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中国以外の国に久々に飛び出してみて自身が大国から離れられない理由を改めて認識した話

2025年に中国以外の国に4年ぶりに訪問し、その中で特に中国以外の二大国である米国(ニュージャージ、ニューヨーク、アトランタ、シカゴ、ミネアポリス)とインド(ニューデリー、チェンナイ)をそれぞれ1週間という短い期間で練り歩いた。その中で、大国の魅力は、現在の私個人にとって日本を含めた小国には多角的に見ても敵わないことに気づいた。それゆえに、機会とご縁がある限りは、いずれかの大国を絡めたもしくはそのまま拠点とした活動をしていきたいという暫定的な結論に至ったというのが今回の話の趣旨である。

再思考:「大国」と「小国」

価値判断よりも構造的な差異を以て分類

まず大前提として、何を以て米中印の3カ国のみを大国とし、その他すべての国家を小国とするのか?そのような大胆な二分法が現実的なものかどうかという詳細な各論はさておき、ここで試みる。

これについては、今回は国家の構造な差異をもとに分類をしたい。なぜなら、「国力の強弱」や「豊かさの度合い」といった価値判断に基づいた場合、長期的に見てもその分類群の変動の不確実性が高いのみならず、その定義も容易にブレやすくなる。例えば「軍事力が強い国が大国」「一人当たり GDP が高い国が優れた国」「国連で発言力がある国が大国」といった区分は、いずれも「軍事力・豊かさ・外交力=価値が高い」という価値観を前提にしている。何をもって「価値がある」とみなすかは人や時代によって変わるため、「どこまでが大国か」の議論が永遠に収束しなくなる。

反対に、構造に基づいた場合、「優れているかどうか」は問わず、「持っている仕組みや制約が違う」という事実だけを切り出して区分する。例えば、「国内に複数のメガシティを分散配置できるか」「一国だけで技術普及の臨界点を突破できるか」という、国土・人口・経済規模から生まれる構造的な性質の違いだけを根拠に分けており、「だから大国の方が偉い」などという価値判断は一切含まない。

大国と小国を分類する際の大枠の2つの分類方法の違い
出所:Tony Chai

ゆえに、今回はその構造的な差異に着目したい。立脚する中核的な考え方として、蛯原健氏の『テクノロジー思考(技術の価値を理解するための「現代の教養」)』で述べられている大国に関する記述を参考にする。

「大国」と「小国」を自分なりに定義してみる

同氏が本書で述べている趣旨に基づき、大国および小国のそれぞれの定義付けを試みると以下のようになる。

大国 = 人口・国土・経済規模のすべてにおいて国内に複数の成長極を分散して配置できる十分な絶対規模を持ち、単一の中心都市に依存しない強靭な経済・社会システムを内包し、一国だけで新技術の臨界点を突破して同時多発的なイノベーションを生み出せる国家。

蛯原健(2019)に基づき、Tony Chaiが整理

小国 = 国土・人口・経済の絶対規模に構造的な上限があるため、国内に複数の独立した成長極を分散して配置することが本質的に不可能であり、単一または少数の中心都市・基幹産業に依存せざるを得ず、自国単独では新技術の社会実装における臨界点を突破し、自律的かつ同時多発的なイノベーション・エコシステムを国内で完結させることができない国家。

蛯原健(2019)に基づき、Tony Chaiが整理

これらの定義に基づいた場合、これら二種類の国家群を多角的に比較すると例として、以下のようになるだろう。大分類を5つ、比較軸(小分類)14個用意。これに世界各国を当てはめていくと、私が見ている限り、まさに米中印の三カ国のみが大国として振り分けられる。

大国・小国 区分基準比較表
出所:蛯原健(2019)に基づき、Tony Chaiが整理

一大国を拠点としながら初めてその他の二大国に

2022年から2026年上半期まで約4年間ほど、中国を拠点として滞在してきた私。その中で、最も印象が強かったのが、2025年だった。なぜなら、初めて中国以外のその他二大国に足を運ぶ機会に恵まれ、三大国を比較し、小国では体験できない、私が定義するところの大国の特異点に改めて気づいたからだ。その特異点とはまさに、比較表の内容も包括にまとめると、人口、面積、経済規模のすべてにおいて、一極集中を拒む「多極的発展」を可能にする構造だろう。

私は大学学部で中国を対象とした空間計量経済学(学部レベルで終わってしまったため、そこまで造形は深くないし、すでに知見を失っている。)の研究、前職が日中間のイノベーションを促進するアクセラレータでのアナリストだったため、テクノロジーの発展を促す基盤が果たしてその場所に立体的に整っているかどうかという観点から都市を考察する向きがある。その観点に重きを置き、上記の特異点をより具体化するとなった場合、以下の関連する2つに集約されると言える。

