「りゅーりゅー」と呼ばれた日|こどもサミットで過ごした、こどもたちとの時間
あの場で交わされた言葉のひとつひとつは、ここには書けない。
けれど、あの時間に流れていた空気や温度は、たしかに胸に残っている。
4月、昨年度につづきNPO法人にじいろかぞくが主催する「こどもサミット」に、今年もメンター(ファシリテーター)として関わらせていただいた。
にいじろかぞくとは

にじいろかぞくは、2010年に「こどもを育てている、ほかのLGBTと話したい!」という思いから始まった団体で、現在はNPO法人として活動を続けている。
オンライン/オフラインでの交流会や、各地のプライドイベントで「おやこ休憩所」を出展するなど、LGBTQとその家族、そして周囲の人たちをゆるやかにつなぐ場をつくり続けてきた。
私自身も一時期、パートナーと里親になることを考えていたことがあり、同団体にお世話になったことがあった。
にじいろかぞくは、2010年、「こどもを育てている、ほかのLGBTと話したい!」という思いからはじまりました。
社会は変化しつつありますが、「LGBTが子どもをもつこと」は、今もかんたんではありません。LGBTコミュニティの中でも子育てしていることを言いづらく感じたり、社会にむけてオープンにするのをためらう方も多いです。
だからこそ、わたしたちは「こどもを育てている・育てたいLGBTと、その周辺をゆるやかにつなぐ役割」を担いたいと考えています。
その流れのなかで生まれたのが、この「こどもサミット」だ。
LGBTQファミリーに育てられたこどもたちが、保護者のいない場で、同じような背景を持つ仲間と出会い、過ごし、言葉を交わし合う時間。
昨年は、埼玉県某所の小川近くにある一軒家で、今年は都内の施設で、2日間にわたって開催された。(昨年の様子は少しこちらの記事に残しています)
今回参加したのは、小学3年生から24歳までのこどもたち。
住んでいる場所も、関東に限らず、北海道や関西などさまざ。
1日目|こどもたちとの再会
1日目は、施設近くの公園でこどもたちと一緒に遊んだ。鬼ごっこをしたり、肩車をせがまれたり、だるまさんがころんだをしたり。
昨年は「見知らぬお兄さん」だった自分にとって、こどもたちとの時間はどこか距離を測るようなものでもあった。
でも今年は違った。
昨年から続けて参加しているこどもも多く、私を見つけるなり「りゅーやさ~ん」と人懐っこく近寄ってくる子もいた。
そして慣れてくると「りゅーりゅー!」と呼んでくる子もいた。
こどもたちの方から、自然と距離を詰めてきてくれる。その壁のなさに、緊張していた私の方がずいぶんと救われた。

しおりの自己紹介の欄。
その後、施設で一緒に食事をしたり、夜は日付が変わるまでカードゲームやお絵描きをして過ごした。
こどもたちは昼も夜も元気で、むしろ夜が更けてからの方がいっそう賑やかだった。修学旅行の夜のような高揚感のなか、私は一足先に床についた。
2日目|サミットタイム
2日目の午後、今回のメインである「サミットタイム」が始まる。
メンターは、昨年につづき私ともう一人。
サミットタイムに参加したこどもたちは10人弱くらい。
会議室のような部屋のテーブルとイスを端に寄せて、家からもってきたモフモフのラグマットに座る。
まず最初に、参加するこどもたちが安心安全にサミットタイムに臨めるように「みんなのルール」を共有する。この場にいるみんなが、安心して過ごすための約束ごと。
・それぞれの気持ちを大事にすること。
・話したくないことはパスしていいこと。
・聞いているだけでもいいし、疲れたら途中で休憩してもいいこと。等
これらは大人が一方的に決めるものではなく、「こんなルールもあるといいと思う、っていうことはない?」と私たちの方で子どもたちに問いかけながら、一緒に確認し、必要であれば付け足していく。
この場にいるみんなが、安心して過ごすための約束ごと。
そしてもう1つ、大切にしたことがある。
それは「ここでは、呼ばれたい名前で呼び合う」ということ。
名札に書くのは、戸籍上の名前でなくてもいい。
この場で、自分がそう呼ばれたいと思う名前でいい。あだ名でもなんでもよい。
こどもが自分で名前を決める。
そして、その名前で呼ばれること。
それだけのことのようでいて、この場を「安心できる場所」「ここだけの時間」として共有していく、大切な要素でもある。

