なんか、かっこいいな
他社も交えた、とあるディスカッションに参加したときのことです。
張り詰めた議論が終わり、会場に張り付いていた緊張感がじわじわと解けていく。参加者たちがそれぞれ名刺を片付け、鞄のファスナーを閉める。
そんな、どこのビジネス現場でも見られる「帰り際」の雑踏の中に、その瞬間はありました。
まだ若手と呼ばれる立ち位置の私は、自分の席で淡々と帰宅の準備を進めていました。すると、不意に視界の右側に人の影を感じました。
見上げると、そこに立っていたのは、私よりも一回りも二回りも年齢が上の、他社の方でした。キャリアも実績も、自分とは比べ物にならないほど上のポジションにいるはずのその人が、まっすぐに私の方を見ていたのです。
「今日はありがとうございました」
柔らかい、けれど丁寧な声でした。
わざわざ私の席まで歩み寄り、一言そう言って、小さく頭を下げたのです。
私は一瞬、フリーズしてしまい、慌てて「ありがとうございました!」と返しました。その背中を見送りながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていました。
率直に、めちゃくちゃ格好いいな、と思いました。
年齢を重ね、役職が上がると、人はどうしても「待つ側」になるのでしょう。自分から動かなくても、周りの若手が気を遣って挨拶にやってくる。
わざわざ「他社の、しかも一回り以上年下の若手」に対して、自分から歩み寄って声をかける必要なんて、本来はどこにもありません。声をかけずにそのまま会場を出たとしても、誰からも文句は言われない立場のはずです。
だからこそ、その振る舞いに、その人が持つ圧倒的な「フラットさ」と「器の大きさ」が凝縮されているように思えました。
ただ、ここで私のなかの、少し冷めたもう一人の自分が囁きます。
「もしかしたら、外に対してだけ良い顔をするタイプの人かもしれない」
ビジネスの世界です。社外の人間が集まる場所で見せる顔と、身内だけに見せる顔が違う人なんて、珍しくも何ともありません。
実際の社内での評判はどうなのか、部下に対してどんな態度を取っているのか。そんなことは、この短いディスカッションの場だけでは分かり得ません。
ただの「外面の良い、計算されたパフォーマンス」である可能性だって、ゼロではないのです。
綺麗事だけで人間を見てはいけない、というリアリズムが、頭の片隅をかすめました。
それでも。
たとえそれが「外向けの仮面」だったとしても、私の心が動かされたという事実は変わりません。
もし仮にあの振る舞いが「計算」だったのだとしたら、初対面の若手にここまで鮮烈な印象を残し、「この人は格好いい」と思わせてしまうその計算の精度と、それを自然に出力できる大人の洗練さに、むしろ完敗だと思わざるを得ません。
中身が24時間365日、聖人君子である必要なんてありません。ただ、帰り際のなんてことない一瞬に、立場による驕りを1ミリも感じさせない振る舞いを選び、実行できること。それ自体が、ひとつの凄まじい実力であり、品格なのでしょう。
本当のところは分かりません。だけど私は、その人の帰り際の挨拶に痺れました。
いつか自分が年齢を重ね、誰かから見れば「一回りも二回りも上の大人」になったとき、同じように振る舞えるだろうか。声をかけなくてもいい状況で、自ら若手に歩み寄り、フラットな敬意を払えるだろうか。
「なんか、かっこいいな」
出会って数時間、言葉を交わしたのは1時間にも満たない。それでも相手にそう思わせてしまうような、そんな歳の取り方を、私はしていきたい。
ではでは👋
◆先月もっともスキされた記事の1つです!

