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それぞれの時間の中で

朝、歯を磨いて、顔を洗う。
植物に水をやって、白湯を飲む。

普段は出張が多く、忙しいパートナーも、
十二月はいつもよりゆっくり朝を過ごしている。
その姿を見ていると、どことなくほっとする。

頑張っている背中も好きだけど、
彼が彼らしい時間の中で、穏やかに過ごしているのを見ると、私も嬉しくなる。

彼を見送って、私も仕事に入った。

溜まっていた連絡を一気に返し、
やることを淡々とこなしていく。

お昼は、ほうれん草とちくわ、切り干し大根をマヨネーズで和えたもの、
白菜の煮物と、長ネギと豆腐の味噌汁を食卓に並べる。

ほうれん草の緑はいっそう深まって目にも鮮やかだ。

お味噌汁をひとくち飲むと、
長ネギの甘さも、前より強く感じる。

寒さにあたり、冬野菜がじわじわ本来の姿を発揮しはじめている。
その過程を見ていると、野菜も私も同じ時間を生きているのだと思えてくる。

静かな室内に、しゃくしゃくと心地よい音だけが響いた。

外では雨が降っているのだろうか。
音が少しこもって、からだの内側に落ちていく。


ごちそうさまをして、もう一度キッチンに立ち、離乳食をつくる。
月に一度の、ばあばの離乳食宅配便。

離乳食リストと娘のリクエストを見ながら、いくつかピューレにした。

マジックで日付と食材名を書いて冷凍庫へ。

「どう?孫はかわいい?」
そんな風によく聞かれるけどよく分からない。

今年の五月。
赤子の誕生に合わせて、娘夫婦の家の近くにマンションを借りて、
三ヶ月間、娘の産後ケアと赤子の育児をしに通った。

ふと笑う顔や、
ミルクを飲んだ後に満足そうな顔を見ると
愛おしさで胸がいっぱいになったり、

娘と一緒に赤子の一つ一つの動作に笑ったり、感動したり。

だけど、「孫だからかわいい」とは少し違う。
名前のつかない感じのまま、愛おしさだけが残る。

そういえば、娘に対しても、
「私の子どもだから可愛い」というのもあまりなかった。

娘も赤子も、私の家族である前に、それぞれひとりの人だ。
私のものでも、なんでもない。

たまたまこうしてつながって、
家族になった。

そんな気持ちのほうが、私には近いのかもしれない。

夕方、図書館へ行く。
駐車場に着き、本を持って中庭を通る。

雨に濡れたタイルがオレンジの灯りを受けて、
中庭全体が淡くにじんでいた。
そのにじみの中へ、確かめるように足を入れる。

雨の日は輪郭がほどけて、淡くなる。

夜ご飯を食べて、最後のレッスンへ。
からだの深いところの支えを一緒にたしかめる。

レッスン後、生徒さんが
「自分を労ってあげてたつもりやったけど、
もっと必要やったんやなと気づきました。
自分を愛でていく時間でした。ありがとうございます。」と言ってくれた。

パソコンを閉じて、お風呂に向かう。
雨はもう上がったのだろう。
空間が開いていた。



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