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“逆FIRE”しちゃいました! 崖っぷちアラフィフ女、休職・3年間のブランク・発達障害を乗り越えて、フリーズしてた人生を再起動してみたら……。

「FIRE」なんて、夢のまた夢。

ちょっぴり変わったアラフィフ女が
世間の流れに逆らって選んだのは、
“◯◯◯◯◯”でした。

崖っぷちからの人生再起動ストーリー、
よかったら覗いてみませんか?

それでは、
はじまりはじまり〜!


*****


「FIRE(ファイア)」って言葉、聞いたことある?

「Financial Independence, Retire Early」の頭文字をとった造語で、“経済的自立”と“早期リタイア”を意味するんだって。

カンタンに言えば……

生活に困らないだけの資産をつくって、定年を待たずに早めに仕事を辞め、自分の好きなことをして自由に暮らそうっていうライフスタイルのことだ。

しかしまぁ、「FIRE」と一口に言っても、いろんな種類があるらしい。

ファットFIRE、
フルFIRE、
リーンFIRE、
コーストFIRE、
サイドFIRE、
バリスタFIRE……

「なんちゃらFIRE」が、こんなにあふれているとはねぇ。この記事を書くためにちょっと調べてみたんだけど、そんなん私も知らんかったわ。

ごめんやけど、ここではFIREの詳しい解説をするつもりはないので、興味のある方はご自分で調べてみてね。

ちなみに、造語の「FIRE」のほうじゃなくて「fire」という単語には、“解雇する”──つまり、“クビ”って意味があるんだよ。って、知ってた?

「You're fired!」って言われたら
「おまえはクビだ!」ってコトね。

そんなこと、ゼッタイ言われたくないケドね……。


とまぁ、前置きはこれくらいにして。

どうやら、世の中は「仕事を辞めたい人たち」であふれているらしい。
その気持ち、私もよくわかる。
だって、私もかつては、FIREにあこがれてたから。

だけど……
残念ながら、私にはFIREは無理だった。

3年前、業務過多に陥って体調を崩した。発達障害の二次障害により適応障害を発症して休職。休職期間は1年間にも及んだものの復職はかなわず、6年勤めた会社を退職した。

いろいろ準備を整えてから退職する予定だったのに、心の準備もまったくなんにもできていない状態で、やむなくフリーランスを始めることになってしまった。

そこから、およそ2年の年月が流れて。
私は、どうしたと思う?

世間では、「仕事なんかとっとと辞めて、自由に生きようぜ!」って考えが主流になりつつあるようだけど、私がやったのは、その真逆。
“あえて”、時代の流れに逆行してみたのさ。

そう、つまり

「私、会社員に戻りましたぁーーー!!!」


2年前、会社を辞めたあの日。
「これから、私の人生がはじまるんだ」
って、意気揚々としてたっけ。

会社員という安定した立場を手放して、フリーランスになったいちばんの理由は、「作家になりたかったから」だ。

好きなだけ文章を書いて暮らしたい。
書きたいことは、山ほどある。
時間は無限にあるのだ。

作家としてのキャリアを歩むんだと、そう決めた私には、もはや希望しかなかった。

いくらでも書ける。時間さえあれば。
そんなふうに思っていた。

なのに。

なぜかぜんぜん、落ち着かない。
おかしいな。“やりたいこと”をやっているはずなのに。

「フリーランス」と言えば聞こえはいいが、「無職」と同義だ。
実際、思うようには稼げず、想い描いていた理想とは程遠いものだった。
そんな状況下では、書くことに集中したくても、家計や将来の不安に思考が支配される。

「私、いったい何のために会社を辞めたんだろう……」

傷病手当も失業手当も貰いきって、いよいよ収入がゼロになった。
まさに、「崖っぷち」の状況に立たされた私。
イライラやモヤモヤで頭のなかはパンパンになって、しばらく安定していたメンタルの状態も、次第に悪化していく。

頼れる人は、誰もいない。

両親はすでに他界し、きょうだいとも絶縁状態になっている私にはもう、身内がいない。

同居しているパートナーは無職。20年以上もの長きにわたり、私はこの細腕で、たったひとりで、ふたり分の生活費を稼いできた。家事全般を不得手とする私に代わって家事を手伝ってくれてはいるが、経済的な支援はとても期待できそうにない。

パートでもアルバイトでもなんでもいいから、少しでも収入を得てくれたなら、私はずっと好きなことだけやって生きていけたのに……と、己の不運と人を見る目の無さ加減を、おもっくそ恨みたくもなる。

どうしよう……このままだとマジで破綻する……(っていうか、とっくの昔に破綻してるんだってば)。
この先、どうやって生活していこう……?