その後、おしゃべりタイムに入る。
いくつか用意していたテーマの中から、こどもたち自身が話したいものを選び、2つのグループに分かれて言葉を交わしていく。
あの場で話された具体的な内容については、ここには書かない。
それが、こどもたちとの約束だからだ。
ただ、全体を通して感じたことはある。
それは、自分の家族のことを「どこまで、誰に、どう伝えるか」という問いを、それぞれが抱えているということだった。
説明することの手間や煩わしさ。
話したときに友達や先生に「わかってもらえないかもしれない」という不安。
あえて正直に/明確には言わないという選択。
それらは、私たちセクシュアルマイノリティが、自分自身のセクシュアリティをカミングアウトするときの感覚と、どこか似ている部分もあるのかもしれない。
けれど同時に、こどもたちが立っている場所は、やはり自分とは違う。
私はLGBTQファミリーで育った経験はないからだ。
だからこそ、こどもたちの言葉や空気に触れ、受け止め、想像しつづけることしかできないとも感じている。
それでも。
こどもたちは、それぞれが異なる環境の中で生きながら、言葉を選び、他者と関係をつくり、日々を過ごしている。
周りを見て、考え、伝え方を模索しながら、自分自身を守る術も身につけようとしている。
その姿に、確かな強さのようなものを感じた。
年に1回のこの集まりの意味を、こどもたちにとっては、もしかすると、すぐにはわからない子もいるかもしれない。
ただ集まって遊ぶ時間が楽しい子もいるかもしれない。
それだけでも、もちろんいい。
5年後、10年後にふと、思い出す瞬間があるかもしれない。
あのとき、似たような背景を持つ仲間と一緒過ごしたこと。
保護者がいない場で、こどもたちだけで遊んだり、ナイショの話をしたこと。
記憶の片隅に、ほんの少しでも残ってくれたら。
大人になるまで生き抜いてもらえたら。
それだけで、この場には意味があると思える。
イベント中、あるこどもにこんなことを言われた。
「りゅーりゅー、最初はこわいと思ったけど、話したらやさしかった」
思わず「そっかー」と笑ってしまった。
たしかに、髭面の大人の男性、しかも保護者でも学校の先生でもない大人と、近い距離で関わる機会は、そう多くないのかもしれない。
それでも、もし自分が「安心して話せる大人の一人」として、ほんの少しでもそこにいられたのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。
こどもサミットは、今回で2回目。
まだ始まったばかりの取り組みで、正直課題も多い。
どうすれば、子どもも大人も、より安心して過ごせる場になるのか。
これからも試行錯誤は続いていく。
来年もまた、この時間が続いていくのだとしたら。
自分もその一端を担えるよう、関わり続けていきたいと思う。
最後に。
この場を企画・準備してくださったにじいろかぞくの運営スタッフのみなさんに。
今年も一緒にサミットタイムをつくってくれたメンターのPさんに。
ご参加された保護者のみなさんに。
そして何より、あの時間を一緒に過ごしてくれたこどもたちに。
心から、ありがとうございます。
この記事を、RYOJI氏が自身の視点を織り交ぜながら紹介していただいています。(そして、なんでトップ画が私なの…)ありがとうございます。
私が書いた“現場の時間”に対して、RYOJI氏は“歴史や社会の流れ”からも光を当ててくださっています。
LGBTQファミリーのこどもたちやその家族が置かれている状況、そして個人の問題にとどまらず、本来は社会や国が向き合うべき課題についても、立体的に捉えられる内容です。
