【制作秘話編】私は、わたしを再構成する①
noteのプロフィールに使っている、この一枚のアート。
実はこれ、キャビネットの中で眠っていた、
”酷い失敗作”だった紙を刻んで生まれ変わった、私の自画像。

これは、AIと出会う前の話。
改めて振り返ってみると、先日公開した論考『”絵画鑑賞”で鍛える、あなたのプロンプト思考』で提示した思考法の源泉となるような制作エピソードだったから興味深い。
あの頃、画材すら持っていなかったのに、上野の森美術館での展示という信じられない経験をしてもなお、私は「表現すること」に苦しみ、滞っていた。
そんな中、何かの突破口になれば…という思いで、イラストレーター・木村タカヒロ先生のある講座に飛び込んだのだった。
(「マツコの知らない世界」のアニメーションなどを手掛けたすごい方だと知らずに数年前にメルマガを登録していたのだが、メールを開封して読んだのはこの時が初めてだった。先生、ごめんなさい)
お題は「THIS IS ME」。
ここから、私のハプニングだらけの「再構成」の旅が始まった──
先生からは簡単な説明だけされた。
絵が描けない人もコラージュだと形にしやすいが、
コラージュに限らず基本何でもOKとのこと。
かなり自由な創作をする課題だった。
このお題に対して、私はそもそもは全く別の構想があり、
着手するためにボードになりそうな白い紙を家の中で探していた。
すると、キャビネットの中にあるビデオデッキの上に、
なぜか過去のデッサンと一緒に白い厚紙を発見。
どうやら夫が勝手に整理して、ここに置いていたらしい。
さらに、いつやったのか記憶にない、
アルコールインクアートを練習した用紙も一緒に出てきた。
改めて細部までまじまじと見てみると、
インク溜まりやシミ、びよーんと伸びたインクの軌跡が、ダサい。
作った時の「上手くできなかった」という感情は抜きにしても、
「偶然性に任せた美しさにはなっていないかな」と、
この時の私の美意識では感じた。

「酷い失敗作が出てきたな笑」
正直、そう思った。
でも、色は綺麗だった。
しばし見つめていると──
「そうだ、このインク溜まりやシミに沿って切ってみよう!」
と思いついた。

大小・形・色が様々な、
パズルのピースのような唯一無二の素材が生まれた。
うん、面白いかもしれない。
そしてピースの量に対して、
シンデレラフィットなサイズ感のこのケント紙。
それをGOサインと受け取り、きっとこの思いつきは形になると信じた。
ケント紙に乗せるだけでもアート感が生まれた。
今回のテーマでなければ、別の何かを生み出せた気がする。

でも課題のテーマは、THIS IS ME、これがわたし──
であるならば、
「全ては内なる自分の中にある」という想いも具現化したい。
だから、何かを新たに買ったり用意したりせず、
私の中や手元に既にあるものから生み出すことを試みることにした。
…と言うとカッコいいかもしれないが、
完全母乳で育てている超頻回授乳の0歳児がいて、
24h以上のワンオペの日も少なくなく、
頑張っても構想・制作にごく限られた時間しか使えない。
アートをするというのに、時間も材料もないなんて──
なんてこった。
だから、締め切りまでに完成させるのに工夫が必要だった、という現実的な面もある。
「ME/わたし」ということなので、やっぱり自画像のイメージが浮かぶ。
それなら、ちょうど良いお気に入りのポートレート写真があるな。
それから、何か特別なことではなくて、既に私にあるスキル──
以前デッサンのオンラインレッスンで学んだ
「観察力」と「明暗を捉える力」、
そして、好きな作家さんの動画で学んだ技法の実践。
うん、いけそうだ。
新たな構想が固まっていく。
なるほど、やっぱり制限があるとひらめきが生まれる。
その写真を参考にしながら、早速ケント紙の上に仮配置していく。
今回は自画像といっても、
見た目通りの色を再現するのではなく、
”手持ち”の色味のピースで構成していくので、ここにも工夫が必要だった。
そこで思い出したのが、「明暗を捉えて原色に転換する」という手法。
このポートレート写真はモノクロだったのだが、
これが時短になった。
というのは、カラー写真だったら色を明暗で捉え直す(=モノクロにする)手間があったけれど、
モノクロ写真は、最初から明暗で写し出しているわけだから、
そのステップが不要だった。
一方、ピースについては、”赤”や”青”という色ではなく、
「明るさの度合い=明度」で捉え直す必要があった。
自分の都合で欲しいサイズや形に切ることはせず、
あくまで自然な色の滲みで切ることにした。
「こうしてやろう」というエゴよりも、
思いがけなさを取りたかった。
ただのインクの広がりだったものから生まれた唯一無二のピースで、
モノクロ写真と整合しながら私の顔を作っていく。
すごい高度な作業である気がして若干不安になりながらも、
「…ざっくり明暗捉えられていたら、それっぽくなるだろ」と覚悟を決め、
時間がないので下書きもせず、
完全フリーハンドで攻めていく。