「生活保護」「債務整理」「自己破産」……そういった手段をとることも真剣に考えた。実際、役所に足を運んで相談もした。ありのままを話してみたら、相談員の人に「これまでいろんな人の話を聞いてきたから免疫はついてるんですが、相当ですね……」ってドン引きされて、同情までされちゃったよ。

いつ発狂してもおかしくない頭を抱えて、精いっぱい考えた。考えて、考えて、考え抜いた。
大声をあげて泣きたくなるような状況だけど、泣いてもはじまらない。立ち止まってなんかいられない。考えなきゃ。そして、とにかく「いま自分にできること」をやらなきゃ。

大丈夫、私なら絶対できる。
これまでも、何度だって困難を乗り越えてきたんだから。


そんなある日のこと。
私は、ハッとした。

「自由になりたい」んじゃない。私は、「書きたい」んだ。
フリーランスになったのも、「稼ぎたい」からじゃない。
「書きたかった」──ただそれだけだ。

書くことができるのなら、どんな生活でも厭わないし、お金の稼ぎかたなんて、正直どーだっていいやん?

フリーランスのような不安定な環境じゃなくて、安心して暮らせる環境があってこそ、心ゆくまで「本当にやりたいこと」に集中できるんじゃない?

安定した環境に身を置かねば、いい文章は書けないのだから。

胸につかえていたモヤモヤが、目の前に広がっていた濃い霧が、ぱあっと一気に晴れていくような。そんな感覚をおぼえた。

いったん手放したものを取り戻す……それが容易ではないことは痛いくらいに理解できた。その決断を下すのも、決して容易ではなかった。
だけど私は、夢をあきらめることだけは絶対に、絶対にしたくなかった。

だから、決めた。
「もう一度、会社員に戻ろう」と。


思い立ったら、即実行。
気持ちが固まってからの私の行動力はもう、ハンパなかった。

我ながら、ちいさなカラダのどこからこんなエネルギーが湧いてくるのか、不思議に思うことがある。

まず、転職エージェントについて調べまくり、6社に登録した。
それぞれのエージェント会社の面談を受け、エージェント経由で求人に応募した。片っぱしから、とにかく応募しまくった。

希望職種は、インフラエンジニア。もしくは、社内SE。
私は、インフラ系のSEとしてサーバやネットワークに関する業務に携わってきた。「下流工程」といわれる運用・保守を約8年、「上流工程」の設計・構築を約7年。あわせて約15年の経験をもつ。

自分で言うのもなんだけど、私はかなりの「異色の経歴」の持ち主だ。

エンジニアになる前、私は事務職をしていた。
27歳くらいから、派遣社員として事務の仕事をするようになった。そのころの年収は、わずか240万円程度。私ひとりならまだなんとか生きていけたんだけれど、私には扶養しなければならないパートナーの存在があった。そのおかげで、もう何年も苦しい生活を強いられてた。
このままでは生きていけない。将来のことを考えると、お先真っ暗でしかなかった。

「手に職をつけなきゃ……」

事務の仕事に限界を感じた私は、技術職への転職を考えた。
もともと機械が好きで、事務の仕事でもパソコンを使った作業が得意だった。
高校時代にはコンピュータの基礎の基礎を授業で学んだから、多少の知識もあった。

パソコンの調子が悪くなって自分でどうにもできないときに、ササッと直してくれる先輩社員の姿がカッコよくて、
「私も、自分でできるようになりたい!」
そんなことを夢みてた。

「そんなに機械が好きなら、エンジニアになればいいじゃない」
幼いころに母から言われた言葉がふと、頭をよぎる。

エンジニアになる……? 私が?
どうすればエンジニアになれるのだろう。子どものころの私には、まったく想像がつかなかった。

密かにあこがれていた、エンジニア職。
もしかしたら私にも、できるかもしれない……。

意を決した私は、行動に出た。
教育ローンを組み、なけなしの給与のなかから学費をやりくりして、ITエンジニアの養成スクールに通った。エンジニアになるために事務職を辞め、失業手当をもらいながら職業訓練にも通い、朝昼晩、勉強に明け暮れる日々を過ごした。

そして、33歳でIT業界に転職することに成功。
ヘルプデスク業務からスタートして、システム監視、運用や保守の業務を経て、設計や構築まで携わるほどに、着実にステップアップしてきたのだ。

