名もなき作家、会社員になる。〜50歳、崖っぷちからのリスタート〜
私は、ある“秘密”を抱えている。
ゆえに今日も、「普通」を演じながら働いている。
それは、誰かを傷つけるような過去でもなければ、法律に触れるような過ちでもない。告白すればきっと、少しは楽になれるのだろう。けれど、その一言が引き起こすかもしれない微妙な空気が怖くて、心のずうっと奥のほうにしまい込んだまま、誰にも言えずにいる。
私の秘密、それは──
発達障害の特性がある、ということ。
正確には「自閉スペクトラム症(ASD)」と「注意欠如多動症(ADHD)」。
障害者手帳3級を所持し、障害年金も受給している。診断をきちんと受けたうえで、必要な支援を受けている。
だけど、いまの職場では一切、誰にもそのことを伝えていない。いわゆる「クローズ就労」をしている。
確定診断を受けていることも、手帳を持っていることも、年金を受給していることも……自分から伝えない限り、誰にも知られることはない。
就活のとき、私は迷いに迷った。その結果、「特性を隠して入社する」道を選んだ。
オープンにしてしまえば、最初から“除外”されてしまうのではないか?
それが怖かったのだ。
障害者枠でないと入れてもらえなかったり、フルタイム勤務をさせてもらえなかったり、即戦力にはなれないと判断されたり、満足いく給与をもらえなかったり──そんな話を、たびたび耳にする。
だから私は、「普通の求職者」として振る舞うと、そう決めた。
ITエンジニアとしての15年のキャリアとスキルを武器に、ガチガチに気を張って「普通」を演じている。
「普通に見せる努力」がどれだけ神経をすり減らすか、あなたには想像がつくだろうか?
毎朝、出勤前に心のなかで唱える。
「がんばれ、私!」
日々の業務も、資料作成も、会議も、雑談も。
「できないやつ」と思われたくなくて、必死でこなす。
だけど、私にはどうしても苦手なことがある。
たとえば、複数のタスクを並行して処理すること。
「これもやっといて」と言われた依頼が、ぽろぽろと記憶からこぼれ落ちる。その対策として、すぐに片づけられるタスクはその場で片づけ、そうでないタスクは必ずメモに残すことを習慣化するようになった。そのおかげで、片づけが大の苦手な私のメモ帳は、常時カオスな状態を保っている。
会議の議事録をとっていても、次の話題に移ると、直前の内容があやふやになってどうにも思い出せない。
ちゃんと聞いているはずなのに、脳の処理が追いつかず内容をつかめない。
キーボードを叩くスピードは普通の人よりずっと速いのに、キーワードを拾い集めるだけで精いっぱいで、重要なポイントがぼろぼろと抜け落ちる。
クローズ就労という選択をしたことを、後悔しているわけじゃない。
けれど、心から納得できているわけでもない。
本当に、これでよかったのだろうか?
オープンにして、就活をし直すべきなのではないか?
迷い、モヤモヤする日々が続く。
でも、オープンにしていたら、いまの仕事にはたどり着けなかったかもしれない。
障害者枠で就職するのと引き換えに、希望する仕事や待遇をあきらめる選択を迫られることもある。
「言わなければ、理解は得られない」
「だけど……言ってしまえば、信頼を失うかもしれない」
その狭間で、私は揺れに揺れた。
クローズ就労を選んだいちばんの理由は、他でもない。
──「お金がなかったから」。
もっと言えば、お金に対する不安が、すべての判断を支配していたのだろう。
前の職場を、体調を崩して休職した。
それでも当初は、「数か月もすれば復帰できるだろう」と思っていた。
けれど、気づいたら一年が経ち、それでも職場復帰はかなわず、そのまま退職することになった。
傷病手当、失業手当、障害年金……社会保障制度に助けられて、なんとか生活をつないできたけれど、手元には何も残らなかった。貯蓄は早々に尽き、借金だけが増えていく。日々の生活を維持することそれ自体が、まさに綱渡りだった。
頼れる人は、誰もいない。
そう……私は、独りだ。
両親はすでに他界し、頼れるきょうだいも親戚もいない。
むしろ、経済力のないパートナーを扶養せねばならない立場にある。
障害を抱えている私のほうが支えてもらわねばならないのに、逆に支えなければならない人がいるという、過酷な現実。
