではないかと思いましたが、制作陣は鹿鳴館に強い思い入れがありました。現在は退去・移転が延期になっているけど、当時は「まもなく閉店してしまう」という状況で、ロケハンもままならないほどスケジュールが詰まっていた。
    そんな状況で何とかして1日だけ押さえられました。鹿鳴館での撮影にはSUGIZOさんも来てくださり、キャストやバンドに細かい演出を付けてもらうなどして助けられました。

    ──1日で撮るとしても、カメラが2台の体制だとステージと客席を一度に撮れないですね。

    その体制ではキャストも観客も疲れることが予測できたので、まず前半は客席のリアクションだけを通しで何度も撮って、バンドの呼吸が合ってきたところで、もうひと頑張りしてもらってステージ側を撮るという順番で進めま した。

    ──鹿鳴館独特の、楽屋とステージのあいだの細い階段を追っかけで撮っています。

    引っ張りだと危なかったのと、現場ではもう少し先に進むところまで撮っていたんです。ただ、編集すると繋がりがうまくいかずその手前で切りました。 本作は「ある人の背中」=歴史/人生というのも大きなテーマで、バ ックショットを多く撮っていたから、最後にカナタの背中も見せたかった。これから人生の大勝負に挑む、新たな背中を見せたい思いがありました。
    聖子(吉田凜音)がトラブルに巻き込まれる前も背中の画だし、鹿鳴館の外をマリア(菊地姫奈)とハナ(真雪)が歩いている姿も、撮影の向山英司さんが「ここも背中が欲しいですね」と提案してくださって。

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    Ⅱ
    ──本作で印象的なアクションがヘッドバンギング、通称ヘドバンです。この特訓シーンのアイデアは?

    池亀三太さん(共同脚本)が幾つか考えていたバンギャの特訓シーンのアイデアのなかから、映画にして面白くなりそうなものとしてヘドバンを選びました。さすがに丘の上で引きの画で、とまでは書かれてなくて、それはぼくが足しました。デスボイスの発声練習をするのも、元は池亀さんのアイデアです。スポーツと絡める形にアレンジして、応援の振りをしながらデスボイスの発声練習をする形 にしました。
    あとは、この映画のどこかにV系と全く関係ないデスメタルを 『ガンモ』(97/ハーモニー・コリン)の冒頭みたいに──あれはドゥームメタルの SLEEP の楽曲『Dragonaut』ですが──流したい願望があって、ああいう演出にしたんです。
    でも、あの特訓の撮影は初日で、菊地さんが丘の上でいきなりヘドバンし過ぎて体調を崩してしまった。ぼくが引きのいい画を撮れてベルイマンや小津(安二郎)みたいだとひとりで喜んでいると、若干「監督はいい気なもんだ」的な雰囲気が現場に漂い出しました(笑)。

    ──当然だと思います(笑)。体育館で発声練習する奇抜なアイデアはどこから考えられたのでしょう。

    一見するとバスケットを観客が応援していて、そこへズームインするとデスボイスの練習だったという、スポーツ観戦するアメリカ ン・ハイスクール映画のイメージがあのように発展しました。

    ──ショットの最後に音を加工していますが、その意図が何度見てもわからない(笑)。

    ぼくと山﨑巌さん(録音/サウンドデザイン)で、声にエフェクトをかけて説得力のあるデスボにして、さらにメタルの音楽を重ねました。
    でも、SUGIZOさんたちと見たときには笑いも起きなかったし、 みんな黙りこくって緊張感が走りました。プロレスに喩えればシュートを仕掛けてしまったようです(笑)。

    ──「ここは切れ」という反対意見はありませんでしたか?