いったんは離れたITの現場に、私はふたたび戻る──。
自分の人生を、自分で“再起動”させるために。


まず、応募に際して、めちゃくちゃ悩んだことがある。
「休職経験があることを伝えるべきかどうか?」問題。

これはセンシティブな情報にあたるので、わざわざ自分から伝える必要はない。だけど、伝えなければあとで面倒なことになるかもしれず、そうなってしまっては非常に困る。私の場合は休職期間が1年もあるから、それを経験年数にカウントしてしまうのはさすがに憚られる……。

Webで情報を調べまくり、考えまくった結果、正直に伝えることを決めた。ただし、必要最低限の、ごく簡単な説明にとどめておくことに。詳しく話せば、きっと「リスクあり」と判断されるに違いないから。

1年間、病気療養のため休職していたこと。現在は完治しており、業務に支障はないこと。職務経歴書にはそのように、簡潔に追記しておいた。


しかし……だ。
書類選考が通らない。

やっとこさ一次面接までこぎつけても、その先には進むことができない。

実に、約10年ぶりの就職活動。久しぶりの面接は、初めてのリモート面接。なかなか要領をつかめず、こちらの意図をうまく伝えられなかったり、聞かれたことに対してスムーズに答えられなかったりで、企業様から酷評も受けた。

結果を伝えるメールには「お見送り」の文字の連発。

「ブランクが大きく空いている」
「転職回数が多い」
「年齢が高い」
「この年齢で再スタートというのは、なかなか厳しい」
「採用に至る程の技術スキルではない」
「ワークライフバランス重視で、仕事を詰めていく印象ではない」

不採用となった理由を目にするたびに、これまで積み上げてきたキャリアや自分の存在価値を真っ向から否定されたようで、奈落の谷底に突き落とされたような気分になった。

この年齢になって、なんでこんな想いをしなくちゃならないんだ?
超前向きでハイパーポジティブな私も、このときばかりはさすがに、めちゃくちゃヘコんだ。

あぁ……もう、無理かもしれない。
私はもう、社会にとって「要らない人間」なのか……。

こころがポッキリと折れる音が、ハッキリと聞こえたような気がした。
厳しい転職になるだろうと覚悟はしていたけれど、ここまでとは。

毎日せっせと応募しても、どんなに面接をこなしても、内定がもらえそうな気配など微塵も感じられずに2週間経ち、3週間が経ち……。

「やっぱり、私には無理だったんだ」

休職経験があって、3年近いブランクがあって、50歳を超えている私がエンジニアに戻るなんて、想像している以上にとんでもなくハードルが高かったのかもしれない。やっぱりこれは、無謀な挑戦だったのだろうか。
エンジニアはあきらめて、他に何かやれそうな仕事を探そうか……。
未経験でもできる仕事とか、いろいろ探せばきっと何か、ひとつくらいは見つかるだろう。

絶望感にさいなまれ、完全に“あきらめモード”にハマりかけていた、そんなときだった。

第一印象で「いいな」と思っていた企業の選考結果を知らせる、エージェントからのメールが目に留まった。

その件名には、【最終面接】の文字が……。

先日、面接を受けていただきました株式会社○○○○様より
ご連絡がございまして、
最終選考の面接依頼を頂戴いたしました。

つきましては、早速ではございますが
面接日時調整をさせていただきたく、
ご都合はいかがでしょうか?

「ぃよっしゃあああぁぁぁーーー!!!」

天国から地獄……ならぬ、地獄から天国。
絶望感から一転、私は歓喜の雄叫びとともにガッツポーズを決め、部屋じゅうを小躍りしてまわった。

一次面接で失敗を繰り返していた私は、この企業との面接で、自分の率直な気持ちを話してみることにしたのだ。

「正直なところ、エンジニアに戻ろうかどうか、めちゃくちゃ迷ったんです」

そう伝えると、面接官の反応が一変した。空気がグッと和やかになって、一気に話しやすい雰囲気になった。

そこで、ふたたびエンジニアに復帰したいと思った理由と決意を述べた。

「だけど、『やっぱり自分は、この仕事が好きなんだな』って気づいたんです。エンジニアとして現場に復帰して、これまでのキャリアを活かして、しっかりお仕事で貢献していきたいです」

この面接でたしかな手応えを得た私は、それ以降の面接でも「自分の気持ちを自分の言葉で、取り繕わずに本音で話す」ように心がけた。
そうすると、おもしろいように一次面接をどんどん突破できるようになっていった。


