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【小説】疲れたSS(スクリーンショット)SIerは世界を救えるのか?#10(第一部完)

終端処理 ――岩王ガンム討伐

咆哮が止んだ瞬間、静けさは戻らなかった。

 音が消えたわけじゃない。
 むしろ音は増えた。岩が擦れる音、砂が舞う音、どこかで鎖が鳴る音。
 そして何より——“迷宮が動いている音”だ。

 床が再配置される。
 壁が沈み、柱が伸び、通路が潰れ、別の通路が生える。
 さっきまで「最奥のホール」だった場所が、もう別の形になり始めている。

「……は? ちょっと待って。マップ、更新早すぎない?」
 思わず口からツッコミが漏れた。
 漏れたところで何も変わらない。変わらないどころか、迷宮は私のツッコミを聞いてない。聞いてほしい。

 ガンムは動かない。
 動かないのに、周囲が“勝手に”殺しにくる。
 これ、ボスじゃない。ボス+環境ギミック+運用チームの三点セットだ。

 私は一歩、踏み込もうとして——足が沈んだ。

 床が柔らかい。柔らかいっていうか、粘る。
 岩のはずなのに、スライムみたいに足首を絡め取ってくる。

「うわ、足場がスライム化してる! さっき落ちた岩がスライムになったの、このため!?」
 叫んだ瞬間、ガンムの核が淡く点滅した。

 ——ゴン。

 床のどこかが叩かれる。
 次に、私の真横の地面が盛り上がった。

 岩の槍。
 しかも、私の動きを読んだ角度。
 避ける先まで見越している。

「……いや、未来予測やめて!? それは“仕様”じゃなくて“嫌がらせ”!」

 私は反射で“すり抜け”を起動し、床を滑るように逃げる。
 槍が背中をかすり、回復粘液が蒸発して焦げ臭い。
 熱じゃない。摩耗と圧で削られてる。

 顔を上げた瞬間、天井が暗くなった。

 落盤だ。
 拳大どころじゃない、岩塊が“狙って”落ちてくる。
 落ちた岩が床に触れた瞬間、またスライムになる。

「増えるな増えるな増えるな! 増えないで! 増えるならせめて味方になって!」

 私の願いは当然届かない。

 隣で、佐久間君が息を詰めていた。
 彼の“表計算”は、いつものように浮かんでいる——が、違う。
 セルが勝手に揺れている。値が“読み取り”じゃなく、“引っ張られて”変動している。

「佐久間君、いま何してる!?」
「してないです! 勝手に……参照元が、こっちを上書きしてきてる!」
「上書き!? 運用中のDBに直でUPDATEかけてるってこと!?」
「そんな感じです! いや、もっと悪い! “権限が向こうにある”!」

 最悪の言葉が出た。
 権限が向こう。
 つまり私たちの操作は“許可された範囲”だけ。
 ガンムは“ルールそのもの”を作れる。

 さっき言ってた「偏差値の天井が上がってる」——あれも、こいつのせいだ。

 ガンムの核が、もう一度点滅した。

 その瞬間、空間が“固定”された。
 息が重くなる。視界の端が揺れる。
 力が抜ける感じじゃない。重力に押さえつけられる

「……くっ、空間ロック……!」
 私は反射でスナップショットを呼ぼうとして、また思い出した。

 復元できないんだった。
 ここはガンムの領域。私のルールが通らない。

「……ほんとにやってくれるね。最終ダンジョンで“権限不足”は洒落にならないって……!」

 言い終わるより先に、床がさらに隆起した。
 迷宮が“攻撃の形”に変わる。
 通路の角度が変わり、私と佐久間君の間に岩壁が生えかける。

「待って待って待って! 分断はやめて! パーティー分断は全滅フラグって決まってる!」

「若葉さん、こっち! こっちに寄って! 僕、空間歪曲を——」

 佐久間君がセルを叩く。
 その瞬間、別のセルが跳ね上がった。
 数値が“戻される”どころじゃない。反動で別パラメータが暴れる

 壁の亀裂が赤く脈打った。
 火でも溶岩でもない、“生きた赤”。

「……うそ、火の補正が勝手に上がってる?」
「天井の帳尻合わせです! 岩を下げると、火か水が上がって戻そうとしてくる! 今、ガンムが“偏差値の枠”ごと動かしてます!」

 私は歯を食いしばった。
 世界が勝手にバランスを取る。
 しかもガンムは、そのバランス機構を“自分有利”に設定し直している。

 じゃあどうする?

