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WEST EXPRESS 銀河のおもてなしガイドツアー|熊野速玉大社

銀河の旅、その続きは新宮で

銀河を降りた後は「WEST EXPRESS 銀河のおもてなしガイドツアー」に参加した。

ワンコイン500円で、地元観光協会の方が丁寧に案内してくれるのだから、迷う必要なんてない。改札を抜けると、すでにツアー参加者やレンタサイクルを借りる人たちで賑わっており、期待に胸が膨らんだ。

▼前編はこちら

こちらの観光協会は、荷物を預けたり、バスの待ち時間としても利用できる。新宮市の観光の際は、こちらを利用することをおすすめする。


徐福公園:伝説の地で不老不死の謎を追う

ツアーは、新宮駅前を10時に出発。ガイドさんの解説を聞きながら、徐福伝説が残る徐福公園へ向かった。

不老不死の妙薬を求めて熊野の地に辿り着いたという秦の始皇帝の従者、徐福。そのロマンに触れながら、私たちは新宮の街の奥へと足を踏み入れた。

徐福公園 秦の始皇帝の命により、不老長寿の妙薬を求め徐福がたどりついたのは、熊野の地であったと伝えられている。

レトロモダンな建物:歩くたびに出会う、ノスタルジックな景色

徐福公園から熊野速玉大社へ向かう道中、まるでタイムスリップしたかのようなレトロモダンな建物が次々と現れた。

旧チャップマン邸 建築家・西村伊作の設計により、アメリカの宣教師チャップマンの居宅として大正15年(1926年)に建築された
旧西村家住宅(西村伊作記念館)
旧西村家住宅(西村伊作記念館) 文化学院の創設者であり、大正・昭和期に日本人の生活スタイル改善を目指した西村伊作が設計した自宅。
旧西村家住宅(西村伊作記念館)

建築家・西村伊作が設計した旧チャップマン邸旧西村家住宅は、思わず立ち止まって見入ってしまうほど、本当に格好いい。

大正時代に建てられたとは思えないほど洗練されていて、与謝野晶子をはじめとする多くの文化人が集ったというサロンの様子を想像するだけでわくわくする。石垣に使われている丸い石も、どこか愛らしく見えた。

郵便局だったところだそう。ドアのところに〒マークがある
旧熊野高等経理専修学校
レトロな雰囲気を持つ木造2階建ての校舎。和風の屋根と下見板張りの壁が特徴的で、玄関の軒下には学校を象徴するそろばんの装飾が施されている。

ガイドさんは、これら建物や人物を一つ一つ丁寧に解説してくれた。

新宮城跡:熊野川を見下ろす、天空の城跡

新宮城跡
元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。その後10代にわたり統治が続き、城下町として栄えた。

熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園。

元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれている。石垣がきれいに残っていた。

新宮市は和歌山県と三重県の県境。この先はもう三重県とのこと
熊野古道
熊野の信仰において最も重要なシンボルの一つ、八咫烏(やたがらす)。 熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の神の使いとされている。

熊野速玉大社:神々の導き、千年木の息吹を感じて

熊野速玉大社は熊野三山の一つで、熊野本宮大社、熊野那智大社と並び、全国に3000社以上ある熊野神社の総本社として知られている。

新宮駅から徒歩圏内にあるため、アクセスしやすいのも魅力
八咫烏神社
熊野曼荼羅絵解

ガイドさんの丁寧な解説は、街の歴史を物語として伝えてくれる。 中でも印象的だったのが、熊野速玉大社での熊野曼荼羅絵解きだ。

絵巻を広げながら語られる神々の物語は、まさにプロの語り部。文字が読めない人にも信仰を伝えたという比丘尼(びくに)たちの熱意が、時を超えて伝わってきた。

ツアーで頂いたナギの葉
境内には、樹齢約1000年、高さ約17mの巨大なナギの木があり、国の天然記念物に指定されている。

境内には、樹齢1000年を超える御神木、ナギの木がある。縦に強い葉脈を持つこの葉は「縁が切れない」と言われ、縁結びや旅の安全を願うお守りとして古くから大切にされてきたそうだ。力強く引っ張っても切れない。ガイドさんからいただいたナギの葉を手に、ご利益を祈った。

熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神として祀っている。神武天皇が東征の際にこの地に立ち寄り、神々を祀ったことが神社の起源とされている。

速玉神社に到着し、ツアーはここで解散となった。知らないことを色々教えてもらい、参加して良かったと思った。

平安時代には、歴代の天皇や貴族が熊野詣を行い、信仰を集めた。 後白河法皇は、34回も熊野を訪れたと伝えられている。

神倉神社:体感傾斜80度の石段の先にある、神々の絶景

ツアーは速玉大社で解散となったが、私はもう一つの目的地を目指していた。ガイドさんに「最初の200段が大変だよ」と聞いていた神倉神社だ。

神倉神社は熊野の神々が最初に降り立った霊地とされ、ゴトビキ岩をご神体としている。

いざ目の当たりにすると、言葉を失った。 「これを登るの…か?」

これを上るの?

写真では分かりにくいが、ともかくあり得ないくらい急なのである。体感傾斜80度とも言われるらしい。石段というかわいい表現では足りない。なんか、もう崖だった。

参道の石段は日本一険しいと言っても過言ではなかった。

ガイドブックには急な石段だとは一言も書いていなかった。実際、行かずに書いたんじゃね?と思えるほど。もし上ったなら、当たり障りのない情報だけを書けるわけはない。「もはや崖」ぐらいのサブタイトルをつけるべきである。

一段一段が狭いので、上る時はまだいいが、下りの傾斜がすごい。足がすくむ。追い打ちをかけるように、アブもついてくる。

200段登ったところで振り返って撮影。下が見えない。

一段一段、必死で足を運び、汗だくになりながら200段を越えた。すると、声をかけてくれる人がいた。「ここからは緩やかだよ」「あともう少し、頑張って」。その言葉に背中を押され、ようやくたどり着いた頂上。

神々しい

そこには、神々しい社と、新宮の街並み、そして広大な太平洋が一望できる絶景が広がっていた。

ガイドさんからは「松明を持ち、山頂から急な石段を駆け下りる御燈祭というお祭りでは、一番早い人は坂道を1分半で駆け降りる」と聞いていた。この石段を1分半で下りるのは本当に信じ難い。

帰りも再び、急な石段のところに戻ってきた。石段横に「女坂」という案内があったので、スマホで検索。歩ける坂という情報を見つけ、帰りは「女坂」から帰ってきた。上りのあの恐怖を回避できる安心感に感謝した。

神倉神社のフォトスポットから。「駐車場から撮影OK」という看板があったので、有難く撮影させていただく。

観光協会で頂いた地図には、「神倉神社のフォトスポット」が記されてあった。下山後、撮影に向かう。

さっきまで、あんな高い場所にいたとはにわかに信じがたかった。

新宮駅はJRの境界駅なので、ここからはJR東海

銀河の旅は終わったが、ガイドツアーは新宮の奥深い魅力を教えてくれた。次来る時は、この街にじっくり滞在しよう。

note記事に出会うのって、街中でほんの一瞬すれ違うようなものだと思うんです。たくさんのnote記事の中から、見つけてくれてありがとうございました。宜しければ他の記事も読んで行ってくださいね。

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