見出し画像

閉じたテキストと一歳の手

「あー、テキスト開きたくねえー」
そう言いながらページをめくる。

「キャット・コブラ・バウ」
ポーズ名を見て、手が止まる。

「どうだったっけ?ひざを引き上げて、ひじを伸ばす……」

腕がぷるぷると震え、筋肉痛の肩と背中が痛む。そのまま、ぺしゃんと床に降りた。

「あはは!だめ、全然、力入んない!」

昨日のトレーニングが、からだの隅々まで効いている。
今日は最後のレベルアップティーチャートレーニングがある。

開始まであと三十分。
マットに仰向けになって目を閉じた。

遠くで電車が走っている音がかすかに聞こえる。
ぼんやりと音の向こう側へ耳を傾けた。

目を開いて、Zoomを繋ぐ。

「レベル2のファイナルセッションへようこそ」
先生の声がいつもより穏やかに聞こえる。

昨日と同じように、受講生たちは順番に先生役になり、動きながらガイドをしていく。

「吸う息、腕を伸ばして、同時にひざが降ります」

さっきまで力が入らなかったのに、始まったとたん、からだの奥に力が戻ってくる。


「私たちの旅はまだ続きますが、ティチャートレーニングのレッスンは今日でおしまいになります」

「日本の素晴らしいメンバーに教えることができたこと、とても嬉しくて光栄です」

アメリカから繋いでいる先生はそう言って手を合わせた。
私たちも手を合わせて、頭を下げる。

パソコンを閉じた後もまだ実感がない。
本当に終わったんだ。

ちょうど一年前の今日。
娘夫婦の家の近くにマンションを借りて、
朝に陣痛が来た娘を病院に送り届けてからトレーニングに入ったっけ。

慣れない場所での生活、
トレーニング初日の緊張、
無事に産まれてくるだろうかという不安。

それを抱えたまま、あの日は始まった。
思い出すと、ずいぶん遠い昔みたいな気持ちになる。

マットを片して、ぼろぼろになったテキストを閉じた。

少し歩こうか。

外に出ると、半袖の腕に冷たい風が当たった。
公園で遊ぶ子どもたちや、犬の散歩をしている人を見ながら、のんびり歩く。

西陽に照らされて、木も私も犬もみんな背高のっぽになっていた。


夜、娘からビデオ通話が来た。
出ると、赤子の顔が画面いっぱいに映る。

「うー!うー!」

まあるいほっぺに、くちびるをとがらせて、ぱちぱち手を叩いている。

「おー、風邪の具合どう?」

「まだ咳がねぇ。夜も辛いのかぐずって、私も寝不足ー」
そう言って娘も顔を見せる。

「誕生日おめでとう。一歳だねぇ」

壊れてしまいそうなほど小さくて細かった手足は、今ではむちむちとして、おもちゃを掴んでいる。

「あー!あー!」

その声に返すように、手を振った。

いいなと思ったら応援しよう!