 答えは一つしかない。

 この場で、この場の仕様に合わせて、勝ち筋を作る。

「佐久間君。天井の範囲でいい。世界を壊さなくていい。
 ――私の攻撃が“通る一瞬”だけ作って」

「……一瞬なら、いけるかも。でも、そのあと帳尻が——」

「帳尻? 上等。帳尻合わせが来る前に、こっちが“終端処理”する」

 自分で言って、嫌な単語だなと思った。
 終端処理。ログ。監査。権限。
 異世界に来ても私は結局、仕様と戦っている。

 でも今は、それでいい。

 私は疾風のダガーを握り直した。
 核の周囲にある“隙間”を思い出す。
 さっき刺せなかった。空間がずれた。

 なら、ずれない環境を作って刺すだけだ。

 天魚が頭上で必死に泳ぎ、身振りで何かを示す。
 「すきま」
 「きけん」
 「でも……いま」

 ……わかってる。
 こっちだって、やりたくてやってるわけじゃない。

 ガンムの核が、こちらを見た。
 圧が増す。
 床がまた叩かれる。

 次の瞬間——
 迷宮が、私たちを殺すために、完全に“起動”した。

 床が波打つ。壁が伸びる。天井が下がる。
 いや、違う。私たちの“逃げ場”だけが消えていく

「ちょっと、待った待った待った! これ“難易度調整”じゃなくて“個別最適化”じゃん! プレイヤーに合わせて詰ませにくるのやめて!」

 言いながら私は走った。走るしかない。
 足元は岩なのに粘る。砂が舞って視界が削れる。息を吸うと肺がざらつく。

 佐久間君の声が背中から飛んでくる。

「若葉さん! 水の受け皿、作れました! 火の強制上昇、吸います!」
「よし! それで帳尻合わせを遅らせて!」

 “受け皿”。
 異世界で聞く言葉じゃないのに、なぜか安心感があるのが悔しい。

 ガンムの核が点滅する。
 次の瞬間、床から岩槍が生えた。今度は三本。避けた先に二本、さらにその先に一本。

「はいはいはいはい未来予測きついって! そのアルゴリズムどこのチームが実装したの!? レビュー通した!?」

 私は“すり抜け”で滑り、岩槍の間をギリギリ抜ける。
 抜けた先、壁が迫っていた。分断が来る。
 ここで分断されたら終わる。

「佐久間君、こっち!」
「行けます! 空間歪曲、0.15まで……っ!」

 彼のシートが光る。数字が確定された瞬間、空気が一度“ふっと軽く”なった。
 火の祠で感じたのと同じ——いや、もっと強い。

 迷宮の動きが、一瞬だけ遅くなった

「今っ!」

 私はダガーを構えた。
 でも“刺す”だけじゃ足りない。刺した瞬間に空間がずれて、また弾かれる。
 必要なのは、刺突が成立する“条件”

 私のスナップショットは万能じゃない。
 だけど、万能じゃないからこそ、やれることがある。

 私は走りながら、空間に“スクリーンショット”を重ねた。
 地面の断面。壁の角度。岩槍が生える直前の床の歪み。
 迷宮が動く“パターン”を、ひたすら保存する。

「ちょ、若葉さん、今なにして——」
「ログ取ってる!! 今はログが正義!!」

 IT管理者の血が騒いだ。
 原因が分からないなら、ログを取る。
 仕様が分からないなら、挙動を記録する。
 そして——再現できる形に落とす。

 ガンムの咆哮で落盤が起きた。
 天井から岩塊が降る。降った岩は床に触れた瞬間、ロックスライムになる。

「増えるなって言ったのに!! いや増えるならせめて素材として落ちろ!!」

 ロックスライムの群れがこちらに雪崩れ込む。
 まともに相手してる余裕はない。
 でも、こいつらは“副産物”じゃない。

 ——ガンムの攻撃が作った“増援”。
 ということは、逆に言えば。

「佐久間君! ロックスライム、ここで処理したら、ガンムの“供給”減らせる!?」
「え、たぶん……いや、供給源はガンムですけど、生成効率は落とせるかも!」
「なら落とそう! 生成効率って言ったね! いま言ったね!?」