    仕上げると特に何も言われずOKになりましたが、おそらくあまりにも意味不明で、誰も意見しなかったんだと思います。無意味すら超えた〈非=意味〉です(笑)。
    こういうのを入れるのは、見る人たちがなんて言っていいのかわからない時間を作品のなかに設けるのが好きなんでしょうね。あの音の処理はエモーションが切断されかねない。そこまではトントンと順調に話が進むから、やっぱり「えっ?」と思わせる切断をゴダール的に入れないと、宮崎大祐の刻印が消え失せるのではないかと危機感を抱きました(笑)。

    ──終盤にもヘドバンがある形で反復されますが、その前に茂みをはさんだ横移動があります。あれはロケーションから考えたものでしょうか。

    『(大和)カリフォルニア』(2016)にも廃線が映るシーンがあり、それを再び使って『ミツバチのささやき』(73/ビクトル・エリ セ)みたいなことを何か出来ないかな、と最初は考えていました。でも具体化するプランがないまま撮影当日の朝、現場へ行くとあの茂みがあった。そこで漠然と相米慎二的なことをやってみたいと思い立ちました。一度段取りをしてみて、無理なら普通に歩いてもらって撮ろうと思っていると、茂みを使ったほうが格段に面白かった。フィクションラインを気にしつつも、そのまま撮ることにしました。

    ──そしてヘドバンの反復へ続きます。ここでもV系バンギャの様式美をアレンジ、というより魔改造しておられます。

    あのエモーショナルなやり取りのあとにヘドバンというのがなかなか難しくて、ここは池亀さんが書かれた演出なので、ぼくもシナリオ片手に頭を抱えて、試行錯誤してあの形に落ち着きました。
    ハナ役の真雪さんは「あの流れはカメラの位置のおかげで出来た」と言って いましたね。もう少し近いと恥ずかしいけど、引きなので自然に出来たと。最後は目線が合うところに持って行きたいとは考えていました。

    ──しかしながら、各シーンに監督の野望が渦巻いていますね。

    だいぶ渦巻いています。ただ、それらの野望が普段映画を映画館で見ない層や、逆に映画館で見るのが習慣になっている層にもなかなか気づかれないように、エンタメの枠組みを保つように心がけていました。

    ──鑑賞の妨げ、ノイズにならない範囲内でやっていますね。目線といえば、マリアと聖子の目線の交錯はどう考えられたでしょう。この映画で合わせてはいけないと思ったのですが。

    ぼくとしても合わせるつもりはなかったです。マリアが見ようとする一方で決して視線が返ってこないという死者への倫理、不可能性がある。人対物質、人対神のような非対称性とも言えます。『ブレードランナー2049』(2017/ドゥニ・ヴィルヌーヴ)の主人公と巨大なホログラムが向き合うシーン。あそこも向き合っているようで、奇妙な非対称性がありますよね。人の側が一方的ご宣託を賜る、そういうイメージです。

    ──さらに演出を追っていくと、マリアとハナが同級生に遭遇するシーンで、日向と日陰を使った心理・状況描写がなされています。

    日向と日陰は『MY LIFE IN THE BUSH OF GHOSTS』(2024) でもやっていて、その予告編かスチルを見ていただいていたのかはわかりませんが、向山さんが細かく計算して現場で提案してくれました。
    あそこで同級生とやり取りしたあと、広い画でマリアとハナが手前に寄ってきて喧嘩をはじめる珍しい動きも向山さんのアイデアです。「地面に十字架が出るよ」と言ってくれて、十字架は自分の映画のトレードマークだし、成程いいなと。
    後半のアパートのシーンでも、ある諍いを経て光と影の明暗が出来る。そこも撮影・照明部の力が大きくて、指摘する人はいないけど、とても気に入 っている演出です。

    ──終盤にさしかかるあたりの、マリアと響子(サヘル・ローズ)が話すシーンでは脇の壁にタグが書かれている。90年代には水と油だったV系とヒップホップ文化をワンショットに収めています。

    そうですね。ハナがマリアの家に来るときも、背景にあの辺りでは有名なライターのタグが映る。地域ごとのタグの差が出るのも面白かったです。

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    ──それから現在の響子と過去の響子(采良)を、シーンを跨いで電車の音で繋いでいます。通過するタイミングを狙って撮られたのでしょうか。

    狙わずとも、現在パートのほうは30秒に1度くらいの間隔で電車が通るので、逆に音が心配になるほどでした。でも、マリアが西新宿のレコード店に行ったあとの画を撮るときは、電車が急に来なくなって。
    昼間は本数がすごいけど夜は減るから、あれはすごく待ちましたね。電車のショットは車内でも撮りたかったけど、そこは商業映画としていろいろ制約があって乗れなかった。距離を示すために、せめて車両を外側から撮っておこうと。