「私が倒れたら、終わりだ」
誰にも甘えることはできない。
泣きたくても、泣けない。笑えないけど、笑うしかない。そんな日々がもう20年以上、ずっと続いている。
そんな状況下での、就職活動。
オープンで就労したくても、私にはそれが許されなかったのだ。
企業の求人票に書かれた「障害者枠」や「合理的配慮あり」の文字は、まるで“保護された別世界”のように、まぶしく見えた。
だけど、そこに入ってしまったら、待遇面で大きな制限を受けることになるのではないか──。
週20時間勤務
給与は最低賃金ギリギリ
昇給なし、賞与なし
そんな求人ばかりが、目に入ってくる。
「障害者枠」で働くという現実。ネットで調べるほどに、その厳しさをまざまざと突きつけられた。
「私はもう、守られている場合じゃない」
そう思った。
「絶対に、無理はしないようにしてくださいね」
主治医の先生はいつも、私にそう言う。
気がつけばキャパを超えて暴走し、自覚のないまま無理をしすぎてしまう私には、ストッパーとなるブレーキが必要なのだ。
無理なんて、したくてしてるわけじゃない。だけど、生活のためには、たとえ無理をしてでも「普通の人」を演じながら、働くしかなかった。
「書きたい。だけど、働かなきゃ」
そんな想いが強くなっていた私に、主治医は淡々と言い放った。
「やりたくない仕事を、無理やりやる必要はないんですよ」
──返す言葉が、見つからなかった。
私の場合、障害者手帳をもっていて障害年金ももらっているから、グループホームといった障害者向けの施設を利用することで、仕事をしなくても(というか、できなくても)なんとか生きていくことはできる。
主治医が言いたかったことはわかる。けれども、はたしてそれは私が心から望む生きかたなのだろうか?
そう考えたとき、私はとても「Yes」とは答えられなかった。
勝手に涙があふれだして、止められなかった。
「やりたくない仕事」?
「無理やり」?
……いや、違う。そんなんじゃない。
やりたくない仕事なんかじゃないし、これまでもずっと、無理やりやってきたわけじゃない。
そうだ。
私は、エンジニアの仕事が好きだったんだ。
涙でグズグズになりながら、腹をくくった。
「やるしかない。現場に復帰しよう。戻ろう、会社員に──」
自分の障害のことには一切触れない。そう心に決めた。
“それとわからないようにふるまう”ことでしか、希望する待遇と安定した収入を得られない。その現実が、私にクローズ就労を選ばせたのだった。
それから、必死の想いで就活をした。
私には、休職期間を含めて約3年間のブランクがあった。だから、「もう二度と会社員には戻れっこない。ましてや正社員なんて絶対に無理だ」と、半ばあきらめていた。
だが、転職エージェントを経由して200社を超える企業に応募した結果、6社から内定を頂くことができた。ちゃんと、正社員で。
めでたく第一志望の企業から内定を頂戴し、入社。
新しい仕事が始まって、最初の数日間は正直、楽しかった。
インフラエンジニアとして、3年ぶりの現場復帰。
ブランクが長かったから、ちゃんと感覚を取り戻せるのか、不安は隠せなかった。
でも、いざ仕事を始めてみると、驚くほど自然に身体が動いた。
「あれ、このコマンド……まだ覚えてる」
忘れていたはずのコマンドを打つ手が、止まらなかった。
「あの手順、たしかこうだったよね」
私の手が、身体が、覚えていた。
そういえば、私にはエンジニアとして15年ものキャリアがあったのだ。
これが俗に言う「昔取った杵柄」ってやつか。
15年の経験はダテじゃない。これまで叩き込まれた知識は、自分でも気づかないうちにしっかりと私の血肉となっていたのだ。
「あ、私、やれるな」
子どものころ、自転車に乗れるようになったときのことを思い出した。
毎日毎日、日が暮れるまで一生懸命、自転車に乗る練習をした。失敗して転んでケガをしても、何度だって立ち上がり、あきらめずに練習を続けた。そうしてある日突然、やっと乗れるようになったときの、あの感動……あれは、大人になったいまでも忘れられるものではない。あの瞬間を経験したことのある人ならきっと、みんな同じ想いを抱いているのではないだろうか?
