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静けさを味わう/杉本博司 絶滅写真@東京国立近代美術館


杉本博司氏の『絶滅写真』を見に行った。

写真展に行くのは初めてだったが、とても良かった。

展覧会は3章構成

作品リスト

1章 時間・光・記憶

1970年代から80年代に着手され、杉本の評価を確立することになった〈ジオラマ〉​〈劇場〉​〈海景〉の3つのシリーズなどにより、作品世界の始まりを紹介します。

https://art.nikkei.com/sugimoto/exhibition/

2章 観念の形

人間の知性や想像力がつくりだしたさまざまな「かたち」を主題とした〈観念の形〉​〈スタイアライズド・スカルプチャー〉など90年代末から展開されたシリーズにより、作品世界が拡張・深化していくプロセスを紹介します。

https://art.nikkei.com/sugimoto/exhibition/

3章    絶滅写真

終焉を迎えつつある銀塩写真というメディアの始原にさかのぼる〈前写真、時間記録装置〉​〈フォトジェニック・ドローイング〉から、近作〈Opticks〉まで、6つのシリーズにより、杉本が予見する“絶滅”をめぐるヴィジョンの行方を探ります。

https://art.nikkei.com/sugimoto/exhibition/

以下写真多いが備忘録。
写真のキャプションにある言葉は杉本博司氏のもの。

第1章

ジオラマ

ガラパゴス島。

その当時、人間も含めて生物は神が創造したと信じられていた。ダーウィンはガラパゴス島の生物たちは数百キロ離れた南米大陸の生物とは類似しているが、異なってもいることに気づいたのだ。人間も哺乳類の系統上で進化して今の人間になったのだが、今でも動物の一種であることに変わりはない。

けだもののみちきわめきていまのひと
ひととは言えどいまもけだもの

解説より抜粋
ジオラマなのでちょっと作り物っぽい
ハイエナ対原人
およそ50万年前、現在の北京近郊に住んでいた原人の一人がハイエナに襲われる直前の絶体絶命の姿。この原人は水を飲みに来たところを嗅ぎつかれてしまったのだ。背景にはハイエナの巣窟が描かれ、お腹を空かせたハイエナの子供達がお父さんが人を狩る姿を見つめている。
中国東部の古代ハイエナ巣窟跡と考えられる場所からは、最大40体もの原人の化石が発見されている。ハイエナは獲物を巣窟に持ち帰る習性がある。人は喰われていたのだ。ちょっとした人を喰った話だ。
(解説より抜粋)
ポコット族
初公開の新作

家畜さんえらい迷惑かけてます
乳搾取あげくのはてに肉くわれ 
(解説より抜粋)
クロマニヨン人

クロマニヨン人
およそ1万5000年前、現代の我々現生人類の直接の祖先が暮らしたウクライナの遺跡を再現したもの。毛皮を着こなし、17トンものマンモスの骨で建築を造っている。この遺跡からは骨を削って作った糸を通す穴の開いた針も発掘されている。この頃までに人の脳内には意識が現れ、言語能力を獲得し、さらに虚構の概念を共有することで大規模に共同できる文明へと発展していく。虚構は神話や国家、貨幣などだ。
人は動物界の頂点に立ち、6000年ほど前に文明化を果たした。17世紀になると人の心の中に科学的知見が認知されるようになり、神の影は薄くなり、貨幣が貨幣を増やし続ける資本主義が台頭する。18世紀の産業革命は人の個体数を劇的に増やし、世界人口は7億人に達した。その後19世紀には10億、20世紀半ばには25億と増え続け、21世紀の今日、人口は80億人に達した。この数字は地球環境の平衡を壊しつつあり、人類は今、絶滅危惧種となった。
宇宙船地球号は満杯や
これ以上乗ったら船は沈没や