    Ⅲ
    ──後半のカナタと聖子のシーンは、過激なほどの暗さで情念的な描写が続く。かなり実験的でもあると思います。

    あそこは『PLASTIC』(2023)のバーの幻視のシーンを意識しつつ、 増村(保造)ならどう撮るだろうと考えました。『曾根崎心中』(78)的に撮りたかったんです。芝居の熱さと表情の面では、溝口(健二)もイメージしていました。
    現場で休憩が入ったときに助監督に「これは大丈夫なのか?」と言われましたが、「いや大丈夫だ」と(笑)。本作をご覧くださった吉田大八監督が「増村ドラマっぽい」と言ってくれたのは嬉しかったですね。 自分でもいい芝居というか、カナタと聖子の存在を撮れた手ごたえを覚えました。
    実はシーンの後半は、そのテイクで使う予定のところを超えて芝居を続けているので、カナタ側の照明がオフになってしまっています。これまたプロレスでいうガチンコが発生しているんですが(笑)、芝居がいいので止めなかった。柴田雄大さんをはじめとする照明部の方たちに「後半も使ってもいいですか?」と訊ねると「本当によかったから気にせずに」と了承してくれました。あそこが異様に暗くなったことで、結果的にフィルム感が増した。そこにブライアン・イーノ、あるいは『ブレ ードランナー』(82/リドリー・スコット/音楽:ヴァンゲリス)のようなSUGIZOさんの音楽が乗ってきます。

    ──終盤、祖母・幹恵(藤田朋子)が重要なアイテムを持ってマリアの部屋に入ってくるときのテンションもちょっと過剰で、この人ならピンチョンを読んでいてもおかしくないと思わせます(笑)。

    藤田さんの登場ではじまるあのシーン全体が尋常ではないですね。何重にもメタ構造になっています。呪いのビデオを家族で見るようなシーンだし、 彼女たちが見るメディアもリアルにビデオ素材で、物語上で明らかに浮いている。でもあのくだりで感動して泣いてく れた人もいる「これは何だ?」いうシーンです。
    構造から考えても浮いているけれど、あそこの語りは全部ぼくが書いたので、宮崎大祐のV系、なぜだか好きなもの全般への思いが聖子という他者の声で語られる。つまり、オーディオコメンタリーを突然インサートするイメージです。ここにも〈非=意味〉を本気で語る、感動らしき唯一無二の感情があるかもしれない(笑)。

    ──あの語りは、リアリズムで考えると圧縮するべきところを無視した長さです。でも謎の訴求力がありますね。

    バンギャからも評判がいいです。それからあのシーンでは、かつてはよくあった、カウチに座ってポップコーンを食べながら、テレビを見ていたら事件が起きる’80-90年代アメリカ映画のノリを日本家屋で展開するとどうなるか? それを試してみたかった。ポルターガイストが起きたりとか。
    そして突如マリアを包む闇は、人類の過去未来が瞬く宇宙空間のような母の子宮的なイメー ジから発想しました。前半でLUNA SEAの『MOTHER』(94)を聴いたり、謎の人影に布団をかけてもらったり、母に見守られている、包み込まれているような演出を繰り返しているので、ここでいよいよ母と一体化するイメージで流れを組み立てました。どこかで『エヴァンゲリオン』を意識していた部分もありますね。
    準備していたスタッフたちは、たぶん「なんなんだこのシーンは」と思いながらも、 楽しんで取り組んでくれていたようです。もろもろ非常に手間をかけたシーンだったので。俳優も画面に映る全員がすごくいい顔をしています。
    SUGIZOさんに最初に音楽をオーダーするときにも「マリアは音楽を通じて聖子と交信している。そして聖子の想いや反応はマリアを通じて聖子にゆかりのある人々のあいだで乱反射して、やがて綺麗な光や音となって宇宙に広がっていくイメージ」というようなことを伝えました。

