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日本語教師の待遇について

 今回は、なかなか出て来ない・・・・公の場で大声では言いにくい・・・・「リアルなお金と待遇」の話をしたいと思います。

昨今、日本語教育界はまさに激変の渦中にあります。「登録日本語教員」という国家資格の誕生、認定日本語教育機関のスタート。国を挙げて「日本語教育の質を保証しよう!」という熱気は、かつてないほど高まっています。

…でも、現場に立つ私たちの本音は、どうでしょうか?! 「制度や資格は立派になったけれど、私たちの給料や待遇は、いつ、どうやって改善されるの?」と。

 これほど社会的ニーズが高まり、国家資格までできたのに、なぜ日本語教師の待遇は一向に上がらないのでしょう😭

1. 国家資格化の盲点:「質の担保」と「経済的価値」のズレ

まず直視しなければならないのは、「国家資格化=給料アップ」ではないという現実です。

★これは↑私が、何度もいろいろな学会、研究会などで文科省の日本語教育担当官から実際に聞いた話です。「質の問題と待遇は別」とはっきり、国は言っています。「各学校が努力するように・・・・・」みたいなことでした。

 今回の制度改革の主たる目的は、あくまで「学校(機関)の質の担保」と「学習者の保護」です。国としては「怪しい学校を淘汰し、質の高い教育を提供できる体制を整えました」という座組みを作ったに過ぎず、そこに「教師の最低賃金を引き上げる」といった強制力のある経済的措置は組み込まれていません。

 むしろ、私たち現職の教師にとっては、経過措置の講習を受けたり、試験の手続きをしたりと、時間的・経済的な「持ち出し(コスト)」が先行しているのが現状です。資格という「参入障壁」だけが高くなり、リターン(待遇)が見合わない。これが、現場のモヤモヤの第一の原因です。

2. 日本語教育機関の「ビジネスモデル」の限界

 では、なぜ雇い主である日本語学校などの機関は給料を上げられないのでしょうか。そこには、現在の留学生ビジネスが抱える構造的な限界があります。

 多くの民間日本語学校の主たる収入源は、学生からの「授業料」です。しかし、この授業料は、アジア圏を中心とする留学生が支払える経済的限界(上限)に縛られています。さらに昨今の物価高や円安の進行で、学校運営の固定費(家賃や光熱費、ビザ申請に関わる事務コスト)は跳ね上がっています。

 つまり、「入ってくるお金(授業料)は増やせないのに、出ていくお金(経費)だけが増えている」状態です。その結果、しわ寄せがどこに行くかといえば、最も削りやすい、そして「先生方の熱意と善意」に甘え続けられる「人件費(コマ給や非常勤の準備手当)」になってしまうのです。

3. 「ボランティア精神」という呪縛と非常勤依存

 日本語教育の歴史は、地域のボランティア活動や「草の根の相互理解」という美しい精神に支えられて発展してきました。これはこの分野の誇るべき美徳です。

 しかし、この「善意」がビジネスの世界に持ち込まれたとき、それは牙を剥きます。 「少しくらい準備時間が unpaid(無給)でも、学生のためだから」「授業案を作るのは教師の自己研鑽だから」――。このボランティア精神の搾取によって、長年、驚くほど低い労働単価が維持されてきてしまいました。

 また、業界全体が「都合のいい時間だけ授業をお願いできる」非常勤講師の先生方に依存しすぎていることも、全体の底上げを阻んでいます。コマ給の中に「授業準備」「採点」「学生指導」の時間がどれだけ含まれているのか、その曖昧さに切り込めないまま、20年前と変わらない単価で時計が止まっている現場が多すぎます。

私たちは「熱意の切り売り」をいつまで続けるか

「本当にたくさんのテーマや分野ができたなぁ、日本語教育の世界!」 私は、先日、日本語教育学会で多様化する学習者の姿、その専門分野に挑んでいく日本語教師の先生方を見て、私は純粋に感動しました。難民、就労、医療通訳……私たちの専門性は、確実に高度化していると思います!

 しかし、どれだけ「仲介」の能力を磨き、Focus on Form の技術を極めたところで、教師自身が生活に窮し、将来に不安を抱えたままでは、持続可能な教育など不可能です。これからの時代、優れた日本語教師は「日本語を教えるプロ」であると同時に、「自分の労働価値を正当に主張できるプロ」でなければならないと感じています。

 ★私は日本語の先生方は本当に熱心で勉強をしている方々が多いと思っています。そしてそれと同時に「なに、この学校・・・この経営者・・・ひどすぎる・・・😡」と思うことも多かったです。教師も学校側も経営者側も変わるべきところは変え、もっともっとこの業界を改善していくべきだと思います。

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