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【周年】こぼれ落ちた断片置き場の1年後

noteでの投稿を始めて昨日で1年。
1年前、
私はここを「こぼれ落ちた断片置場」と呼んだ。

日常からこぼれ落ちた、おぼろげな記憶や感情を、写真や言葉の形にする。

捨て、拾い、再構築する。
価値のない人間の、価値のない断片。

その変容を祈って、ここに置く。
そんな文章から、このnoteは始まった。

一年間で何本の記事を書いたのか、
何人の人に読まれたのか。
いくつのスキをもらい、
フォロワーが何人になったのか。

数字として振り返ることもできる。

けど、一年前の文章を読み返して、
それより断片置き場あのとき祈っていた「変容」は実際に起きたのか、そっちのほうが私には面白いなと思った。だからそんな目線で振り返ってみる。

断片が形を持つまで

この1年、毎週1つから2つ、定期預金のように
なにかをここに置いてきた。

写真と言葉。
詩。
創作について考えたこと。
制作の途中で見つけたこと。
まだ作品とは呼べない、小さな思いつき。
輪郭のない感覚。

何か気になる。
何かが違う。
なぜか、この光景を美しいと思う。

けれど、なぜそう思ったのかは分からない。
そうしたものを拾い上げて、眺め、形を与える。

もともと私の中にあった断片。
うん、ここはずっと変わってない。

言葉になったものもあれば、
写真と組み合わさったものもある。

紙に印刷され、ZINEになったものもある。
カードになり、誰かの手元へ渡ったものもある。

一人では作れなかったものも生まれた。
誰かの詩を受け取り、その続きを書く。

私が差し出した言葉を、別の誰かが拾い、
また違う詩へ変える。

私の内側からこぼれ落ちた断片が、
他人の言葉と触れ合い、
私の知らない形になっていく。

1年前には、想像していなかったけど、
私の断片ではなく私が少し変容している。

価値のない断片

一年前の私は、「価値のない断片」と書いている。

今も、その時から気持ちは変わってない。
でも、少し言葉を変えたいと思う。

「価値があるかは関係なく、ただ私の断片なのだ」

拾われるということ

私は私自身がほしいものを作っている。
自分の需要を、自分で満たす。
それは一年経っても変わっていない。

この1年で、私の断片はときどき誰かに拾われた。

作品を読んでくれた人がいた。
ZINEを手に取ってくれた人がいた。
感想をくれた人がいた。

誰かに拾われやすくするための作品にはしない。
そう決めているからこそ、
作品を拾ってもらえた時
私自身を見つけてもらえた嬉しさがある。

1年前は、そうなれば良いと思っていた。
今はその喜びを知っている。

ここは、その接点になった。

2年目も、断片置場として

1年前、私はここに、私の断片を置き始めた。
1年経って、誰かに届いたような気がする。

記憶は写真と言葉になった。
思考は詩や文章になった。

感情は紙に印刷され、折られ、綴じられた。
私の手を離れ、誰かの手元へ渡った。

ここは今も、こぼれ落ちた断片置場です。

日常からこぼれ落ちた、おぼろげな記憶や感情を、捨て、拾い、再構築する場所。

二年目も、たぶん私は同じように、
拾わなくても困らないものを拾い、
作らなくても生きていけるものを作る。

それがどうなるか、
それは考えなくても良い気がしてきた。

ただ、noteを1年続けられたのは
私の作品を拾い、繋がりを作ってくれた
皆さんのおかげだと思う。
これからも多分大きくは変わらない私だけど

いつもありがとうございます。
そして今後ともよろしくお願いします。

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