一度乗れるようになれば、しばらく自転車に乗らない期間があっても、いつでもまた普通に乗れる。それと同じ感覚、なのだろうか。
“自信”という二文字が、久しぶりに自分のなかに戻ってきたような……そんな気がした。
けれど、それも長くは続かなかった。
日が経つにつれて、私の目の前に大きな壁が立ちはだかる。
どうしてもやっぱり苦手なマルチタスク。あれもこれも同時に処理しなければならない状況になると、とたんに脳の回路がショートする。
優先順位をつけるのもとんでもなくヘタクソで、スムーズに作業が進まない。だから、普通の人よりもずっとずっと時間がかかってしまう。
「頼んでたアレ、進捗どう?」
そう声をかけられるたびに、返答に困り、どうしようもなく胸が痛む。
タイムマネジメントも、相変わらず不得手だ。
夜型生活がなかなか改善できないせいで、朝にめっぽう弱い。日が経つにつれて、出勤時間は順調に遅くなっていく。間に合ってもギリギリで、ひどい睡眠不足のまま仕事に向かうハメになる。
当然、パフォーマンスは落ちる。
頭がぼんやりして、集中力が続かない。
私の実力はこんなもんじゃない。本当はもっとできるのに。
そんなもどかしさを抱え、自己嫌悪でため息がついて出る。
仕事を終えて家に帰れば、テレビの画面を眺めているうちに、いつのまにか自動スリープ。
あまりにも疲れすぎて、食事中に箸を手にしたまま、深い眠りへと誘われることもたびたび。
この前なんか、歯みがきの途中で落ちてしまって……さすがにこれはヤバイと思った。
休日には平日の反動からか、ドバーッと一気に疲れがでる。
特に土曜日はひどい。頭が痛くて、ほとんど使いものにならない。
ずうっと昔から、私はこんなだった。オンとオフの差が、激しすぎるったらありゃしない。
「本当に、この道を選んで正解だったんだろうか……」
そんな考えが頭をぐるぐると駆けめぐり、拭い去ることができない。モヤモヤした想いが、胸をきつく締めつける。
大事な夢を叶えるために、“あえて”選んだ、いばらの道。
「私は、作家として生きていくんだ。そのためには、まず生活を立て直さなきゃ」
何度も何度も、そう自分に言い聞かせた。
寝る間も惜しんで、ごはんもロクに食べず、それこそ死ぬ気で就活したのだ。
やっとの思いでつかんだ、再スタートの場所。なのにもう、後悔の気持ちがひょっこりと顔を出している。
だけど、苦手なことばかりじゃない。
ルーティン作業を得意とする私は、ある程度パターンの決まっている作業なら、誰よりも速く正確にこなす自信がある。
「初めて」と「久しぶり」の作業はちょっとニガテで、慣れるまでは普通の人の何倍も何十倍も時間がかかるけれど、慣れてしまえばこっちのもの。
みんなが嫌がるような細かい作業だって、まったく苦にならない。過集中モードに入れば、長時間の作業もへっちゃらだ。
これは発達障害の特性が成せる技。誰にも負けない、私の強みだ。
──いつか、ちゃんと話せる日が来るのだろうか。
「私、発達障害があって、こういう特性をもっているんです。苦手なこともありますが、得意なことでなら、じゅうぶん力を発揮できます!」
そんなふうに、胸を張って自分を説明できる場を与えられたなら。
そしてそれを、やさしく受け止めてくれる人がいてくれたなら。
たったひとりでもいい。
「わかるよ」と寄り添ってくれる人がいれば、それだけで救われたような気持ちになれるのだから。
心のどこかで、願っている自分がいる。
それが叶ったとき、私はきっと、いまよりずっと“私らしく”働けるのだろう。
それでも。
私は、ここから始めるしかない。
いまの私にできるのは、
「発達障害があってもできる」
それを証明することだ。
「発達障害」は、決して「マイナス」なんかにはならない。
私が必ず、それを証明してみせる。
見えない障害を隠して。
名もなき作家は今日もまた、「普通」を装って働く。
夢の続きを、書くために。
いつの日か、名もなきままのこの物語を、胸を張って語れるようになるために。
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たくさんの「スキ」をありがとう!
これは、私が体験した“逆FIRE”の軌跡。
ぜひぜひ読んでみてくださいね。
私の愛すべき作家デビュー作 “アスやら” こと
『アスペルガーな私のやらかし人生』
幼少期から「変わった子」と言われ続け、
ずっと生きづらさを抱えながら生きてきた、
ひとりのアスペルガー女性の物語。
「発達障害を前向きに生きるヒント」が、
たくさん込められた作品です。
お時間のあるときにでも、
ついでにお手にとっていただけるとうれしいな。
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