 私はスナップショットを呼び出す。
 復元はできない。権限不足。
 でも——復元がダメなら、“その場で発動して保存”すればいい。

 火の祠で取った“風の加護”の状態を思い出す。
 あのとき、風属性補正+20%を獲得した。
 ここは風ゼロに近い。それでも、ゼロではない。

「疾風突き!」

 私は自力で疾風突きを発動する。
 風は弱い。刃は薄い。
 だけど——刃が生まれた“瞬間”を、私は見逃さない。

「スナップショット!」

 視界が切り取られる。
 空間に“疾風突き発動中”の状態が保存された。

 ロックスライムが突っ込んでくる。
 私はその場で、すぐに“復元先指定”を試す——いや、ここでは復元が怪しい。

 だが今は、佐久間君が空間歪曲を落としてくれている。
 たった数秒の“凪”がある。

「復元先指定——前方!」

 空間がバチっと鳴った。
 刃が再現された。
 ロックスライムが一列で弾け飛ぶ。

「よし、通った!! 今の凪、神!!」
「神じゃないです! 偏差値の天井ギリギリです! これ以上やると帳尻が——」

 言い終わる前に、ホールの亀裂の赤が強くなった。
 火の補正が跳ね上がる。
 受け皿で吸ってるはずなのに、追いつかない。

「はい出た帳尻!! 最終ダンジョン恒例の“勝手に難易度上がるやつ”!!」

 熱が来る。
 空間がまた重くなる。
 凪が終わる。
 復元が不安定になる。

 それでも、私はもう一度スナップショットを取った。
 今度は“床隆起直前”。
 岩槍が生える直前の歪みを保存する。

「若葉さん、それ何に使うんです?」
「パターンを逆利用する。迷宮が“ここに槍を生やす”って決めてるなら、槍が生える前の床を保存して——」
「保存して……?」
「槍が生えた瞬間に“戻す”!」

 佐久間君が目を見開く。
「え、それって……」
「そう。“地形の巻き戻し”。スナップショット万能じゃないって言ったけど、万能じゃないからこそ、仕様の隙間を突く!」

 天魚が頭上でぐるぐる回る。
 「すきま」
 「それ」
 「いけ」

 うるさい。分かってる。今やってる。

 ガンムが腕を振り上げた。
 岩の拳。直撃したら終わる。
 私はロックスライムの群れを盾に——いや、そんなことしたら後で夢に出る。

「ごめん! 今だけ! 今だけ“壁”になって!!」

 私は床を滑り、拳の軌道から外れる。
 拳が床に当たった瞬間、岩が砕け、砂が爆ぜ、またスライムが生える。

「生成しすぎ!! リソース管理して!!」

 その瞬間、床が隆起した。
 岩槍が生えた。
 狙い通り、私の背後の位置。避けようとした先。

「今だ!」

 私は叫び、保存していた“床隆起直前”を復元する。

「復元——!」

 空間が軋む。
 だが、佐久間君がシートで必死に支えている。
 歪曲度を下げる。温度を抑える。圧縮率を落とす。
 偏差値の天井の中で、ギリギリの調整。

 床が“戻った”。
 槍が消えた。
 槍が消えた瞬間、その位置にいたロックスライムの群れが——床の中に沈んだ。

「落ちた!? いや、沈んだ!? え、これ消滅判定!?」
「判定、通ったっぽいです! 地形に埋まった扱いで、生成物が回収されてます!」

 回収。
 つまり、生成されたロックスライムが“リサイクル”された。

「よし! ガンムの“増援”を、生成と同時に回収させる! 供給を減らす!」
「若葉さん、やってることが完全に運用です!」
「運用だよ!! 異世界も結局運用!!」

 ガンムの核が点滅した。
 怒りの点滅だ。
 ホール全体が震え、鎖のような魔法陣が脈動する。

 空間ロックが強まる。

【システム:ガンム フェーズ2】
【警告:領域拡張】
【補足:空間ロック 強化】
【補足:外部干渉 制限】

「来た……これ以上、復元が通らなくなる!」

 私は歯を食いしばる。
 勝ち筋は見えた。だが時間がない。
 最後に必要なのは——ガンムの核。

 隙間。
 たった数センチ。
 そこに刺さなきゃ終わらない。

 でも刺すだけじゃまた弾かれる。
 空間がずれる。ベクトルが狂う。

「佐久間君! “凪”をもう一回! たった一瞬でいい! 刺さる条件を作って!」
「無理です! 天井が……もう上がって……! これ以上下げると別のパラメータが——」
「別のパラメータが上がるなら、上げさせていい! 上げさせる先を、こっちで選ぶ!」

「……選ぶ?」

 私は叫ぶ。

「火が上がるなら、上げる! 水で受ける!
 岩が上がるなら、上げる! そのぶん“砂の粒径”を落とす!
 空間ロックが上がるなら——その代わり、ガンムの“核の露出”を上げる!!

