敵と言えたらどんなに楽だろう
朝、洗濯物を干そうとベランダに出た。
Tシャツをハンガーにかけ、バルーンのズボンは広げてピンチでとめる。
タオルをバタバタと振って、靴下の丸まりをほどく。
日差しは強く、風はひんやりと冷たい。
ちゅいちゅいと鳥は鳴き、どこかの家のご飯の匂いがする。
しあわせと呼ぶものが全てここにあるみたいで、洗濯物を干し終わった後も、しばらくその場にいた。
Zoomを開いてレッスンに入る。
股関節まわりをひらき、足腰をしっかり使う動きを重ねていく。
最後は床に背中を預けて、からだを捻った。
「骨盤がゆるむと背骨がゆるんで、さらに捻りやすくなります」
「このくらい、と決めずに動いてみると、からだはもっと自由なことに気づくかもしれません」
みんなの背中がもう一段ぐーっと伸びるのを見て、私も捻りを深めた。
レッスンを終え、机の前に座って本を開く。
十七世紀の哲学者が考えていたもう一つの現代の方向性。
私が慣れ親しんだ考え方とは少し違って、今までの前提がどんどんと壊されていく。
手帳の空いてるページを開いて、新しい道を見失わないように文字を書き、矢印をひいた。
読み進めるたびに背中がざわざわとして何かが湧き立つ。
それが全身を巡って私の深いところにじわりと染み込む。
気がついたらお昼を大きく過ぎていて、あわててキッチンに降りた。
洗った米とツナ、刻んだ玉ねぎを炊飯器に入れてスイッチを押す。
ズッキーニは縦に半分に切り、フライパンでじっくり焼いてハーブソルトをふる。
炊き上がったご飯に刻んだ大葉をたっぷりのせて、味噌汁と一緒に食卓に並べた。
大葉のさわやかな香りでご飯が進む。ズッキーニはジューシーで、ぎゅっと旨い。
梅雨の重たさがからだの中に溜まっていたのか、食べるほどにからだが欲しているのが分かる。
ズッキーニの上にも大葉をのせて、頬張った。
夕方のレッスンを終えてメールを開くと、憲法改正についての意見書を託していた議員さんから連絡が来ていた。
他の議員さんに声をかけて回る中で「この案なら各党も賛成できるだろう」と意見をもらい、それをもとに修正案を送ってきてくれた。
修正案を読むと、元の文にあった危機感や具体的な論点は、かなり削られていた。
でも議会を通すとなると、立場も意見も違う人たちがいる。
その中で、どうにか言葉が重なるところを探ってくれたのが伝わってくる。
「ありがとうございます。慎重な審議と国民への十分な情報提供を求めるという大切な核は残っていると感じています。この文案で引き続きよろしくお願いします」
そう送ってパソコンを閉じた。
夜、本の続きを読む。
十七世紀は、今私たちが知っている形の国家が作られていった時代らしい。
「哲学の本を読み込むことは、常にいまを生き、いまものを考えようとしている私たち自身を問い直す契機であるのです」
問題が複雑になるほどに、簡単で分かりやすい案にのってしまいやすくなる。
これが敵です、
これが全ての悪です。
そう言えたらどんなに楽だろう。
それを踏み止まって、いまをよく見て、考える力を与えてくれるのは、こういう過去の哲学者たちの言葉なんだと思う。
書きかけのページを開いて、言葉を書き写した。
