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生活を言葉にする

6月2日(火)

「誕生日おめでとう!」
娘にLINEを送るとすぐに「ありがとうー!」と返ってきた。

昨夜、お風呂に入っている時から「あ、ちょうど今ごろ病院に着いた頃だな」と22年前を思い出していた。

私にとって今日は特別な日だけど、明日も明後日も、誰かにとってそんな一日なんだろう。
そう思うと私は、毎日誰かの特別な一日の中を生きている。

台風が近づいているけど、外はまだ小雨がぱらついているくらいだった。
いつもより早めに出て、車で社協へと向かう。

駐車場に入ると、「講師駐車場 藤田様」とあった。
二年前、フレイル予防ヨガをすることが決まった時、「晴れていたら自転車で、雨が降ったら車で行こうと思います」と、この上ない分かりづらさで伝えてあった。

しかも雨の日は始めのころに一度あったきりで、そこからずっと車で行く機会はなかったのに、それでも覚えていてくれた職員さんの気配りがうれしかった。

会場に入り、レッスンを始める。

「足裏に意識を向けると、重さは自然と下に降りてからだは安定しやすくなります」

立ち上がって違いを確認した生徒さんたちは小さく驚き、うんうんと頷いている。

レッスンの後、数人の生徒さんと職員さんたちでテーブルを囲む。

音楽に合わせてからだを動かしているうちに、呼吸も自然と深くなる。
そんな呼吸法体操のDVDを作って、地域の人たちにも家や集まりの場で使ってもらえたらいいねと先月からこのメンバーで動き出した。

「普段、頑張っている人に届けたいよね」
「レッスンのあとの、穏やかな気持ち。あれがやっぱりいいなぁって」

話は自然と進んでいく。

「ネーミングも大事ですよね。そこから決めますか?呼吸イキイキ体操、ブレスレッスン…」

「肺…はいはい体操とか?」

「それ赤ちゃん!」

みんなで笑いながらいくつも案を出したけど、なかなかぴったりくる名前は見つからず、次回に持ち越しになった。

片付けをしていると91歳の生徒さんが「エンジョイ!イキイキ!みたいのもいいわね!」と言って、みんながまたわぁっと盛り上がった。

家に帰りお昼を食べて、ミーティングを一つしたあと、本を開く。

図書館で借りてきたその本は、古文書のように古くなり、藁半紙のように柔らかい紙は茶色に変色し、ところどころページの真ん中あたりから細く裂けている。
奥付を見ると「昭和32年 第1版 5000部発行 定価150円」と印刷してあった。

戦後の東京で、ガード下や安宿を渡りながら屑を拾い、その暮らしの中から言葉を書き綴った本で、逃げ場のない重さやどうしようもなさが迫ってくるのに、言葉は力強く、美しくて、気づけば一気に読んでいた。

そのまま時代背景や著者のことを調べているうちに、「生活綴方運動」という言葉に行き当たった。

子どもたちが自分の生活をよく見て、自分の言葉で書くこと。
戦争へ向かう時代の中で、生活を書くことは、上から与えられる言葉にのみ込まれず、自分の目で世界を見る力になる。そう信じて、子どもたちの言葉を守ろうとした教育者たちがいたそうだ。

それを知ったとたん、そうだそうだと、胸の奥がどくどくと打つ。

毎日こうやって生活を書き残すことは、どこか平和につながっているのではないか。
前からそんなふうに感じていたけど、なぜそう思うのかは、うまく説明できないままだった。

生活を書くことは、自分の目を手放さずにいることなのかもしれない。

もう一度、本を手に取ってあとがきを読む。

「皆さん、私はバタヤです。日中の雑沓の中に、寝静まった夜明けの街々に、暁闇の裏路地に…ゴミ箱を漁って歩く、私はバタヤです」

ざらりとした紙に指が触れると、乾いた木の匂いがした。

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