世界を平らにしない
朝、レッスンをひとつ終えてFacebookを開くと、地元の友人からメッセージが届いていた。
「"いいこ"の日!お誕生日おめでとう!」
一緒に送られてきたのは、二十二年前の成人式の写真。
細い眉で、口元にピースをつくり、カメラをまっすぐ見返している私。
そしてこのとき、お腹の中には娘がいた。
「なつかしいー!二十二年前という響きがもう怖いw」
「もう半世紀w」
「やめてーw」
やりとりだけで、あっという間に十代に戻る。
リビングに降りると、パートナーが「誕生日おめでとう!」と笑った。
「今日休み?!」
「うん。そうした!みりんも料理酒も残り少ないじゃろ。ドライブがてら買いに行くか?」
その提案がうれしくて、
いつもより手早く身支度をした。
家から車で一時間半。
石畳の路地を曲がったところにある、ほのかに薄暗い自然食品店。
扉を開けると、いつものおばあさんが迎えてくれた。
きっかけは六年前。
ここで勧められたみりんを使い始めたら、煮物の味が格段に変わった。
甘さがやさしくて、野菜の旨みが奥に沁みる。
あの美味しさに出会ってから、ずっとこの店で買っている。
おばあさんは、いまだに私を覚えてくれない。
毎回「どちらから?」とくりっとした目で聞く。
空いた瓶をいつもの場所に戻しながら、
私もいつもと同じことを伝える。
けどそのやりとりが妙に落ち着くのだ。
Amazonでも買える。
便利だし、早い。
けど便利なだけだと、暮らしが作業になる気がする。世界が、つるんと平らになる。
どこにお金を巡らせていきたいか。そう考えると、この店で買いたい。
空いた一升瓶を次に行く日まで置いていくこと。
車で向かう時間。
そして、おばあさんと交わすささやかな会話。
その手間の中に、暮らしの凹凸が戻ってくる。
どこにお金を置くかは、
どんな暮らしに触れていたいか、に似ている気がする。
「気をつけてね。ありがとう」
おばあさんの声に、会釈してドアを閉めた。
お昼に山菜釜めし定食を食べて、
海へ向かった。
穏やかな波がちゃぷちゃぷと寄せてくる。
細かい波に合わせて、光がゆらめき、遠くまで伸びている。
「わぁ」
肺いっぱいに空気が入ってくる。
もっと近くに、もっと深く感じたい。
気づいた時には裸足になって、小走りで海に向かっていた。
透明な水がさぁっと足を包んでは引いていく。
足の指先から足裏のすみずみまで、冷たさが広がって、心の中がすっと軽くなる。
気持ちいい。
波打ち際を、砂と海を散らすように歩く。
だんだん足先が赤くなってくるのをじっと見る。
冷たさは確かにある。
けど、それ以上でもそれ以下でもない。
「寒い」「冷たい」
そうやって頭で理解しようとした途端、感覚は閉ざされる。
自分が思う「冷たさ」に沿って、さらに冷たくなっていく。
決めつける前に、今の状態をまっさらな気持ちで感じてみると、
必要以上に冷たくしているのは自分の思考なのだと気づく。
泳ぎたくて、うずうずする。
一人なら去年みたいに真冬の海で泳いでいただろう。
けど今日はパートナーと一緒だ。
彼の方を見ると「今日はやめとくんだぞ」と首を振っている。
目線を波打ち際に戻す。
あと一歩だけ。
ふくらはぎまで波が跳ねる。
すると、からだの中のエネルギーが、横にふわーっと広がっていった。
「ふぉーう!」
四十二歳。
いいはじまりになりそうな気がした。
