下村観山展@東京国立近代美術館
夏日となった春の日に、美術館三昧の1日を過ごしてきた。
東京国立近代美術館
下村観山展
MOMATコレクション
美術館の春まつり
を見てきた。



ものすごく盛りだくさん!
素晴らしい作品に出会えたが時間が足りない。
この3つを1日かけてゆっくり見てもいいなと思うくらいだった。
下村観山展
作品リスト:🔗
作品数も多く、見応えのある展覧会でやはり行ってよかった。
重要文化財の《弱法師》
奈良の鹿を描いた《春日野》
渋沢栄一が依頼した《楓》
小倉百人一首から画題を得た《小倉山》
などなど、あげればキリがないが、
言語化しにくいのだが全体として印象に残る展覧会。
絵によって画風が違うので、響くものもあれば
”よく分からない”ものもあったりして・・・。
同じ人が描いたの?
という感じを受けた。
いつもは日本画の展覧会で単独で見ていたため、私の中で点在していた下村観山をたくさん一度に見たことで、画家の輪郭が捉えられた気がする。
これからは、展覧会で単独で下村観山の作品を見ても、これは下村観山のうちのこれだな・・・というのが分かると思う。
そして余白。
事前に「余白」について考察していたが、実際絵を見てみると、私には「あえての余白」というより「必要な余白」=自然に感じられた。
過密な絵を薄めるための余白(構図を支える余白)であり、私にはちょうどよく感じられた。

渋沢栄一からの依頼で作成


小倉百人一首から画題を得た作品



《竹の子》
重要文化財の《弱法師》(前期のみ)撮影不可だったが、梅の美しさ、左に描かれた大きな夕日など未だに浮かんでくる。
後期に見たい作品もあり、本当はもう一度行きたいが休みが足りない。
下村観山展の後は、MOMATコレクションへ。
MOMATコレクション
作品リスト:🔗
下村観山展も良かったが、このコレクションも「美術館の春まつり」も見応え十分。
(ここでいきなり充電が落ちて撮れなくなったので復活するまで写真がない。以下は友達から拝借・・・)

《天上よりの啓示》


この作品がとても面白かった
90センチ四方の区切りの中に、6種類の円弧、直線、非直線が2つずつ組み合わされている。
探して一致すると面白くて結構長く鑑賞してしまった。

さて、このたび当館の壁面を飾るウォール・ドローイングは、その題名が示す通り約90×90cmの矩形をひとつの単位として、その矩形の中に16種類の円弧、直線、非直線が2つずつ組み合わされ、全部で120通りのパターンによって構成されます。図形が反復とずれによって生み出すリズムは、まるでミニマル・ミュージックを視覚化したような心地よい刺激を私たちの眼に届けるでしょう。
https://www.momat.go.jp/magazine/033
この作品は、MOMATコレクションの階を移動する階段からも見ることができる。
階段からは最初この作品の見方が分からなかった。

MOMATコレクションの後は、
美術館の春まつりへ。
美術館の春まつり
どうぞ、春を好きなだ
4月12日(日)までの春まつり。
川合玉堂《行く春》
跡見玉枝《桜花図巻》
菊池芳文《小雨ふる吉野》
小林古径《紅梅》
川瀬巴水「東京十二題」より《春のあたご山》
など本当に見られて良かった・・・・・。
(上記リンクに画像あり)
リアル以外に美術館の中で”春”を感じられて、満足。



《行く春》
晩春の桜花が散りゆく渓谷。川に繋留されている3隻の水車舟。晩春の桜花が散りゆく渓谷。川に繋留されている3隻の水車舟。玉堂は前年の秋と同年の早春にスケッチ旅行で秩父の長瀞(ながとろ)を訪れ、川下りを楽しんでいます。その時の風景を出発点として、小雪のように舞う桜をあしらったのがこの《行く春》です。

《行く春》

《行く春》
この絵は実際はもう少し
暗く落ち着いた雰囲気に見えた
以下も友達からもらった画像。



美しい様々な桜が描かれ、見ていて飽きない。
思考の転換点の気づき(認知のレイヤー)
以前は、全く見なかった現代アート。
前はカテゴリーに苦手意識があったが、作品毎に分けて見られるようになってきた。
①:成立している(保持できる)
→理解できているかは分からないがそのまま置いておける。
②:未成立(揺れている)+意味不明(非解釈)
→時間で解像度が上がる可能性あるもの(未成立)と、永久に分からないが気がするもの(非解釈)
③:関与しない(切り離す)
→あまり何にも感じないで通過していくもの。
今はだいたいこの3つ。
とはいえ、今の①②③は日本画でも古典でも音楽でも全部ある。
現代アートも入ってみたら、①もあったね、ということなんだろう。
ジャンルで苦手と分類していたものが、実は私の認知のレイヤー(どこまで意味として処理されるかの段階)混在だった。
そして好きなものは、①②③を超えて“好きだな“と思う。
これは、
意味処理とは独立した評価軸で、
たとえ
• 理解は消えても
• 説明できなくても
• 分類できなくても
「なんか好き」は発生する。
そんなことを考えた。
おわりに
春の東京国立近代美術館はとても良かった。
前回行った時も春だった気がする。
来年もこの時期に来たくなったが、その前に杉本博司さんの
『絶滅写真』を見に行けたら行きたい。
この日はこの後静嘉堂文庫へ。
備忘録は別に記載したいと思う。
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