美術館解説より

劇場

ここからは劇場などの空間写真。

U.A.プレイハウス、ニューヨーク
1978 年
ガルニエ宮、パリ
2019年
シネラマ・ドーム、ハリウッド
1993年

空間のみ、人がいない写真が落ち着く。

この後ろの光はどうやって撮影したのだろう・・・。

劇場から外に出てドライブインシアターを撮る
よるのそらましろくひかる銀幕に
ほたるのようなエアプレーン

ユニオンシティ・ドライブイン、ユニオンシティ 1993年

そして・・・いよいよ目当ての海景へ・・・。

海景

これが見たくてこの展覧会にやってきた。
2年前に初めて湯布院で見て、今年の2月に釧路で見て・・・からの海景。

海景は、人類の意識の始まりにさかのぼる試みらしい。

照明が極力落とされた空間
いろんな海景が並んでいる
落ち着く
この海景は背景は暗い方がいい気がした

海と空が二分され、一番シンプルに見える作品。
実際はもう少し海が黒く見える。
どこかというと・・・・カリブ海(ジャマイカ)1980年。
言われても分からないが。

カリブ海 ジャマイカ
1980年

英仏の戦争があった海もこの写真では静か。

イギリス海峡 ウェストン・クリフ
1994年

英仏海峡にて
続く崖むこう岸にはノルマンディー

いくたのいくさおもい巡りて

次は湖。水面の光が不思議。

ボーデン湖、ウットヴィル
1993年

淡水の海、ボーデン湖畔にて
あさぼらけそらのいただきあかるみて
みなもに映る天空のいろ

唯一ほぼ白がメインの海景。
海景と言いつつ、こちらも湖。
部屋の中心に置かれていた作品。

五大湖の北端、スペリオール湖にて
よあけまえ破みてしろきみなもかな
白に白そめマレーヴィチや

スペリオール湖、カスケード川
1995年
次の作品と一緒に
静けさの極み
落ち着く
エーゲ海、ピリオン1990年

次は、リグリア海。
地中海の一部を構成する海域で、イタリア半島とコルシカ島に囲まれている。

リグリア海、サビオレ
1993年
海と空の境界が曖昧や2枚
右は境目に光

先日見た中西夏之氏が、
あまりに巨大で弧が直線に見える円の際(きわ)に、ペラペラなものとして絵はある」という独自の絵画論・世界観』を持っていたと解説を読んだが、この海景の水平線はまさにあまり巨大な弧が直線に見える現象かも、と頭に浮かんだ。
私の中で中西夏之が杉本博司と繋がった瞬間。

海景はもう1枚。

相模湾、江之浦
2025年

江之浦測候所があるところ。
かねてから行きたい場所。

ちなみに今年の2月に釧路で見た海景は、スペリオル湖と真逆の真っ黒!

映り込みしてしまうが真っ黒

《SEASCAPES : Strait of Gibraltar, Gibraltar》
1995(平成7)年

海景シリーズを見た時点で十分満足した。

最後またこの部屋に戻り、人がいないタイミングで写真を撮ったり、
作品の前に佇んでこの海と空だけの作品を味わった。

個人的にはこの部屋全体もアート作品

見ていると静かで、いい意味で何も湧いてこない心地よさ。
いいなぁ、しか湧かなかった。
いつも思考が湧いている頭の中が、
何も湧く必要がなかったのかもしれない。

海景シリーズ、やっぱり好きだと思う。

海と空だけの単純な構図は情報も少なく、だからこそ、そのシンプルさ故にたどり着く静けさなのかもしれない。
ただそこにある静けさをただただ味わう。
そんな時間を過ごせた。

光が物質にさわった証拠——銀塩写真とは何か
スマートフォンで写真を撮る世代にとって、「銀塩写真」と言われても、もう像を結ばないかもしれない。けれど、誰もが知っている経験から、その本質に近づくことはできる。

日焼けを思い出してほしい。海辺で長く陽射しを浴びると、肌に光が当たった部分だけ色が変わる。光が肌の細胞に直接さわって、その痕跡を残していく——銀塩写真の原理は、これに似ている。

銀塩写真のフィルムや印画紙には、光に反応する銀の粒子(ハロゲン化銀)が塗られている。シャッターを切ると、レンズを通った光が銀の粒に当たり、化学変化が起こる。化学処理(現像)を経ると、光が触れたところだけ像が定着し、紙の上に固定される。

ここで大切なのは、像が「物質」としてそこにある、ということだ。目の前の風景から届いた光が、銀の粒に直接さわり、その痕跡が、紙の上に残っている。レンズの前に何かが「在った」ことの、物理的な証拠。Tシャツの日焼けが、その日たしかにTシャツを着ていた証拠であるのと、同じことだ。

