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shigekumasaku
鬱か躁か寛解か?noteの投稿数で判定する方法
これまで鬱と躁を何度も繰り返してきた。
今では、自分がどのフェーズにいるのかが分かるようになった。
だから、“躁の手前で踏みとどまる”実験にもトライできた。
ところが「今ドコ?」と迷子になっているのが、ここ数ヶ月の私である。
それはnoteの投稿数に如実に表れている。
10月34本 → 11月25本 → 12月21本→ 1月20本 → 2月11本 → 3月10本→ 4月17本→ 5月16本 → 6月14本 → 7月は本投稿が10本目
一日一本以上投稿した昨年10月は躁。
11月から3ヶ月は寛解期で、緩やかに本数が減っているのは鬱が近い合図。
2月に鬱堕ちし、3月も同様。
4月に鬱ヌケの兆し。
そこから今日まで足踏み状態。
これまで、鬱から寛解は一気だった。
日常を取り戻せた喜び。
嬉しすぎて寛解から躁まで一気に駆け上る。
これまではそうだった。
今回は、寛解から躁の手前でとどまった。
“昨年10月は躁”と書いたが、躁の無敵感は感じなかった。
手前にとどまりすぎて、躁の蜜を吸うこともなく、緩やかに堕ちていった感じだ。
そして、その反動が今なのかもしれない。
躁がなかったから寛解が長く続いている。
誰かに手を差し伸べるほどの元気はない。
誰かに手を差し伸べられるほど弱ってない。
これが私の寛解。
そんな私の日々はつまらない。
躁というエンジンを積んで、空を飛びたい。
落下すると死ぬかもしれないのに。
これが私の双極性障害。
私だけの悩み。
私だけの人生。