 沈黙。
 佐久間君の目が揺れる。

「……そんな項目、あります?」
「あるでしょ! だって“露出してる”ってことはパラメータで管理されてる! 世界ってそういうもん!!」
「偏見が強い!!」
「偏見じゃない、経験則!!」

 佐久間君は、震える指でシートをスクロールした。
 そして、見つけた。

「……ありました。『Core Exposure』……英語!? 誰が命名したんだこれ……!」
「命名はいい! 上げて!!」

「でも、天井を超えます!」
「超えたら帳尻合わせが来る! 帳尻合わせの矛先を、こっちで誘導する!」

 私は即座に回復粘液を展開し、蒸発させた。
 今度は火対策じゃない。砂対策でもない。
 “痛み”を無視するための準備だ。

 佐久間君がセルを叩いた。

 Core Exposure:0.08 → 0.12

 その瞬間——ホールの亀裂の赤が爆ぜた。
 火が上がった。
 水が蒸気になって暴れた。
 風が一瞬だけ戻って、また消えた。
 帳尻合わせが一斉に襲ってきた。

 でも。

 ガンムの核の周囲の岩が、ほんの少しだけ“剥がれた”。
 隙間が広がる。
 露出が増える。
 核が、裸になる。

「今だぁぁぁ!!」

 私は走った。
 走るというより、突っ込んだ。
 床が沈む。槍が出る。砂が舞う。火が焼く。
 全部無視。

 “すり抜け”で一回だけ地形を滑り、
 “剣技:スピアー”で体ごと前に出る。

 狙いはただ一つ。

 核の隙間。

 私は叫んだ。

「——疾風突き、じゃない!! 今日は“手動刺突”!! 人力!!」

 ダガーが核に向かう。
 空間がずれる。ベクトルが狂う。

 その瞬間——佐久間君の声が背後で爆ぜた。

「空間歪曲度、0.15→0.12!! 天井超えますけど、今だけ!!」
「いい!! 今だけ!!」

 空気が軽くなった。
 “凪”が来た。
 ほんの0.5秒。

 その0.5秒で十分だった。

 ダガーが——刺さった。

 硬い感触。
 核が悲鳴を上げる。
 光が割れる。

 私はさらに押し込んだ。

「刺さったなら……抜くな!! 抜いたらロールバックされる!!」

 意味不明なことを叫びながら、私は刃を捻った。
 核の光がひび割れ、砂が逆流する。

 ガンムが吼えた。
 ホールが崩れる。
 でももう遅い。

 核が砕けた。

【通知:Ancient Golem Slime “Ganmu”】【状態:崩壊】
【補足:領域ロック解除】
【補足:岩属性補正 低下】
【補足:生成プロセス 停止】

「……停止って出た!! 停止って!! やった!!」

 私はその場に膝をついた。
 息ができない。肺が痛い。手が震える。
 回復粘液が追いつかないほど、全身が擦り切れている。

 だが、見上げると。

 ガンムの巨体が、崩れていく。
 岩が砂になり、砂が風に散り、鉱石が床に落ちる。
 核だった光が消える。

 そして——迷宮が、静かになった。

 “仕様”が、止まった。

 私の視界に、遅れてトーストが出た。

【称号:仕様と戦う者】
【補足:あなたは世界の“管理外”で戦いました】

「管理外って……それ褒めてる? 怒ってる?」

 答えは出ない。
 でも、天魚がふわっと降りてきて、私の目の前で静かに泳いだ。
 いつもの慌てた身振りじゃない。
 小さく、ゆっくり、首を縦に振るような動き。

「……あ、はい。よかったね。世界壊れてないもんね。ギリギリだもんね」

 私は息を吐き、横を見る。

 佐久間君が、床に座り込んでいた。
 顔はやけどで赤い。指は震えている。
 でもシートを閉じずに、じっと見ている。

「佐久間君……大丈夫?」
「……大丈夫じゃないです。でも……」
 彼は笑った。
「僕、Excelで世界を壊すかと思いました」
「私も思った。root管理者も真っ青って言ったけど、今日で確信した。君、危険物だよ」
「危険物扱いひどい!」

