Photo by
shinobuwada
AIに表記揺れを任せると、心が揺れる理由
noteの醍醐味の一つは、素敵な経験談や完璧な考察に偶然出逢えることだと思う。
映画やドラマの完璧な考察。
これまでは「凄いなぁ」と感心するだけだった。
しかし、今は「これAIに手伝ってもらったんじゃないの?」
と、猜疑心が生まれてしまう。
これは書き手にも読み手にも不幸なことだ。
以前、以下の記事を書いた。
「チ。 —地球の運動について—」
漫画本を全巻持っている私は「これはありがたい」と記事を読ませていただいた。
そこには、とても素晴らしい考察と「これ生成AIで作りましたよ」の文字が。
ここまできたか。生成AI。
斜に構えて読んでしまう癖のある私が、一切の違和感なく読み終えた。
note住人の文章力の高さを知っていたので、人が書いたものだと信じきってしまった。
「AIは道具だからいいじゃん」って人もいるだろう。
「手伝ってもらうのはアリだけど、ほとんど作らせるのはどうか」みたいな意見もある。
しかし、私は古い人間なのでAIを頼らず自力で書く人を凄いと思いたい。
スタントマンを使わないからジャッキー・チェンは凄いのだ。
CGのアクションシーンは「どうせ怪我する恐れはないんでしょ」とハラハラしない。
誤字脱字がないかドキドキしながら書くのもnoteの醍醐味。
そんなことを言いながらも、最近はnoteに搭載の“AIに誤字、表記揺れ”をやらせてしまっている。
便利は人間をダメにする
AIに滅ぼされるのは時間の問題だ。
seidakun