一方、あなたが今スマートフォンで撮っている写真は、実は光そのものではない。レンズを通った光は、センサーの上でいったん「0と1の数字」に置き換えられる。撮られた像は、無数の数値の集まりとして保存され、画面の上で再び光として「写真っぽく」復元されている。そこにあるのは物質ではなく、計算されたデータだ。

デジタル写真は、銀塩写真の見た目をデジタルで模倣(シミュレート)することで成立してきた。だから両者の違いは、一見わかりづらいが、原理はまるで違う。銀塩は「光がさわった物質」であり、スマホ写真は「光を翻訳した数値」である。

この違いを覚えておくと、杉本博司の仕事の核心が見えてくる。

杉本がしているのは、光を物質化することだ。撮影によって光をフィルム上の銀の粒へ、さらにそのフィルムを通した光を印画紙へと受け渡していく。そこで問われるのは、計算されたデータの操作ではない。光をどのような物質としてイメージに仕上げるか——銀塩写真ならではの、物質に対する想像力である。

この想像力と、撮影から印画までを通して物質を扱う確かな技術が、彼の作品を工芸品とも言える美しいプリントとして比類無きものにしている。

https://art.nikkei.com/magazine/6134/

この解説を踏まえると、私が今日見てきた「海景」は、デジタルに翻訳された光ではなく、1990年のカリブ海の光だったり、1994年のイギリス海峡の光だったりを杉本氏が物質化したもの。
確かにその時存在した光に見る人は惹かれるのかもしれない。

第2章 観念の形

ここからは海景を離れる。

人間の知性や想像力が生み出したさまざまなモノの形をめぐる3つのシリーズで構成される。(建築)と(スタイアライスド・スカルプチャー)では、建築やファッションを通してモダニズムの時代が考察される。

美術館解説より

この章の建物の写真は全部ぼやけている。
それがなぜなのか分からなかったけれど、またそれが不思議な感じでもある。

シーグラムビル
1997年
これは元々の写真がぼやけているのだ
クライスラービル 1997年
この空間もアートっぽい
ワールド・トレード・センター
1997年
9.11の2年前・・・
アインシュタイン・タワー
2000年
サヴォア邸 1998年

白い箱かざりけなさをこころがけ
凝るに凝ったりコルビュジェのいえ
クリスチャン・ディオール
川久保玲 1995年秋ー冬
イブ・サンローラン
1965年秋ー冬

モンドリアンを想う
モダニズムの十字架まとうドレスかな
罪をせおいて磔刑に処さん


観念の形 0003
ディニ曲面:擬球をねじって得られる負の定曲率曲面
2004年
数式と思われるものを載せておく・・・
三宅一生

イッセイのプリーツ、
ビョーンビョーン自由自在のそのすがた
ひと
のびてはちちみすくわれる女
クリスチャン・ディオール

クリスチャン・ディオール 1947年
おおいくさ終えてすさんだパリの空
咲かせてみせようモードの花や

第3章 絶滅写真

杉本の活動の領域は、21世紀に入って急速に拡大する。
2001年にはオーストリアの美術館における個展の会場で能が上演された。
これをきっかけに能や文楽など、舞台芸術の領域での活動が始まる。
2002年には香川県直島の護王神社の再建をてかけ、以後、建築デザインの分野での仕事が重ねられていく。
さらに料理や書など多彩な分野での創作にとりくむ一方で、2003年以降、写真作品と自身の蒐集した古美術品などを組み合わせるユニークな展示で新境地を拓いた。2017年には作家活動の集大成ともいうべき場、江之浦測候所が、相模湾を望む高台に開設される。
こうした展開は、写真の世界におけるデジタル化の急速な進展と並行していた。そしてそれは、旧来の写真技法である銀塩写真の終焉を意味していた。
「絶滅写真」と題するこの章は六つのシリーズで構成される。化石や蝋人形、さらには静電気の放電による発光まで、現れるイメージはさまざまだが、実はこれらのシリーズは、いずれも何らかのかたちで写真というメディアそのものについての視点を提示している。またこの章は、化石になった太古の生物や蠟人形になった歴史上の人物など、すでに滅んでしまったものたちが繰り返し現れる空間でもある。そしてそれらの作品に用いられている銀塩写真というメディアも今日、終焉を迎えようとしている。
杉本の活動領域が拡大する起点であったようにも見える能という古典演劇は、死者たちに語らしめる鎮魂の演劇だ。だとすれば、この展覧会は滅びゆく銀塩写真の鎮魂の場でもあるのだろうか。