「でも、助かった。……ありがとう」
 言うと、彼は目をそらして、ぼそっと返した。
「……若葉さんが刺すって決めたから、僕も“天井を超える”って決められたんです」

 その瞬間、ホールの奥から、風が入ってきた。
 今までゼロだった風。
 やっと戻ってきた風。

 髪飾りが、ほんの少し揺れた。

 私は立ち上がり、出口の方を見る。
 崩れた迷宮の向こうに、光が見える。
 外だ。村へ戻れる。

「……帰ろう。説明とか報告とか、絶対めんどいけど」
「村長にどう説明します? “Excelでパラメータ調整して核露出上げました”って?」
「言わない。絶対言わない。そんなの言ったら世界の仕様がバグる」

 私たちは笑った。
 笑うしかない。

 そして私は、最後にもう一度だけ振り返った。

 ガンムが消えた場所。
 砂が静かに落ち着き、岩の亀裂の赤が消え、魔法陣がただの石の模様に戻っている。

 あんなに圧倒的だった“岩王”が、もういない。

 ——終端処理、完了。

 私は心の中で小さく呟いた。

(……これで第一部、完了。とか言ったら台無しだから、言わないけど)

 天魚が、私たちの頭上でくるりと回った。
 そして一瞬だけ、ふわっと光った。
 まるで「よくやった」とでも言うように。

「……ねえ、天魚」
 私は歩きながら、ぼそっと言った。
「これ、裏方の仕事じゃないよね?」

 天魚は答えない。
 答えないくせに、少しだけ誇らしげに泳いでいた。

 風が吹いた。
 今度は、ちゃんと“味方の風”が吹いていた。


迷宮の出口を抜けた瞬間、空気が変わった。

 さっきまでの岩の圧力が嘘みたいに薄まり、肺に入る空気が軽い。風が——戻っている。肌を撫でる風が、ちゃんと“流れ”として存在していた。

「……風、ある」
 私が思わず口にすると、隣で佐久間君が顔を上げた。

「ほんとだ……。補正、落ち着いたのかな」
 彼の“表計算”は、さっきまでの暴走みたいな揺れをやめていた。セルの数値は静かで、むしろ普通のスプレッドシートっぽく見えるのが逆に怖い。

「普通のExcelっぽい顔するな。さっきまで世界ごといじってたくせに」
「言わないでください……胃が痛いんです」

 森を抜けて村へ近づくにつれ、景色が少しずつ“解像度”を取り戻していくのが分かった。
 地面のひび割れが減っている。岩肌の粉塵が落ち着いている。なにより——耳に入る音が増えた。

 鳥の声。枝葉の擦れる音。遠くで鳴る鐘。

 そして、村の外れに差しかかったところで、最初にそれが見えた。

 風車が回っている。

 ギギ……ギギ……と、木の軋む音を立てながら、羽根がゆっくりと回転していた。
 村の人たちがその周りに集まり、顔を見上げて、信じられないものを見るみたいに立ち尽くしている。

「……回ってる……」
 私が呟くと、佐久間君も小さく息を吸った。

「風が戻ったってことですね」
「うん。戻った。……というか、これ、止まってたのが異常だったんだよね」

 風車小屋の前で、ボブさんがこちらに気づいて駆け寄ってくる。いつもの朗らかな顔が、今日は完全に崩れていた。泣きそうな顔と笑いそうな顔が混ざった、変な表情。

「エリーさん! 佐久間君! ……戻って……!」

 言葉が途中で詰まる。代わりに、彼は風車の羽根を指差した。

「回ってる……回ってるんです……! さっき、急に!」

 私は頷いて、言った。

「ガンム、止めた」
「……! ほんとに……」
 ボブさんは言葉を失って、何度も何度も頷いた。まるで、体が先に納得して、頭が追いついてないみたいに。

 村の中心へ歩く途中、もうひとつの変化が見えた。

 川の音。

 せき止められていたはずの川が、村の北側の斜面から細く流れ出し、やがて幅を増して、いつもの流れへ戻っていく。
 水は透明じゃない。土色で濁っている。でも、それが逆に“生きてる”感じがして、胸の奥がじわっと熱くなった。