就職活動を開始して、ちょうど1か月が経ったころ。

エージェントからのメールをチェックしようとしたとき、目に飛び込んできた、「ご内定です!」の文字。

「第一志望からのご内定、誠におめでとうございます!」

メールを開くと、間違いなくそう書かれていた。
続けてその下に書かれていた労働条件を確認すると、これ以上ない好条件が。このときの喜びといったら……ふわっとお空へ飛んでいってしまいそうなくらいうれしくて、ホッとして。だけど、ほんまに驚いた。

インフラの運用業務がメインで、
たまに構築の“二刀流”。
残業ほぼなし。ってか、原則残業禁止。
フレックスも使えて、休みも取りやすい。
通勤めちゃラク。
んで、前職よりも年収が格段にUP……!!!

ほぼほぼ100%、私の希望にマッチしていた。

し・か・も

服装は自由で、
短パン・サンダル以外ならなんでもOK。

お店が豊富に立ち並ぶオフィス街だから
ランチも楽しめる。

……というオマケつき。

これなら、続けられる。
「前みたいに、もうイヤイヤ仕事する必要ないんだ」
そう思うとうれしくてうれしくて、ワクワクが止められなかった。


怒涛の1か月だった。

週に8社程度の面接を受け、それが終われば感想アンケートに回答してエージェントに送って、次の面接の準備をする。そんなことを毎日、朝方までかけてやっていたせいで、完全なる昼夜逆転の生活が続いた。

もともと“超”がつくくらいの夜型だが、これほどまでにむちゃくちゃ乱れた生活をしたのは、実に30年ぶりくらいだった。いや、あんたもう50歳やで。いいかげん、自分の年齢を自覚しなさいって。

本当にめえぇ〜っっっちゃくちゃ、しんどかったんやけど、なんとか1か月で結果を出すことができて心底ホッとしたわ。しかも、最高の結果をね。

応募した求人の数は、軽く200社を超えた。
そのうち、一次面接に進めたのが、20社程度。
そこから最終的には、6社から内定を頂くことができた。

「お人柄が素晴らしい。休職経験やブランクがあるのに、もう一度エンジニアに戻ろうという心意気が気に入った。ぜひともいっしょに仕事がしたい」

「エンジニアとして、現場で幅広い経験を積んでこられたところに魅力を感じている。そのスキルを活かして、若手社員の教育をお願いしたい」

「運用も構築も両方できるエンジニアって、本当に希少なんですよ。ぜひとも弊社にお力を貸していただきたい」

このような高い評価を頂けたことが驚きで、うれしくて、ありがたくて……折れかけていたこころもすっかり修復された。

本格的に就職活動を開始する前、某大手転職エージェントの担当の方が私にかけてくださった励ましの言葉も、忘れられない。

「大丈夫ですよ。事務職からエンジニアに転職して、運用からスタートして設計や構築まで幅広く経験されて……これだけしっかりと、自分の足で着実にキャリアを築いてこられた方は、他に知らないです」

この言葉が、どんなに私の支えになったことか。

エージェントを活用したのは今回が初めてだったが、このやりかたは本当に正解だったと思う。短期間で効率的に活動できて、しっかりと結果を出すことができたのも、エージェントの支援があったからこそだ。

普通に転職サイトを利用して就職活動していたら、あまりの情報量の多さにパニックになって応募に至るまでに疲弊していただろうから。


正直に言うと、
ハッキリ言って、
私、あきらめてたんだ。

「もう二度と、会社員には戻れっこない」
って。
「ましてや、正社員なんて絶対に無理だ」
って。

そう決めつけてた。

休職してからずっと、自分が会社で働いているイメージを、どうしても描くことができなかった。

逃げていたのかもしれない。
現実から目を背けて、社会から距離を置くことで安心していたかったのかも。

不安がなかったかと聞かれたら、
「そんなの、あるに決まってるでしょ」って答えるよ。

はたして、本当に仕事にありつけるのだろうか?
運よく就職できたところで、職場に馴染めるのだろうか?
ただでさえ進歩の速いIT業界の仕事に、ついていけるのだろうか?
また、体調を崩したりしないだろうか?