美術館解説より
棘のある三葉虫 2008年
ロシアのバルト海近くで発見された
5億年という年月をかけて化石となった・・・
レイコック・アビー
フォトジェニック・ドローイング017
屋根の輪郭線、レイコック・アビー1835−1839年頃
2008年
昭和天皇
ナポレオン
プリンセス・オブ・ウェールズ

この辺り・・・リアルだったが蝋人形を撮影したもの・・・。

放電場

このモノトーンの空間もアートっぽい。
これは、カメラを使わないで、金属板の上に置いた写真フィルムや感光材に直接高電圧の電流を流して、放電(人工的な雷)の光と痕跡を焼き付けて製作されているらしい。

この空間もモノトーンでアート
ビカビカ!
気の根っこみたい
人工的に起こされた雷
なんだかアートになっている

オプティクス

この作品を見た時・・・これは写真なの?と思った。

色ははっきりしてモノトーンではないが
ミニマムな構成だからか
静けさは感じられる

写真家である以上、光に関しては一家言を持たなくてはいけないと思い、1704年出版のアイザック・ニュートンの『光学』英語版の初版を買ってみた。そこには図版で、プリズムによる光の分光実験が詳しく記されていた。自色に見える太陽光は主に7色に分光されることを人々は初めて知ることになる。百聞は一見にしかず、私はこの実験を再現するために光学ガラスを磨きプリズムを立て色面の中にカメラを持って入っていった。
私は色と色の間には無限の色が色々あることを観測することができた。
いろのみちふりさけみればおくふかし
いろといろとのいろのはざまや

美術館解説より
赤と黒
スタンダールを思い出した
グラデーションがきれい
色は鮮やかだけれど
どこか静けさを感じる

一番最後に展示されていた作品。

CAMERA MAN 2026年


カメラは人間の眼の構造を写した装置である。レンズは水晶体、絞りは暗、フィルムが網膜である。しかし困ったことにシャッターは人間の目には据え付けられていない。そこで人の目にシャッターを組み込み人間写真機を構想した。
シャッター速度は1秒とし、シャッターレリーズを通して自身の手でシャッターを切る。その前に3分間を闇の中で過ごす。その後一瞬、1秒の外景が網膜上に露光される。
外景は網膜上に浮かび記憶というフィルムに保存されるが、画像の劣化は個人差にもよるが一般的にかなり早い。
メタファーとして1秒を人の一生に例えてみた。人の平均寿命を85年とすると、この待ち時間の3分は、1万5000年ほどの時の流れに等しくなる。人類が意識を持ち文明化へと進んだ時間とほぼ一致する。文明の時間の長さを、人の一生に例えて実感してもらう装置として考案した。
瞬く間ひとのひとよはみじかけれ
あっと思って気が付けばおわり

美術館解説より

この写真展のいろいろは、こういう解説(美術展ナビart NIKKEI)を読んでいただけるといいのかなと思う。

なぜ杉本博司氏が「海景」や「放電場」という作品を作るのか?
「絶滅写真」とは何か?
など理解の拠り所になるかもしれない。

展覧会を見終わって

「絶滅写真」を見終わった後、常設展も満喫し外に出た。

常設展の写真はこちら(🔗  🔗)に少し掲載した。

日差しは高く梅雨明けした都内は快晴。

「海景」などの少し暗めな空間から、この外のギャップで一気に”現実”が戻ってきた。

ミュージアムショップ
杉本博司氏の絵葉書がなかったので、常設展のセザンヌとパウル・クレーを購入

今日は「静けさ」を味わった時間だった。

次は、これを見に行く予定。
静けさとは対極かもしれないが、楽しめればいいと思う。



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Snow❄️Yukihikari お読みいただき、ありがとうございます。 いいなと思ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。 いただいたサポートは美術館巡りの活動費に使わせていただきます。