ワヤカグラ‼︎ 第一幕「桃色夜叉」編 #2 BARアラモット劇場
#2 BAR アラモット劇場
カラン、カラン。
気づけば俺は、また「アラモット劇場」の扉を開けていた。
頭の中が、あの桃色で埋め尽くされている。
月明かり。
血の匂い。
熱を帯びた白い肌。
忘れられるわけがなかった。
「マスター。さっきの話、詳しく聞かせてもらえませんか」
乱れた息のまま、カウンターへ詰め寄る。
「あれぇ? イオちゃん、おかえり〜」
アライは真っ赤な顔で笑った。
先ほどより確実に酔いが回っている。
「それより鬼の話です。あれ、誰なんですか」
「えぇ〜……もう、モンキー潰れてしもうたしなぁ」
アライは奥の座敷へ視線を向ける。
そこには、腹を出したまま豪快にいびきをかく元ハンサムが転がっていた。
「……チッ」
思わず舌打ちが漏れる。
いつもの光景だが、今は妙に腹が立った。
「イオちゃん怖っ」
アライが大袈裟に肩を震わせる。
「そんな顔してどしたん? ほんまに鬼さん見つけてしもーたん?」
その時だった。
カラン、カラン。
再びドアベルが鳴る。
「あ、シオンちゃん。待っとったよ〜!」
アライの声が急に裏返った。
次の瞬間。
煙草と酒の臭いが染みついた店内へ、甘く上品な香りが流れ込む。
「この匂いは!」
「うぉ、シオンじゃ!」
さっきまで死んだように転がっていた酔っ払い共が、一斉に飛び起きた。
カツン。
カツン。
ヒールの音が静かな店内へ響く。
長い黒髪。
黒いワンピース。
白い肌。
細く伸びた脚。
胸元で揺れるシルバーアクセサリー。
派手なのに下品じゃない。
むしろ、この薄汚れたバーだけが場違いに見えた。

「おまたせ〜。今日も来ちゃったわ」
艶のある唇が笑う。
その瞬間。
空気が変わった。
狭い店内にいた男達の視線が、一斉に彼女へ吸い寄せられる。
たった数歩歩いただけなのに、この店の主役が入れ替わったのが分かった。
「あ、イオちゃん初めましてかな? この人、九条紫苑ちゃん。こう見えて社長さん。しかも、むちゃくちゃいい女なんよ〜」
「余計なこと言わなくていいの」
紫苑は呆れたように笑い、こちらを見る。
「……初めまして。伊織です」
紫苑の視線が、ゆっくりこちらへ向いた。
「あんた、嫌な目してるわね」
初対面で失礼な女だった。
店内の空気が少しだけ止まる。
それを誤魔化すように、アライが慌てて口を開いた。
「そういやシオンちゃん、なんでも知っとるんよ。イオちゃんが気になっとった鬼の話、聞いてみりゃええが」
「へぇ。鬼ねぇ」
紫苑の目が少しだけ細くなる。
「どこの鬼?」
「小町トンネルの上の廃ホテルです。そこで見ました」
一瞬だけ。
彼女の笑みが止まった気がした。
「……あぁ、そっち」
興味を失ったように煙草を取り出す。
「何か知ってるんですか」
気づけば、俺はカウンターへ身を乗り出していた。
シオンは煙をゆっくり吐き出す。
「で、何を知りたいの?」
「彼女のことを全部」
即答だった。
シオンが煙草を咥えたまま笑う。
「彼女って。あんた、実物見たんだ?」
「はい」
「それでも知りたいって……変態? それとも死にたがり?」
「一目惚れしました」
数秒。
店内に沈黙が落ちる。
そして。
「ふふっ」
紫苑だけが小さく吹き出した。
「一目惚れねぇ……」
煙草を咥えたまま、こちらを眺める。

「見る目あるじゃない」
そこで一度言葉を切り、楽しそうに笑った。
「目つきは終わってるけど」
どうやら、俺の目が相当気に入らないらしい。
だが、そんなことはどうでもよかった。
あの鬼の少女のことが知りたい。
それだけだった。
「シオンちゃん今日なに飲む!?」
「俺奢る!!」
「お前金ねかろーが!」
おっさん達は勝手に盛り上がっている。
シオンはそんな連中を適当にあしらいながら、再びこちらへ視線を向けた。
「いいわ。教えてあげる」
思わず前のめりになる。
「ただし高いわよ?」
「いくらですか」
シオンは右手の人差し指を立て、左手で丸を作った。
「……これくらいかしらね」
どん。
気づけば財布ごと机へ置いていた。
紫苑が少しだけ目を丸くする。
「……ふーん」
面白そうに笑った。
「“学生”にしちゃ羽振りいいじゃない」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早いわよ」
煙草の灰を静かに落とす。
「死ぬかもしれないし、ね」
そこでシオンは少しだけ笑った。
「明日にはまとめておくから。子供はもう帰りなさい」
そう言ってカウンター席へ腰掛ける。
「そんなことより飲み直しよ。マスター、一曲お願い」
「はいよ〜!」
その瞬間。
座敷のおっさん達が一斉に立ち上がった。
「よっしゃ!」
「久々にやるか!」
埃を被っていたギターケースが開かれる。
ベース。
古いアンプ。
錆びたマイクスタンド。
さっきまで酔っ払っていただけの男達が、急に“昔”の顔になる。
懐かしいラブソングが店内へ流れ始めた。
煙草の煙。
安い酒。
笑い声。
その空気に耐えきれず、俺は店を後にした。
◇
夜の商店街を歩く。
シャッターの閉じた店。
遠くの車の音。
少し湿った夜風が頬を撫でる。
バブル崩壊前は工業と観光で栄えたこの街も、今は見る影もない。
華の金曜日だというのに、商店街は静まり返っていた。
駅前へ向かう途中。
前方から、一人の男が歩いてくる。
ジャージ。
ワークブーツ。
古びたちゃんちゃんこ。
近所のコンビニへ行くような格好なのに、背中には異様に大きな登山リュックを背負っていた。
妙に重そうだった。
そして、デカい。
男が近づくたび、アスファルトが軋むような錯覚がした。
鬼の少女に熱を浮かされ、火照っていたはずの身体が少しだけ冷える。
目を合わせるな。
本能がそう告げていた。
そのまま横を通り過ぎようとした瞬間。
「おい」
低い声だった。
振り返る。
男が、じっとこちらを見ていた。
「……なんですか?」
「……いや、いい」
男は何かを言いかける。
だが、結局飲み込むように目を逸らした。
「……悪かったな」
それだけ言うと、男は「あらさった探偵社」の入った雑居ビルへ向かって歩いていった。
背中に視線だけが残る。
妙な男だった。

◇
翌日。
研究室の課題の為に、大学を訪れていた。
研究室のロッカーを開けると、一通の封筒が入っていた。
差出人はない。
中には数枚の紙。
名前。
年齢。
バイト先。
そして。
『城代 桃花』
その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
普通なら恐怖を感じるべきなのだろう。
連絡先も教えていない。
大学まで調べられている。
まともじゃない。
だが。
そんなこと、どうでもよかった。
「……キノシロ、トウカ」
小さく名前を口にする。
それだけで、胸の奥が妙に熱い。
次の目的地は決まっていた。
退屈だった世界が、少しだけ色づいて見えた。
#3 喫茶ルパン

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