考えだすとキリがない。

だけど、そんな迷いをかき消し、私の背中を押してくれたのは他でもない、
「私は絶対に、作家として成功するんだ!」
という、私自身から湧き出でる、熱く揺るぎない想いだった。

「作家としてやっていきたいのに、会社員に戻るの?」

そんなふうに思う人も、きっとたくさんいるだろう。
たしかに、我ながら矛盾してるなって思うこともある。しかし、「作家としてやっていきたいから」こそ、私は会社員に戻ると決めたのだ。


毎日、行くところがあって
行けば自分の居場所があって
毎日、顔をあわせて
会話を交わす相手がいる。

フリーランスに比べればずっと、生活リズムも整えやすいし、運動不足の解消にもなる。

会社に勤めているというだけで、社会的な保障も受けられる。
社会保険の制度は最強だ。会社との折半だから保険料も安くなるし、将来もらえる年金の額だって、会社員とフリーランスでは雲泥の差がある。

極端に言えば、
「会社に行くだけで、自動的にお金がもらえる」んだよ?
こんなにオイシイ仕事、なかなかないと思わない?

こんなにメリットだらけなのに、どうして
「FIREは勝ち組」で、
「会社員は負け組」だなんて思われてるんだろうね?

まぁ、正直、“会社員に戻る”っていう選択をすることは、ちょっと負けたような気がしないでもなかったけどさ。


フリーランスをしていた期間、お金のこと以外でつらかったのは、
「フリーランスは孤独だ」ってことだった。

会社員時代には、苦手なことやわからないことがあればすぐに誰かにフォローしてもらえた。だけど、フリーランスになるとそうはいかない。

苦手なことも含め、「ぜんぶひとりで」やらなきゃいけないのだ。
苦手だからといって、逃げてなんかいられないのだ。

私みたいに発達障害の特性があると、これってけっこう致命的だったりする。作業の優先順位をつけたり、タスクの整理やスケジュールの管理をしたりしてくれる人がそばにいてくれたらなぁ……って、どんなに願ったことか。

ただでさえ「苦手なこと」「できないこと」が多すぎる私には、何もかもを自分ひとりでこなすなんて、とてもできない。そんな状況が、どうにも耐えられなかった。

これまで、いかにまわりの人たちに助けられてきたのかを、会社を辞めてからイヤというほど、身をもって思い知ったのだ。

ちなみに、私の父は自営業だった。
「お父さんにもできてたんだから、私にもできるはず!」
って、すっかり高を括ってたよ。はい、私はバカでした。父よ、あんたはすごいっ!


さて、ここからが本番だ。
私の挑戦は、まだまだはじまったばかり。

人生100年時代。アラフィフはまだ“折り返し地点”。

60歳まで働くなら、あと9年。
65歳までなら、あと14年か。

あと何年働けるか、わかんないけど。
カラダとアタマが動く限り、できるだけ長く働いて、会社員の恩恵をしかと受けてやろうと思う。

もし、「やっぱり私には合わないわ」と思ったら、辞めればいいだけ。そのときはまた、自分の進むべき道をしっかり考えて、必要な選択をするまでだ。


ここまで読んでくれて、どうもありがとね。

あのね、どうか誤解しないでほしいんだけどね。
私は、FIREやフリーランスを否定したいわけじゃない。どんな働きかたが正しいとか、こっちのほうが最高だとか、そんな議論をするつもりはさらさらないのよ。

んなこたぁどうだってよくって、いちばん大事なのは、
「自分に合った働きかたができるかどうか」
ってことだと思うからさ。

そのひとつの選択肢として、“逆FIRE”もアリ。
……なんじゃないかな?

自分が輝ける場所を見つけることができたなら、人生は一気に楽しくなる。
どんな生きづらさもきっと、軽〜く吹っ飛ばせるはずなんだ。

あきらめる必要なんて、これっぽっちもない。
50歳からでも、いくつになっても、人生は変えられる。何度だってやり直せる。

そう、あなたがあきらめさえしなければ……ね。


なんてまぁ、こんなこと言っといて、もし書けなくなったら辞めるかもしれへんけどね。

そんなこんなで会社員に戻ったけれども、私の本業はあくまで「作家」だ。
どっちかっていうと、エンジニアの仕事のほうが「副業」で……いや、ちゃうわ。そうやな……これはもはや「趣味」。やな!

崖っぷちでも、夢はまだまだ終わらせない。

さて、あなたは何を“再起動”してみる?


*****


たくさんのスキを、どうもありがとうございます!!!

note創作大賞の〆切日に投稿するのは、
本作『“逆FIRE”しちゃいました!』の続編エッセイ。
名もなき作家の生存戦略、
応援していただけるとめちゃくちゃうれしいです!

私の愛すべき作家デビュー作 “アスやら” こと
『アスペルガーな私のやらかし人生』

休職・退職を経て、作家の道を歩みはじめた
ひとりのアスペルガー女性の物語。

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