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「これまで」よりも「これから」を

たとえば、YouTubeのディスカッション動画や、SNSでの口論、もしくはビジネスの現場で。

世の中を眺めていると、時折、胸がチクリと痛む光景に出会うことがある。

自分の選んだ道でうまく成果を出した人が、これから進もうとする誰かに向けて、「あなたのこれまでの生き方は間違っている」「もっとこうするべきだ」と、辛辣な言葉を投げかけているような場面だ。

成功した人の言葉には、確かに一理あるのかもしれない。結果を出したからこそ見える景色があり、良かれと思ってのアドバイスなのだろう。

けれど、私はどうしてもそこに小さな違和感を覚えてしまう。外側から結果論だけで他人の過去をバッサリと切り捨てる姿が、どこか傲慢に映ってしまうからだ。

他人がどれほど「遠回り」や「間違った選択」に見える道を歩んでいたとしても、本人はその時、明確な理由や、のっぴきならない事情があってその道を選んだはずだ。

迷って、悩んで、その時の自分にできる精一杯の選択として、その一歩を踏み出した。

その選択の裏にあった泥臭い背景や、当人にしか分からない葛藤を知ろうともせず、土足で踏み込んで過去をジャッジする権利は、本来誰にもないのではないだろうか。他人の人生のこれまでの道のりをまるごと否定するような言葉は、いくら正論であっても、誰かの心を深く傷つけてしまう。


……と、ここまで考えて、私はハタと立ち止まる。


「そんな辛辣な言葉を言うのはどうかと思う」と、冷ややかな視線を向けている私自身もまた、彼らの生き方やスタンスを上から目線で「否定」しているのではないか。

誰かの「否定」を、また別の「否定」で返しているだけではないか。

そんなジレンマが、心の中に湧き上がってくる。正しさを振りかざす人を批判することは、結局、自分自身もまた「別の正しさ」を振りかざして同じ土俵に立っているだけに過ぎないのかもしれない。誰かを悪者に仕立て上げて終わるだけでは、否定の連鎖はどこまでも続いていく。

だからこそ、私はそのエネルギーの向け先を変えたいのだ。

過去を裁く人たちを攻撃して変えようとするのではなく、「これまでの生き方の正しさを裁く大人」ではなく、「これからの生き方を肯定してあげられる大人」になればいい。

どんな不本意な過去があろうと、どんな理由でその道を選んできたのであろうと、目の前の人が「ここから進もう」とする第一歩は、誰のものでもない、その人だけの新しいスタートだ。

「これまで」の答え合わせをして過去をジャッジする世の中で、私は「これから」の可能性を一緒に面白がり、応援できる存在でありたい。

「あなたのこれまでの選択には、きっと色んな理由があったんだよね。だからこそ、これから選ぶ道はきっともっと素敵になるよ」

そんな風に、過去を受け入れた上で、未来に温かい光を当てられる大人でありたいと思う。

他人の、そして自分自身の「これまで」を優しく許し、「これから」を誰よりも強く肯定していく。その静かな覚悟を持って、自分の場所でまた一歩、歩みを進めていきたい。

ではでは👋


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