    ──それに関連するであろうラストショットに関してもお聞かせください。

    あの形でなければいけない終わり方で、あそこまではラストショットありきで、どうそこにたどり着くかという演出をしています。

    ──あのショットで人物はどこにいるのでしょう。

    フロアに入ってすぐ、後ろから皆を見守るイメージでした。「もっと近くで」「同一フレーム内に」という意見も出ました。それでも「ここはお互いもう会うことはないけれど、それぞれが確かに存在して、共存している状態にしなければ駄目だ。それがこの映画のテーマだ」と主張しました。
    当初のぼくのプランでは、カメラの位置がもっと低く、横から入るつもりでした。けれども実際に撮ってみるとイメージどおりにならず、映画に使ったのは探って見つけたポジションです。数パターン撮ったなかで一番いい位置で、芝居もよかったですね。今まで皆を見守っていた筈の聖子が、誰かに見守られています。

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    ──その共存の状態は『PLASTIC』のラストショットに少し似た印象も受けます。宮崎映画の「会うか会えないか問題」の変奏のような。

    そうですね 『インターステラー』(2014/クリストファー・ノーラン)的な多次元と、偶然性と霊よりも上位にある大いなる何かの視点を考えました。それはいわゆる神ともまた少し違っていて、劇中のセリフにある「われわれは世界の一部でありながら世界はわれわれの一部でもある」という状態というか。ラストショットがこの映画のすべてだというイメージもありました。

    ──ラストショットから遡ると、本作の構造もよく見えてきます。冒頭でマリアが段ボール箱を開いてゆくのはその暗示で、なおかつ「箱を開く」アクションの源は、監督の脚本執筆作『孤独な惑星』(2010/筒井武文)のオフィスのシーンではないでしょうか。

    確かに。何かに似ていると思っていたんですが、『孤独な惑星』でしたか。あれは構造主義的な意味合いもあれば、世界を見ている聖子をさらに包んでいる存在という、先ほどお伝えした宇宙的な観念を見せているのかもしれませんね。そして、本作はひとつひとつ箱を開けるようにマリアみずからが起こすアクションによって、さざなみが広がりどんどん世界が開かれていく物語でもある。
    赤いバッテンの封の仕方は『回路』(2001/黒沢清)のパロディですが、箱は『フォレスト・ガンプ』(94/ロバート・ゼメキス)の「Life is like a choclate box」の偶然性ともつながるかもしれません。

    Ⅳ
    ──要となる音楽をどう聞かせるか。それは本作最大の課題で、選曲も難しかったと思われます。音楽担当のSUGIZOさんとは、どのように作業を進められたでしょう。

    SUGIZOさんが参加してくださるかもしれないとなったときに、ラストのライブの叩き台として提案されたのが『VIRGIN MARY』(2000)で、その時点ではどうなるかなという思いも少しありました。とても壮大な曲だけに、そのスケールに見合う映画に仕立てられるか自信がなかったんです。
    そんななか、本作向けに再構成したヴァージョンをSUGIZOさんが夜ごと幾つも送ってくれまし た。それでラストシーンが自分のなかで具体的に想像できるものになっていった。ここはこういう感情の流れで、といった演出プランも組み立てられました。
    1曲目はGUILTY の楽曲という設定なので、90年代風にしたかったところに、SUGIZOさんがご自身の『REMIND』(2003)を提案してくださった。歌詞も新たにしてくださり、現在のカナタの在り方にとても合うので、この2曲が決まりました。
    ひとつここだけ裏話をすると、実はそのあとのエンドロー ルでは、LUNA SEA の『Precious』(2000)が流れる予定でした。 少なくともシナリオ上はそうなっていたし、そのヴァージョンも撮りました。ただ『VIRGIN MARY』と『Precious』が続くと、観る側のエモーションの上げ下げが難しい気がした。そして最後の最後に届いた、現エンディングテーマの『V. MARIA』を聴いたとき、その素晴らしさに「これしかない!」となりました。
    マリアの顔のショットで映画を終えてもいいんじゃないかという意見もありましたが、あのラストショットを入れることで、マリアの物語をもっと広げて、彼女だけでなく、星々のようにきらめくそれぞれの映画にして終わらせたいことを伝えました。そういえばエンドロール前の長い黒味を、SUGIZO さんは 「『2001年宇宙の旅』(68/スタンリー・キューブリック)みたいですごくかっこいい」と褒めてくれました。
    劇中の楽曲についてはいろんな可能性があったし、ギリギリまで議論を重ねてクランクインの 4、5 日前にどうにか確定しました。それが仕上がりとして、この流れに持って行けたのは運にも恵まれたと思います。
    何よりもSUGIZO さんの導きがあって映画を構成できた部分は本当に大きく、それに沿って演出もシナリオも練られました。