 川のそばでは、子どもたちが裸足で走り回っていた。大人たちはバケツを持ち、畑へ水を運び、誰かが「これで芽が死なずに済む!」と叫んでいる。
 水が当たり前に流れるだけで、村の顔色が変わっていくのが分かった。

「……たぶん、地形の隆起が引いたんだ」
 私は独り言みたいに言う。
 佐久間君が頷き、ぽつりと返した。

「“仕様”が止まったんでしょうね」
「うん。止まった。……ありがたいけど、怖い言い方だなそれ」

 さらに村長の家へ向かう道すがら、村の外の斜面を見上げたボブさんが、ふと足を止めた。

 あの北の山。
 これまで落石が続いていた方向。

 でも、今日は静かだった。

 落ちてくる石の音がない。土煙もない。
 ただ、山が山としてそこにある。

 ボブさんが、ゆっくりと息を吐いた。

「……止まった」
「止まったね」
 私が返すと、ボブさんはもう一度、山を見上げる。

「……やっと、村が“普通”に戻れる」
 その声が、妙に小さくて。
 私はそこで初めて、ボブさんがずっと抱えていた“北を見る不安”の正体を、言葉じゃなくて肌で理解した。

 村を守るって、戦うことだけじゃない。
 毎日、当たり前のものが当たり前にあるように、祈り続けることだ。

 村長の家に着く頃には、村の空気がもう“祭り前”みたいにざわついていた。
 誰かが鐘を鳴らし、誰かがパンを焼き始め、誰かが樽を運び出す。

 そして私の視界の端で、天魚がふわふわと漂っている。
 いつもみたいに慌ててない。むしろ、やけに静かで、満足そうに見えるのが腹立つ。

(ほらみろ。裏方みたいな顔しやがって)

 そう思った瞬間、風がもう一度、村の通りを抜けていった。
 風車の羽根が、少しだけ速く回る。

 その音を聞きながら、私はやっと肩の力を抜いた。

 ——終わった。
 少なくとも、“今の危機”は。

 村の人たちの笑い声が、久しぶりにちゃんと耳に入ってきた。


村の人々のざわめきが、いつの間にかサーバーの高回転ファンの音にすり替わっていた。

ここは、サーバールーム横の簡易休憩ベッドの上だ。
私は重たい瞼をこじ開け、上体を起こして、ジャンパ線が飛んだ特製のBUG接続インターフェースを外す。

隣のベッドでは佐久間君も同じように起き上がり、同じくジャンパ線が飛んだ特製のBUG接続インターフェースを外していた。

「めちゃくちゃ面白かったね、フルダイブ」

と私は佐久間君に声をかける。

「そうですね、安全上の理由から半意識覚醒のハーフダイブまでしか法律で許可されてないんですが。僕の特性BUG接続インターフェースでBIOSに割り込めばこの通り、フルダイブが可能になるんです。」

そういって壁にかかっている時計を見る。

「約1時間ですね。1週間が大体現実時間の1時間というところでしょうか。」

「もし、よければ」

佐久間君がやや躊躇した感じで私に問う。

「今回の冒険で嫌になってなければ、ぜひまた次の作品でフルダイブしましょう。」

私は迷うことなくいう。

「もちろん!今度は“権限不足”って出ない世界でね。」

~第一部 完~


あとがき

ここまで私の駄文にお付き合いいただき、本作をお読みくださいましてありがとうございます!
稚拙ながら頑張って最後まで書かせてもらいました。週一ペースで最後まで走り切れるのか、若干不安でしたが、多分、何とかなったかと思います。
読んでいただいた読者様には本当に感謝しています。

また、村での大団円の後のくだりについては、雪兎からアイディアをもらいました。様々なIT界隈のアイディアを出してくれた雪兎にもこの場を借りてお礼を言わせてください。ありがとう!

最終話だけ読んだんだけど、最初から読みたい!という方、こちらから読めますので、ぜひご確認ください!

でわまた、次の作品でお会いできるように頑張ります!

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ラビ☆雪兎 いつも応援ありがとうございます🐇お預かりしたチップは創作活動に活用させていただき、余剰分は募金させていただいています。