分散的な都市構造

例えば、韓国がソウル広域圏に国民の約6割が集中する「一極集中型」の脆弱さを抱えるのに対し、これら三大国には人口1000万人規模のメガシティが10以上点在する。

↓(分散的な都市構造ゆえの)

構造的優位性

この広大な国土と多様な人口こそが、単一のプライメイトシティに依存しない強靭なエコシステムを形成し、同時多発的なイノベーションを誘発する土壌となる。この物理的規模こそが、テクノロジーが社会実装される際の臨界点(クリティカルマス)を突破させ、爆発的な普及を可能にする。

大国は飽きが来ない それは無限の多様性がゆえ

こうした要因ゆえに、大国ではどのような体験ができるか?それは、特にメガシティを初めとしたどの都市に赴いても飽きが来ないのである。

では、なぜどの都市に赴いても飽きが来ないのか?それは、大国ならではの「動態的な多様性」ゆえだと私は考えている。どの都市もイノベーションを取り巻き競争し合う。そのため、複数の都市が瞬く間にアップデートされていく。それは外観のみに限らない。都市のOS、そのOSが司る対象となる構成要素、そしてその構成要素と共存する人間を含めた生命体まで流動的に進化していく。新しいものが絶えず生まれては消えていく。その生命力ゆえの収縮性というか張力というかそれに似た何かがこれら三大国を大国たら占めているのだろう。

もちろん、三大国それぞれを横断的に比較してみると、それぞれが主に依拠しているイノベーションの源泉は異なる。蛯原健(2019)によれば、米国の場合、それは、数世代にわたって蓄積された「移民エネルギー」。中国の場合、国家資本主義を基盤とした、都市別の明確な機能分担。そして、インドの場合、圧倒的な「人的資本」。そうした違いを洗い出そうとした場合、枚挙に暇がないのは間違いない。ただし、「動態的な多様性」という点は、いずれの国にも見られる特徴であることも疑う余地がない。

これが、大国と小国でビジネスをするという視点に目を移した場合、ICC KYOTO 2025のセッションの1つでも任宜氏が以下のように言及されていた通り、市場多様性の深さと広さが違う。複数のメガシティを初めとして、それぞれが1つの国家の中のみならず、それぞれの都市の中でも、市場多様性を日々一分一秒拡散と収束を繰り返しながら、移民などを皮切りとした人類をキャリアとして、三次元的に躍動的に育んでいく。その波は、実は都市部だけでなく、ある臨界点に達した時、農村部にも波及していく。この市場の飽くなきダイナミックさが米中印に共通する点であり、大国たる象徴的な所以だと言える。

 これは、すごく重要な議論だと思っています。インドもおそらくそうだと思いますが、アメリカと中国両方で仕事をして僕が感じたのは、「多様性が大きいことによる違いがイメージできないという問題」があるということです。その違いは、日本だけで働いているとイメージできないのです。

西井 それは僕もすごく感じます。

 日本は、すごくシンプルなマーケットなのです。もちろん、年齢や、地方と東京でセグメンテーションをすることはあると思いますが、それくらいのレベルです。多様性は、言い換えるとセグメンテーションオポチュニティだと思います。アメリカや中国は、どういう戦術がありうるかという意味での幅広さが全然違うのです。

例えばスマホでも、HUAWAIXiaomiに目がいきますが、それ以外にも、なぜ生き残れるのかと思えるくらい、いろんなブランドやメーカーが立ち上がっています。オポチュニティがたくさんあって伸びているので、勝ち筋がたくさんあるのです。イメージできるところだけを見て戦略が立てられず、思考停止になってしまうというのが、よくある負けパターンです。イメージできるもの以外にも、勝ち筋がたくさんあるということが重要だと思います。

出所:https://industry-co-creation.com/industry-trend/121535

大国という「戦場」に挑戦し、生き続ける その心は

Yorenの金田さんがおっしゃる通り、中国は「グローバルな競争のるつぼであり、いわばメジャーリーグ」だ。

しかし、これは中国のみならず、その他の二大国に顕著に当てはまる。今後、相対的に米国の「戦場」としての向きが弱まり、逆にインドがその向きを強くしていくかもしれない。ゆえに、私は現在インドのとある大学でインド学修士を専攻していたりする。インド訪問時に、見事にその無限の多様性に触発されたためだ。

中国に拠点を置く傍ら、最近はいい意味で驚かされた(写真の通り@チェンナイ)インドに興味津々
出所:Tony Chai

いずれにせよ、大国という無限の多様性に溢れた「戦場」を知り、そのダイナミズムの中に身を投じ戦い続けることは、国家に根付く、市場を解読する、そして人間を理解する、愛するための感性を研ぎ澄ます、これ以上ない貴重な機会だと私は信じて疑わない。その心を以て、私は、ご縁のある中国という大国で引き続き無限の多様性という差異を軽やかに楽しみながら、精進していく所存である。

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