    ──SUGIZOさんの本作への献身はすごいですね。音楽を担当してもらうまでの流れを教えてください。

    中学時代からのファンなので、「自分が本気でV系の映画を撮って音楽をお願いするならこの人しかいない」と思いながら、本作の規模では引き受けてくれないだろうとも最初は思っていたんです。もっとも、LUNA SEAを聴きはじめた当時はV系なんて言葉もなかったので、そこの整理は必要だなと意識しつつ。
    それで共通の友人であるサヘル・ローズさんに紹介していただき、昨年7月に初めてお会いしました。普段そんなに緊張しないぼくが珍しくめちゃくちゃ緊張しましたが、お会いするととても気さくな方で、すぐに 「前から監督の作品が好きだから、自分としては是非とも参加したい」とおっしゃってくれました。仕事なので様々な交渉もありましたが、そこを毎度支えていただきながら、厳しい状態になってもSUGIZOさんが常に「宮崎とやりたい」と言い続けくださって、ご参加いただけることになったんです。

    ──当初はどれくらい携わってもらいたいと考えていたでしょう。

    可能であればサウンドトラックと主題歌、つまりトータルな音楽監修者の立場に付いていただきたかった。でも規模やスケジュールを考えると現実的には相当厳しいことがわかったので、それならば監修の形などで、少しでも関わってもらえれば嬉しいという気持ちでした。
    ただ、今後ひょっとしたら何かの企画でご一緒できるかもしれないけれど、いつかまたこのような「V系をテーマにした」映画を撮れるかどうかは自分でもわからない。それならば、この機会を絶対に逃したくなかった。
    そして実際にご一緒すると、使い切れないほどのものすごい数の曲をつくってくださり、「気合い入っちゃいました(笑)」と。楽曲以外の様々な部分でも多大なサポー トをしていただきました。

    ──スコアも含めてトラックが膨大にあったそうですね。

    映画全体で500トラックほどの音がありました。

    ──そんなにあると、編集機にはひたすら波形が並ぶ……というより並べられないですよね。

    10トラックをひとつに圧縮して編集していくような 形でした。ライブシーンの山崎さんが同録したトラック数もすごかったし、SUGIZOさんのサウンドトラックもデータのファイルを開くと膨大なトラック数で、映画館の5.1chシステムでないと聴こえない周波数帯域の音がかなり入っています。

    ──これまでの監督作品の音楽も、そのジャンルの第一人者が担当してきました。今回、SUGIZOさんと作業を共にするなかでどのようなことを感じられたでしょう。

    やはりトップ・オブ・ザ・トップだけあって何事も凝りようが並大抵ではなかったですし、毎日命を削って徹底的にあらゆる活動をされている、音楽と向き合っている、「生きている」という印象を受けました。国民的スターなのになんの慢心も油断もなく、むしろもっとよくなりたい、もっと巧くなりたいという焦燥感を抱えていらっしゃって。
    好きな音楽のお話も色々とさせていただきました。 JAPANやニュー・ウェイヴのバンドなどをお好きなことは知っていましたが、想像を超えるデヴィッド・ボウイ愛や、スロウダイヴ、メディシン、マイブラなどのシューゲイザーがとても好きだというお話に聞き入りました。
     90 年代の USオルタナティヴもお好きだそうで、ソニック・ユースやマッドハニーなんて名前も挙がりました。それらの影響があの唯一無二 の音色、楽曲になっていると思うとやはりすごすぎる! そう感じました。
    ほかにも SUGIZOさんのお話で面白かったのが、本作で終盤のライブシーンの楽曲を全部叩いてくだった LUNA SEA のドラマー・ 真矢さん(19070-2026)が幼少期は和楽器の英才教育を受けていて、ほとんどロックを通らなかったという逸話です。クラシックのエリートであるSUGIZOさんと和楽器のエリートである真矢さんの感性が掛け合わさり──当然それ以外の音楽の要素も多くありますが──LUNA SEAの音楽が形成されているというお話は興味深かったですね。
    制作中に毎日のようにやり取りをして、 直接会って忌憚のない意見を交わして、長いこと同じ時間を過ごさせていただいたものの、やはり東京ドームの LUNA SEA のライブで、花道でギターソロを弾いておられる姿を見ると、人間とは思えないほどかっこよくて、景色から浮き上がっていた。
    そのSUGIZOさんに、ひとりのアーティスト対アーティストとして接していただけたのは本当に幸せでした。