進めていくと、精緻にやりたい性が出る。
下書きは嫌いなくせに、我ながら笑える。
途中、パースが狂いまくっていることに気がついた。
でもごまかせる部分だったから、飲み込んだ。
何度かそういうことがあったが、その都度自分に言い聞かせた。
「大丈夫、これは写真の再現でも模写でもない。
私は、全く別の、新たなものを創っている。」
しかし終盤、
根本的に明暗の配置をミスっていることに気がつき絶望──
そして、そこからの微修正が沼化した。
こちらを直すと、あちらが崩れるというループ。
もう、しんどい。
そもそも難しかったのは、欲しい明度・色・形・サイズの
4拍子揃ったピースがあるとは限らないこと。
さらにピース自体の色味を加味した
配色や配置密度のバランスを取ったり、奥行きも表現するのは、
なかなか一筋縄ではいかなかった。
しかも、締め切り前日の深夜。
どうにかカオスを抜け、完成。
制作中、「まいっか」精神を何度も降ろしたが、
完成後にこれは「コラージュ」じゃなくて
「貼り絵」の分類だったことに気づく──
でもまぁ先生は
「コラージュじゃなくて、絵でもいい」と言っていたし、
まぁいっか。

ハプニングの波に乗ったり、飲まれたり。
ヒーヒー言って、楽しくなったり、しんどくなったりしながら、
”なんとか”した。
制作期間中にちょうど読んだ先生のメルマガで、
「テレビの仕事はとにかく納期との戦い、制限が工夫や創造性を産む」
という趣旨の内容があった。
育児をしながら「時間が足りない」と何度も思いながらも、
先生のその言葉に励まされ、迷っては「なんとかする!なんとかする!」と言い聞かせ、覚悟を決め推し進めた。
完成直前の「うわー、ミスった」からの修正、ドツボ、沼、やりすぎ、断捨離の決断という、最後の作業が一番しんどかった。
特にアートにおいて、普段完璧主義の私がそれを手放しながら、
ハプニングを受容し突き進み、”正解”を決めるのは凄いこと(笑)
ピースは、自分の都合ではなく、
あくまで自然な色の滲みで切るというルールが難易度を上げていた。
でも、そもそも失敗作から生まれた偶然の素材だから再生産出来ない。
大事な大事な、固有の”偶然性”が台無しになってしまうから、仕方ない。
だから、ピースの種類も色も形も数も限られている中で
どうにかしていくことの難しさを、とても感じた。
でもだからこそ、作品としての格が上がった気がする。
そんなこんなで、
「なんとかする!なんとかする!なんとかした!なんとかなったー!」
というのがこの作品。
大変だったけど、やり切った自分偉い!すごい!よく頑張った!(笑)
完全にプライベートの、個人的な制作に
こんなに時間をかけない人もいるだろうし、
かけなくても良かったのかもしれない。
仕事でも学校の授業でもないから、
お金にもならない。
評価にもならない。
だけど、そうしてしまうこの姿勢こそ、きっと私なのだ。
今回は、当時の手記をもとに制作ストーリーを綴ってみました。
生の体験、言葉にこそ価値があるため、AIは使わず、100%私の言葉。
あえて粗さも残したので、少し読みにくさもあったかもしれませんが、なるべく”そのまま”にしたかったのです。
次回は、制作意図、気づきや学びなど、「私の頭の中」をもう少しお見せしたいと思います。
思いがけず、ある概念を知らずに実践していたことにも気がついて──?
ぜひ、引き続きお楽しみください。
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▼表現の苦しみ、美意識の疼きの吐露
▼あなたも必読!世界で初!?のプロンプト力を鍛えるアプローチ(論考)
今回の制作ストーリー(三部作予定)と一緒にぜひどうぞ
▼『静かなるファンファーレ』シリーズ(エッセイ・詩集)
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