    Ⅴ
    ──3月の大阪アジアン映画祭での上映が、本作の世界初上映でし た。上映後の温かいムードに驚きましたが、その反応をご自身はどう捉えられたでしょう。上映後、監督に笑顔で話しかける観客が途切れない様子は初めて見た気がします。

    大阪と同様に4月の目黒シネマの上映期間中も、上映後に毎日拍手が起きていたらしく、それはかなりの驚きでした。自分の映画がそのように受け入れられるとは、という驚きです。

    ──ベタな物語はいいなと感じる機会でもありました。

    いいですよね。ベタな物語に対する反応が、これほど気持ちいいものなのかと正直感じました。あちこちのディテールに魔改造を施したけど、そこに気づかれず、ベタなエンタメ作品として純粋に楽しんだり感動してもらえるとすごく心地がいい。しばらくはそういう作風でいいのかなと思いましたね(笑)。

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    ──何でも撮れることを証明できたかもしれません。

    これまでも「ベタなんてすぐに撮れるからひねっている」と言ってきたんですが、誰も信じてくれなくて(笑)。ようやくそれを少しは実証できたのかなと思います。自分としては 『PLASTIC』も案外ベタな物語のつもりでした。

    ──恋愛映画の要素だけを抜き出すとそうでしたね。

    でも今回とは反応が違った。本作も物語はベタだけど、細部を相当変なものに魔改造したので、ここまでストレートに受け止められるのは意外でした。以前から観客を感動させる演出は、プログラムを組むみたいに出来ると思っていて、本作はそれをアメリカンなジャンル映画の作品として実現させられた気がします。俳優の演出に関しては、数年前から映画美学校アクターズ・コースで教えていることのフィードバックもあって、言葉が増えて向上したように思います。

    ──そして、ずっと描いてこられたアイデンティティのテーマは前面に出ていないものの、本作にもあると思えます。

    母を亡くして、ただ悲しんでいるだけの物語だと映画としては厳しい なと思って、その悲しみを飲み込めないマリアが母の後をたどっていくうちに自我も形成しつつ、最終的に母の喪失と不在に向き合う物語を、と考えました。死の悲しみを飲み込めないのは、自分の近年の経験に基づいています。
    でも 、Grok やチャット GPT によると「宮崎大祐は常に若者のアイデンティティの問題に向き合ってきた監督」らしいです(笑)。

    ──仏壇の前でのマリアと幹恵のセリフは、監督が書かれたものですか?

    ぼくが書きました。

    ──あの一見何気ないセリフには、マリアにとって聖子は母、幹恵にとって聖子は娘であるという、人間を関係性の網目から捉える思考が作用しているようにも思うのですが、いかがでしょう。

    近代哲学では人間はそのように外見や言語、つまり記号としてしか捉えることが出来ないとされます。人を関係性の束と考えるのもその一環だと思います。特に映画というメディアはその傾向が強いですね。それをわかりやすく提示しているのが、黒沢清さんや濱口竜介さんだと思います。
    ぼくもそうした形式と内容(外部と内部)の問題に、過去作を引き継いで取り組んできました。たしかに世界は表象でしか表現できないかもしれないけれど、そうでない何らかの可能性はないか?
    まずここにいて、世界を見ているこの存在をどうしたら映画を通して共有できるのか。その試行錯誤を繰り返しています。そんな無数の「私」たちが目線を揃える場所をスクリーンのこちら側に用意できるのも映画の力かもしれません。映画やライブといった体験を通して形式と内容が共存するイメージは、確実にこの映画の基底をなしています。

                               (2025年4月)
                             取材・文/吉野大地

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